新潟県長岡市で生まれました。実家は天保13年から続く日本酒の蔵元です。蔵元というと特別な暮らしと思われることも多いのですが、家の周りには味噌や醤油の蔵元がたくさんあって、町の中では普通だったんです。家族の住居の隣に蔵があって、日本酒の蔵のほかに、おじいちゃんが趣味で集めていた仏像を飾るための蔵もありました。

小さい頃は、蔵に入ると、タンクの上をのぞきこまないようにと杜氏さんたちに注意されていました。日本酒が発酵すると、タンクの真上が酸欠状態になるので、その空気を吸い込むと危ないんです。蔵に入るときは「納豆食べてないよね?」と確認してから。納豆菌を蔵に持ち込んでしまうとお酒に影響がでてしまうからです。蔵にはエアコンがなくて、夏は暑くて冬は寒い、蔵ができた時代と同じ室内環境ですね。

そういった暮らしは、私にとって当たり前の日常でした。私は三人姉妹の長女なんですが、日本酒の蔵を何か特別のことだと思っていなかったせいか、「継ぐ」ということを意識していませんでした。

日本酒メーカーですが、私が産まれたときから祖父は政治家でしたし、父も引き継ぐように選挙に出て、政治家になりました。蔵元というより、政治家の家という感覚のほうが強かったかもしれません。子どもの頃は、選挙カーから自分の家族の名前が呼ばれるのが恥ずかしくて、下を向いていました。

会社は、父が議員になってからは母が全部引き受けていました。主婦だった母が、突然会社の経営を一手に任されたので、大変だったと思います。子どもの頃からその姿を見てきたおかげで、「女も仕事をするもの」という意識が自然と身につきました。