「できない」を「できる」に変える起業家支援。 全ての人がチャレンジできる世の中へ。

現在、デロイト トーマツ グループで「誰もがもっと気軽にチャレンジできる世の中に」をミッションに起業家支援を行う村田さん。新しいことにチャレンジしようと目を輝かせてやって来る人たちの支援ができなかった金融業界から転職。やりたい!を諦めさせないための起業家支援で大切にしている事とは?お話を伺いました。

村田 茂雄

むらた しげお|デロイト トーマツ グループ中小企業診断士
信州大学経済学部卒業。銀行、信用金庫を経験したのち、デロイト トーマツ グループの主要法人のひとつである有限責任監査法人トーマツに所属。これまでに1000人以上の起業家支援を行う。1万個以上の事業アイデアを考えて体系化したノウハウをまとめた著書『起業アイデア3.0』(秀和システム)を2019年に出版。

見失った自分らしさを取り戻す


神奈川県小田原市で生まれました。四人兄弟の次男です。足が速いサッカー少年で、小さい頃は人気者でしたね。好きだった漫画の影響で中学からバスケットボールを始めると、上達して地区大会でMVPをとるなど活躍するように。みんなにちやほやされ、他校の女の子から電話がかかってきて告白されることもありました。

そのせいか、自分は世界の中心で、何でも思い通りになると思っていて、周りからは「自己中」だと言われるように。でも、そんな評価は特になんとも思いませんでしたね。怖いもの知らずでした。

ところが、中学3年の夏くらいから、急に人の目が気になるようになったんです。今まで気にもしなかったのに。バスケでも自分らしいプレーができなくなりました。中学生最後の試合でも、人のことが気になって、「あいつボール触ってないな、パスした方がいいかな」などと考えてしまうようになったんです。最後に回ってきたボールも、自分で攻めれば勝てたかもしれないのに、攻め込むことができませんでした。

その状態は高校に進学しても続きました。その上「欠けたマイナス面を補う」という顧問の指導方針で得意なドリブルをさせてもらえず、自分らしさを見失って行きました。

2年の冬ごろ、体調を崩して休んでいた時に、ふと「なぜバスケを続けているんだろう」と疑問が浮かび、辞めようと決めました。もう辞める覚悟ができたので、最後の試合くらいは好きにプレーしようと思いました。

その気持ちで試合に臨んだら、自分の満足がいくプレーができて、チームにも貢献することができたんです。これまでは、自分のためではなく顧問のためにプレーしていました。楽しんでできていなかったんです。そのとき「周りばかり気にしてても仕方がないんだ」と思ったんですよね。それで吹っ切れました。それからは、「これが自分だ」と思えて、他人の評価が気にならなくなりました。

卒業後は、長野県の大学の経済学部に進学しました。好きだったドラマの舞台が長野県だったという、ただそれだけの軽い気持ちで選びましたね(笑)。兄弟が多かったからか、お金の大切さには小さい頃から関心があったので、経済の道を選んだのは正解でした。就活では、「お金に関すること」と「人の役に立つこと」を軸に企業を探し、長野の銀行に就職を決めました。

チャレンジしたい!に答えられない


働くうちに、銀行は過去の実績を評価して融資をするかどうか決めるので、実績がなければお金を出せないことに疑問を持ちました。もちろん金融機関にとって、返せない可能性がある会社にお金を貸すのはリスクです。分からなくもありませんでしたが、銀行が見るのは「過去の業績がどうだったか」だけ。企業の今や将来の可能性を考慮できないことにジレンマを感じました。

例えば、とても良いアイデアが閃いたから挑戦したい!新しいことにチャレンジしたい!と目をキラキラ輝かせて融資を受けに来る人たちがいても、過去の結果や業績が良くないと、断らないといけないんです。それでは新しいことを始めようとしている人を支援できない。今は実績がなくても、うまくいっていなくても、この人のアイデアは将来世界を変える可能性があるかもしれないのに。金融機関は、大切な預金を預かって、それを原資に融資しているため、リスクを負えません。それによって、相対的にチャレンジしたいという想いや将来の可能性への先行投資という考え方が稀薄になってしまうと感じました。

