生きている間に、どれだけ人の役に立てるか。
限界集落から仏教まで、「不可能」への挑戦。

高野 誠鮮さん/石川県羽咋市公務員・日蓮宗僧侶

はてぶ

本證山妙法寺の第41世住職を務める傍ら、石川県羽咋(はくい)市の公務員としても働く高野さん。大学から上京してフリーランスで働きながらも、30歳を目前に地元に戻ってから、僧侶・公務員として働くように。「ローマ法王に米を食べさせた男」「限界集落を蘇らせたスーパー公務員」と呼ばれ、TVドラマのモデルにもなった高野さんが考える人生観とは?お話を伺いました。

30歳を目前に、嫌だった2つの仕事に就くことに

私は石川県羽咋市で、日蓮宗の寺を営む僧侶の家庭に生まれ育ちました。小さい頃から物理や電気などの理科系に関心があり、自らラジオを作ってみたり、電波を発信しテレビから自分の声を出してみたりして遊んでいました。原始的ながら、自分で作ってみることで原理原則が分かることが楽しく、小遣いをもらっては電気屋に走っていっていましたね。時には、親が大切にしていたラジオや時計を分解して怒られてしまうこともありました。

そんな背景もあり、高校を卒業後は東京にある大学に進み、理系を専攻しました。田舎にいたくないという気持ちがありましたし、兄も東京の理系の大学に通っており、背中を追う感覚もありました。父が僧侶を務めていた本證山妙法寺は世襲制でないこともあり、継がなくても良いと言われていたため、自分の興味に沿っての選択でした。

ところが、実際に授業が始まってみると、なんだか自分が関心がある世界と少し違うなという感覚を抱くようになりました。反対に、銀座の洋書屋に通って様々な本を読む中で、UFO等の航空宇宙の分野に強く興味を持つようになったんです。

ただ、本を読んでいて疑問が湧いても日本には精緻な答えを出してくれる本や人が無く、その分野で最前線だったスタンフォード大学の教授に手紙を書いて質問をしてみると、段ボール箱一杯の論文の山とともに質問への返信が返って来たんです。「今時、学内にすらこんなに熱心に質問をしてくれる学生はいないから、私の論文をまとめて送る」と。

それ以来、完全に航空宇宙にはまり込んでしまいました。この先生はなんて心が広いんだろうと感動するとともに、論文を読んでみると、やはり自身で体験して調べた方の話は非常に納得するんです。それからは自分が好きなことをしようと考え、科学系雑誌のライターのバイトを始め、最終的には大学を中退することに決めました。雑誌だけでなく、UFOを扱うテレビ番組の放送作家などの仕事も行うようになり、フリーランスとして活動の幅を広げていったんです。

そんなある時、30歳を間近に控えたタイミングで、実家の寺から継ぐ意志がないかという最終確認の連絡がありました。兄も私と同様全く関係のない仕事をしていたのですが、別の人が継ぐと自分たちは寺に戻れなくなってしまうこともあり、一度兄弟で相談をすることに決めました。すると、兄には継ぐ意志がないこともあり、私が寺を継ぐことに決まったんです。正直、諦めに近い感覚で、「ああ、嫌だな」という気持ちでしたね。

元々、父が僧侶をしながら地元で公務員をしていたのですが、どちらの仕事も生産性が無いように思えて、人の役に立っているのか分からなかったんです。それでも、立正大学に入り直して仏教について学び、地元に帰ってからは僧侶だけでは食べていけないので、羽咋市役所の臨時職員としても働くようになりました。30歳近くになると、正社員雇用にもなれないのですが、条件を選んでいられない状況でもありました。

そして、私は地元の石川県羽咋市で、嫌なこと2つに向き合う道を歩むことに決めたんです。先は真っ暗でした。

UFOで行うまちづくり

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