ビジネスもスポーツも、本気で勝負にこだわる。世の中にインパクトを、高みを目指す生き方。
ソーシャルゲームの運営に特化した株式会社DeNA Games Tokyoの代表取締役として活躍する傍ら、ハワイやタヒチを中心に行われるマイナースポーツ「アウトリガーカヌー」の日本代表として世界大会にも出場する田川さん。自分の軸を決めて物事に没頭し、本気で勝負にこだわる。スポーツ・研究・ビジネスと様々な分野で活躍する田川さんの根底にある思いとは?
田川 啓介
たがわ けいすけ|ソーシャルゲームの運営
ブラウザゲーム、ネイティブアプリの運営事業を行う株式会社DeNA Games Tokyoの代表取締役を務める。
【2016年10月16日】another life.主催イベントに登壇いただきます!
高みで競う面白さ、競泳で頭角を現す
東京都調布市に生まれました。喘息持ちだったこともあって、3歳で水泳を始めました。水泳の他にもスキーや山登り、サッカーに野球など、いろんなスポーツをやりました。運動神経が良かったのか、どんな競技でもすぐにうまくなりました。自分でもどのスポーツでもやれるなという自信がありましたね。
その中でも、最初にはっきりと結果が出たのが水泳でした。小学生の時にジュニアオリンピックの決勝に進むことができました。決勝で泳いでみて、高いレベルで競い合うことの気持ちよさを強烈に感じました。中学生になってからは全国大会のリレーで準優勝。将来は競泳選手としてオリンピックに出場したいと考えていました。
中学3年生の時、父に部屋に呼ばれて「今後どうするんだ?」と将来について聞かれました。「オリンピックに出場したい」と答えると、「出場してどうしたいんだ?」と更に聞かれました。出場して金メダルを取ってお前はどうしたいんだという父の問いに対して、皆に喜んで欲しいというのが僕の答えでした。
父の質問に答えるうちに、気づかされました。オリンピックに出場することが、人生の目的ではない。自分が成し遂げたいのは、最高の結果を残して、応援してくれた家族や友人、仲間と一緒に喜びを分ちあえること、誰かにポジティブな影響を与えられることだと。自分の中でやりたいことが明確になった瞬間でした。
軸を決めて没頭する大学生活
ただ、高校に進学してからは、少し水泳から距離を置くようになりましたね。それまで一途に水泳に打ち込んできたので、一度遊んでおきたかったんです。社会人デビューはダサいな、とも思っていました。耳にピアスを開け、髪を染めて、友達と遊び回りました。勉強はしていたので、学校の成績は良かったのですが、水泳の方はあまり結果を残せませんでしたね。インターハイには出場できましたが、中学の時ほど上に行けませんでした。
遊ぶのは高校の間だけ、と決めていました。水泳で自分の軸をつくっていかないといけない、大学からはもう一度水泳に打ち込もう、と思っていましたね。受験前に大学の部活の見学をさせてもらい、一途で真面目な雰囲気の早稲田大学に入ることに決めました。
無事入学し、部活が始まると、周りのレベルの高さに驚かされました。高校でブランクがあっただけにどうしようもないのですが、4年生にオリンピックスイマーがいて、練習だけであっぷあっぷでした。とにかくしんどいし苦しい。それでも負けたくない、もう一度競泳の世界で実績を出したい。そんな思いで練習に打ち込んでいきました。
猛練習のお陰で、試合のたびにベストタイムを大幅に縮めていきました。高校時代についた差が大きく、オリンピックスイマーには到底追いつくことは出来ませんでしたが。自分が3年生の時に1年生にめちゃくちゃ速い選手が入ってきたことで更にレギュラー争いは厳しくなりましたが、最後までベストタイムを更新し続けることができ、4年で引退する時には、やり切った感覚がありました。
水泳に打ち込みながら、勉強も真面目にやってましたね。自分は理工学部だったので、水泳部の寮のある所沢から高田馬場のキャンパスに通う毎日。物理学を専攻していました。
物理との出会いは高校時代です。遊んでいても、インターハイに出て、勉強もそれなりにできる。叱る先生もいなくて、怖いものなし。そんな中で物理の先生からは叱られたんです。
物理の時間に、遅刻して教室に入ろうとすると、先生が「入るな!」と一喝。次の授業からは態度を改めて真面目に勉強をするようになりました。とても丁寧に教えてくれる先生で、物理が好きになりましたね。
学部時代は、水泳8割、勉強2割の配分でした。勉強をやり切った感覚がなく、もっと物理を究めたいと思い、大学院に進学することにしました。将来は研究職につくことも視野に入れていましたね。大学院では、ほとんどの時間を研究に費やしました。電子顕微鏡の研究に没頭していましたね。教授に恵まれて、研究は非常に面白かったですね。
競泳と同じくらい打ち込める仕事を
就職活動の時期を迎えると、メーカーの研究職などを中心に多くのOBから話を聞きました。ただ、どれだけ話を聞いてみても、何か物足りなさを感じました。社会人になったら、仕事を軸にしたい。水泳や研究と同じくらい打ち込みたい。そう思っていましたが、どの会社も熱量が高くない人もいるような印象を受けました。
研究職から幅を広げて、コンサルやベンチャーも見てみましたが、当事者として事業づくりがしたかったのでコンサルは違うし、ひとつずつ何かしらの専門分野に集中したかったので立ち上げたばかりのベンチャーも違うように思えて、ピンと来る環境が見つかりませんでした。