そんなモヤモヤした気持ちを抱えていた頃、長野で3年くらい付き合っていた女性との結婚が破談になったんです。お互いの両親に挨拶して、指輪を買って、式場の日取りも決めて、みんなに報告した数カ月後に、彼女の両親から結婚式の日取りを変えてほしい、と言われたんです。ただ、26歳の僕は「今さら変更なんてできない」と譲れずに戦ってしまい、それがきっかけで二人の関係もぎくしゃくしだして、結果、別れることになりました。

自分の人生のゴールは結婚だと思っていたので、それが破談になったことは、人生終わったくらいの絶望でした。だけど、そんな自分を友人が毎晩連れ出してくれて。いろいろな人に出会う中で、また好きになれる人も現れました。そこで、「人生は全て過程」なんだって気付いたんです。

もちろん彼女との結婚をゴールに置いてたら、そのゴールに至れなかった人生は失敗になる。でも破談になったことも次に付き合う人との出会いのきっかけになったんだと思えば、失敗じゃない、単なる人生の過程なんだって。何を、どのタイミングをゴールに設定するかで失敗かどうかも変わってくるから、世の中には失敗なんてない!と思え、失敗を恐れずチャレンジできるようになりました。1回、人生が終わったと思うような経験をした人間は、精神的にタフになるんだと思いましたね。

そんなことがあって1年くらいたったときに、母が住んでいる静岡の信用金庫からお誘いがあり、新たな環境でチャレンジしてみようと思って、転職しました。

知ってしまった銀行の限界


転職したら、長野の銀行で感じていた、チャレンジしたい人を支援できないというジレンマが解消されるんじゃないかって、どこか期待していました。だけど結局、金融機関では過去に実績がなければ融資が難しいことには変わりはありませんでした。

チャレンジしたい人の役に立つためには、お金が借りられるようにすることが重要だと信じていた私は、「全ての人の融資を通すこと」をモットーに仕事をしました。しかし、過去の業績で融資判断をする考えはどこも同じで、一部の人の融資は通せなかったり、お金を貸したら貸したで倒産する企業が出てきました。

金融機関は計画を立てられても、その後の経営まで伴走できるわけではない。それに、経営者側もいよいよ経営が傾いてきたときに、融資をしてもらっている金融機関には本音で相談しにくいんです。本当に困った時には相談してもらえず、チャレンジしたい人を支援できないというジレンマを再度感じました。

そんな私を突き動かしたのは、大学3年のときに読んだ『ももたろう理論』という本でした。
川で洗濯していたおばあさんは、なぜ桃を拾えたのかという話です。おばあさんが毎日川へ行っていなければ桃を見逃していたし、桃を見つけてもおばあさんに体力がなければ家まで持ち帰ることはできなかった。いつ来るか分からない桃、つまりチャンスを掴む機会を得るためには毎日行動すること、そして、チャンスが来た時にいつでも掴めるように準備しておくこと。本を読んで感じていたそれらのことの大切さを思い出したんです。それで、チャレンジしたい企業を支援できる日がいつかくることを期待しながら、中小企業診断士の資格をとったり、様々な勉強会や交流会に参加したりするようにしていました。

チャレンジへの支援、そして課題


そのように考え出して数年が経ったある日、東京で一緒のセミナーに参加していた、コンサルタントをやっている知人から声を掛けられました。コンサルティングの場合、チャレンジする人をそばで見守ることができる。これは金融機関ではできなかったことであり、私がやりたかったチャレンジする人の支援でした。やりたかったことがやっとできると考え、32歳の時に転職を決めました。

