生きづらい若者のための職業学校を創る。
生まれた時からどん底の私にとっての使命。

黒沢 一樹さん/生きづらさを感じる若者の就労支援

はてぶ

生きづらさを感じる若者が安心して相談でき、就職支援を受けられる場を作っている黒沢さん。6人兄弟の長男で、苗字が5回変わり、50回以上転職をした背景を持ち「自分は不幸のデパートだ」と語る黒沢さんがどんなことを目指しているのか、お話を伺いました。

最終学歴中卒

私は山口県で生まれました。母が17歳の時に生まれた子どもで、生まれた時には仮死状態だったそうです。なんとか蘇生されたのですが、小さい頃は20歳までは生きられないと言われていました。

母はヌードダンサーで、色々な地を転々とする生活をしていたので、固定の友だちはできなかったし、行く先々のダンサーさんたちに可愛がられるために、いつもニコニコ笑顔でいるような癖がつき、コミュニケーション能力は磨かれました。

その後、小学校3年生の時に父が亡くなり、すぐに新しい父が来ましたが、この父は働かず酒に明け暮れていて、私は虐待もされました。逃げたい気持ちもありましたが、そうすると弟たちが被害を受けてしまうので、私が全て受けることで彼らを守りたいと思い、虐待も全部自分で受けるようにしていたんです。

児童相談所に行っても「お母さんが心配するから帰りたいよね」とイエスとしか答えようがない質問をして向き合ってくれないし、小学校の先生もいじめられても助けてくれないし、大人なんて信用できないと思っていました。また、亡くなった父は厳しいながらも尊敬できる人だったのですが、中学生の頃、実の父ではなかったことを知って驚きもしましたね。

また、母が稼いだお金も全て酒に消えてしまうような生活だったので、貧乏で食べるものもありませんでした。しかし幼い兄弟も多かったので、中学生になると朝刊と夕刊の新聞配達を3年間行いました。

そんな生活だったのでグレていて、学校にはちゃんと行かずに図書館にこもっていました。ただ、見かねた中学校の先生が、塾の費用を工面してくれたので勉強することができ、高校に行くことができるようになりました。

しかし、授業費は何とかなっても、家族が生活するお金を稼がなければならなかったので、勉強はしたかったのですが、そんな人生は諦め、入学式の日に退学し働くことにしました。

夢を諦める

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