そんな中で、「自分の熱量に合う会社がないんですがどうしたらよいでしょうか」と採用説明会で質問した所、「君に合いそうな会社があるよ」と紹介されたのがDeNAでした。実際に社員に会ってみると、多様な人がいて、どの人も仕事に対して熱意を持っている点が印象的でした。いい意味でサラリーマン的でなく、経営陣に対して健全な形で疑問をぶつける姿勢にも共感しました。ちょうど、当時の社長の南場さんがドキュメンタリー番組で特集されているのを見て、その真っ当な考え方にも魅力を感じたことも後押しとなって、入社を決めました。
同期入社の50人は皆とても優秀でした。多くの同期が学生時代からインターンをしていて、入社時点で既に、ある程度ビジネスを経験していました。インターンなどしたことがなかったので、正直焦りましたね。
ファーストキャリアはEコマース事業の営業でした。仕事に打ち込んでいくと、2ヶ月目から同期の中で頭一つ抜ける成果を出すことが出来ました。「やっぱり自分はできるんだ」と自信を取り戻して、生意気になりましたね(笑)。社内で「この人に勝ちたい」「この人を越えたい」と思う人を設定し、営業にのめりこんでいきました。仕事がどんどん面白くなっていきました。
ゲームの影響力への驚き、新卒初の子会社社長へ
その後、新規事業の担当を経て、社内公募でエンジニアになることに決めました。理系出身ということもあって、エンジニアには元々興味があり、ゲーム作りに携わりたいと思っていました。
プログラミング自体に楽しさを感じたというよりも、自分が実際に作ったゲームがリリースされて、初めてユーザーからの反応が来た時に、「ゲーム作りに携われてよかった」と感じましたね。ゲーム開発に惹かれて入社した訳ではないものの、数多くのユーザーからいただいた反響は自分にとって大きなもので、様々なタイトルの運営に関わる中で、ゲーム自体が世の中に与える影響の大きさを感じるようになっていきました。
中学3年生の時の父との会話からずっと、誰かにポジティブな影響を与えるものでないと存在意義がないと考えていました。次第に、いちエンジニアとして作るだけではなく、多くの人と関わって影響を与え合えるようなプロデューサーという職種に興味が移っていきましたね。プロデューサーになってからはヒット作に恵まれ、社内では自社開発タイトルの運営統括責任者を務めることになりました。
スマートフォン、フィーチャーフォン用のアプリゲーム、ブラウザゲームは、従来のゲーム機専用のゲームとは異なり、ローンチ後も運営をしながら、ゲーム内容のアップデートを行います。面白いゲームを開発することはもちろん、アップデートすることで面白い体験を提供し続けるという「運営」の機能は、ゲーム事業において非常に重要なものです。
ゲーム事業が拡大していくにしたがい、「運営」に特化した子会社を作ることになり、そのプロジェクト担当になりましたが、さらに自ら手を挙げてその子会社の代表に就任しました。正直最初は誰が社長になるんだろうぐらいに考えていましたが、社長を選定する段になって、自分がやるしかないと自覚しました。新卒で入社した社員の中では初めての子会社社長でした。
世の中に前向きな影響を与えるため、勝負にこだわる
現在は、株式会社DeNA Games Tokyoで、自社開発のゲームの運営をしています。ユーザーのことを理解して、一歩先のアップデートを行い、感動を提供する仕事です。言葉にするのは簡単ですが、すごく難しい作業です。数十万から数百万人の方が遊んでいるゲームの中で、ゲームの中での行動データやユーザーの口コミを分析したり、ユーザーにヒアリングをしたりしてニーズを掴んでいきます。例えば、もともと友達と協力してクリアしていくという形式だったゲームを、もっと友達と一緒に遊びたいというユーザーの要望を聞いて、リリース後に対戦型に内容を変えることもあります。「運営」といいながら、開発もやります。サービス業×ものづくり業というようなイメージですね。アップデートによってユーザー数やプレイ時間が増える場合もありますが、ユーザーが面白いと思っている機能を外してしまい、クレームをいただくこともあります。粘り強く、ユーザーと向き合って、趣向を凝らし、ゲームを面白くし続ける仕事です。
仕事と並行して「アウトリガーカヌー」というハワイやタヒチを中心に行われているマイナースポーツに打ち込んでいます。元々、大学院の時に知人から紹介されてのめり込みました。日本代表として世界大会にも出場しました。学生時代の水泳ほどは時間を使えませんが、平日はジムでトレーニング、週末は海で練習、とかなり時間を割いています。世界一のタヒチのチームを倒すことが目標です。
スポーツは努力して工夫をすると成果が明確に出ます。この点はゲームの運営も同じで、ユーザーのニーズを考えるのは、カヌーのこぎ方を考えることと一緒。考えて試してまた改善していく。PDCAを回して、勝負を繰り返していくんです。世の中にポジティブな影響を与えるため、勝負の世界に身を置く。全く異なる種類の勝負ですが、それぞれで学んだことが相互に活きていますね。
一つのことに皆で本気で取り組むと、成功の喜びを分かち合うだけでなくお互いに尊敬し合える関係になります。目の前にあることに本気で取り組み、世の中にポジティブな影響を与える。喜びを分かち合い、お互いに尊敬し合える。自分自身も会社も、そうあり続けたいですね。
2015.12.22