入社すると、これまで以上に様々な経営者と関わるようになりました。そこは、人と違う視点でアイデアが出せるなど、人と違うことこそ評価してもらえる世界でした。そこから私自身、生きやすくなりましたね。変人って言われるのが褒め言葉になりました(笑)。

担当しているのは起業家支援です。将来大きく化けて世の中を変えるかもしれないチャレンジに寄り添える仕事だから、ワクワクしましたね。もちろん大きな決断に寄り添う責任はあります。しかし、自分の仕事に対してダイレクトなフィードバックが帰って来るので、一つひとつで経営者に貢献できている充実感と、自分の経験値として積み重ねられている実感がありました。

チャレンジする人のサポートをする中で、ただ有益な情報を知らないだけでチャレンジできない人がいることが分かってきました。情報格差が課題になっていたんです。実際、私が関わる東京、横浜、静岡の1都2県だけでも情報量は全然違いました。東京と横浜ですら大きな情報格差があると感じました。

例えば、昔はお金がなかったらできなかったことも、今はクラウドファンディングなど多種多様な資金調達の仕組みを使って、自前で調達することも可能です。その言葉さえ知っていれば、個人でも調べるのは容易な時代。だけど、言葉自体を知らなかったら調べようがないんです。個人の能力や性質の違いではなく、必要な情報を知っているかどうかが重要だと感じました。

ただ知らないだけで挑戦できなくなっている人がいるなら、逆に、情報提供という形で格差を埋めることこそが、チャレンジしやすい環境づくりに繋がるのではないか。そう思い、動き出しました。その一つとして、本を出版しました。本が一番、価格以上の価値を提供できて、たくさんの人に知ってもらえるツールだと思ったからです。小さな一歩を踏み出すきっかけとなるアイデアを出すには、情報という材料が不可欠。私もかつて、本に救われ、本で人生が変わった経験者だからこそ、情報というヒントで一人でも多くの人を助けられたらと考えました。

誰もがチャレンジしやすい世の中へ


今は、神奈川・東京・静岡にまたがってベンチャー、起業家支援をしています。全員一律の成功法則がないのが、ビジネスの世界。逆に言うと、何をやっても成功する可能性がある中で、いかに社長の中に眠る本当の答えを導き出せるかが、コンサルタントの手腕なのではないかと思っています。

仕事内容としては、社長がベストな決断をするために今すべきことを一緒に考えたり、考え方の切り口を提供したりして頭の中の整理を手伝っているイメージです。答えは社長の中にしかないし、最終の決定権も社長にあるので、私はあくまでサポート役。しかし、事業を作っていく過程は自分のことのようにワクワクしますし、人の役に立てている実感があります。今はこの仕事が楽しいですし充実していますが、誰かのチャレンジのきっかけになるのであれば、将来的には私自身で起業することも視野に入れています。

私の人生のミッションは、誰もがチャレンジしやすい環境を作ることです。そのためにできることは、まずは一人でも多くの人が成功できる支援だと思っています。

人って、「周りに支えられたお陰で成功できた」と思える経験をしたら、今度は次に続く人を助けてあげようという気持ちになると思うんです。だから、まずは一社一社を大切に育むことが大切です。さまざまな人との関わりの中で育った企業が大きくなれば、今度は若手起業家を応援する良いサイクルができる。そんな想いのある会社や人がエリアに蓄積されていくことで、先輩起業家が後輩起業家を育成していく、エコシステムを形成できると考えています。

さらに、そうやってチャレンジしている人や、小さくても良いから成功を積み重ねた人が自分の周りにどんどん増えていくと、「あれ、自分にもできるんじゃない?」って更にチャレンジする人が増えていくはず。そうやってチャレンジする人が新しいことを生み出し、世の中全体が良くなっていく。そんな素敵な循環を目指したいですね。

2020.04.06

インタビュー | 粟村 千愛ライティング | 山田 理早
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