運動を通じて元気になれるように、応援したい。弱かった僕に元気をくれた運動への「恩送り」。
屋外で自然に触れながら運動を行う「アウトドアフィットネス」のインストラクターとして活動する青木さん。小さい頃から身体が弱く、環境が変わると体調を崩していたものの、運動を楽しむようになってからは生活が変わったそうです。大手ITベンダーでSEとして働いていた青木さんがフィットネスのインストラクターをすることに決めた理由を伺いました。
青木 宏和
あおき ひろと|運動を通じて元気に活動する人を増やす
アウトドアフィットネスの分野で、フィットネスクラブのインストラクターや個人イベントを開催する。
運動によって健康状態が変化する
愛知県豊田市で生まれました。小さい頃から身体が弱く、体調をよく崩していました。自然が豊かな環境で育ったので、親からは「丈夫になるために、外で遊んできなさい」と言われ、積極的に外に連れ出されていましたね。
小学生から野球を始めて、定期的に運動をするようになると、体調をあまり崩さなくなりました。中学でも野球を続けて打ち込みました。
高校からは地元を離れて、東京に上京しました。東京の学校に通ういとこと会う度に東京の話を聞いていたので、「自分も外の世界を見てみたい」と思ったんです。
高校に入学してからは、寮に入りました。自分の意志での上京でしたが、突然環境が変わったため、ストレスで不眠症になりました。寝不足であまりアクティブに活動できない日々が続きましたし、腰を痛めて野球を離れることになってしまい、地元に帰りたいと毎日思っていましたね。
大学に進んでからは、先輩の姿に憧れて、ダンスサークルに入りました。全国優勝をするようなサークルで、朝から晩まで練習に打ち込みました。再び運動に打ち込むようになったこともあり、高校時代とは一転して、充実した生活でしたね。
海外に興味があったので、3年生の時にカナダのバンクーバーに留学しました。上京した時と同じように、「もっと外の世界を見たい」という気持ちでした。ITの分野にぼんやりと関心があったので、英語を学びながらプログラミングが勉強できる学校に入りました。
バンクーバーは海にも山にも行ける場所だったので、学校が休みの時には積極的に旅行しました。遊びも含めて全て勉強だと思っていましたね。世界遺産に指定されているカナディアンロッキーは特に印象的でした。自然の雄大さに圧倒され、他の世界遺産も見てみたいと思うようになりました。
ダンサーの家にホームステイしていたので、ホストファミリーに連れられて子ども向けにダンスを教えることもありました。外国語で伝えなければいけない難しさはありましたが、子どもが踊れるようになっていく姿を見れて、とてもやりがいがありました。
自分も先輩にダンスを教わったことを思い出し、「恩送り」を感じましたね。ぼんやりとですが、将来は、「人が何かをできるようになる手伝い」をしたいと考えるようになりました。
運動から遠ざかっている人の背中を押したい
大学を卒業してからは、IT系の会社に入社しました。カナダでプログラミングを勉強し、SEとして働きたいと考えていたので、内定が決まったときは嬉しかったですね。
働き始めてからは仕事に打ち込みましたが、思い通りに進まないことに焦りました。プログラミングのスキルが足りず、会社やクライアントに求められるスピードに追いつけない。毎日プレッシャーを感じていました。学生時代は、WEBサイト制作などを通じて、使う人の喜ぶ顔が見えたのですが、大きいシステムの開発に携わるようになったことで、誰に向けて作っているのか見えなくなったことも大きかったですね。
プログラミングに楽しさを見いだせなくなってしまい、仕事を続けることに不安を感じるようになりました。入社して3年経つと、仕事へのプレッシャーから、生活に影響が出始めました。不眠症になり、食欲もあまりなくなりました。辛かったですね。自分が望んで入社した会社なのに居づらいと思っていることへの後ろめたさがありました。
「なんとかしなければ」と思い、手っ取り早く気持ちを入れ替えられることを探し、ジョギングを始めることにしました。しばらく運動から離れていたので、久しぶりの運動でした。近所を走るようになると、すぐに体調に変化があり、夜眠れるようになりました。
友人に誘われてマラソン大会に出場し始め、学生時代のように再び運動に力を入れるようになりました。体調が回復しただけでなく、普段会わない人と交流すようになり、交友関係が一気に広がっていきました。
ある時から、知人の紹介で、自分の得意なことを参加者同士で教え合うサークルに参加するようになりました。そのサークルでは、先生が持ち回り制で、「あなたも何か教えてみない?」と私の番が回ってきました。
何を教えられるか悩んだ結果、「得意なのは走ることだ」と考えて、皇居ランの企画を提案しました。アスリートのような練習ではなく、運動から遠ざかっている人や、初めて走るような人に向けての授業でした。
授業には30名以上の方が参加してくれ、「次はいつあるの?」とか「友達も連れてきたい」といった、前向きな感想をたくさんもらえました。楽しんでもらえるか不安もあったのですが、運動から遠ざかっている人の背中を後押しできたことが嬉しかったですね。久しぶりに運動をする人の気持ちが分かるだけに、やりがいが大きかったです。
休職の不安感と、進むべき道の決断
仕事に対する悩みは続いていましたが、以前から関心があった「人に教えること」に関われるようになり、生活は充実していました。競技としても取り組んでいたので、レースに出場する機会も増えました。
ある時、トライアスロンの大会で頑張りすぎた結果、倒れてしまいました。意識不明になり、気づいた時には、病院に。後遺症は残らなかったのですが、無理をして辛い思いをしたことで、気持ちが運動から離れてしまいました。
再び仕事中心の生活になると、それまで運動があったから保たれていたバランスが崩れてしまい、再び眠れなくなりました。医師からは、「睡眠障害だから仕事を休んでください」と言われ、会社を休職することに。診断直後は気持ちの整理がつきませんでした。「休職=社会から断絶される」というような感覚があり、とても不安でした。社会に対して何かしたいと、強く感じました。
思い悩んだ結果、自分にできることは、「人が運動することを応援することだ」と思い立ちました。運動する人の背中を押せるような機会をまた作ろうと考え、世界遺産をランニングするイベントを企画しました。
カナダに留学して以来、国内の世界遺産にも積極的に足を運んでいました。「世界遺産検定」なども受け、その土地を深く知るようになってからは、世界遺産の魅力をより一層感じていました。
世界遺産の魅力を、他の人にも味わってほしい。そんな思いから、現地のガイドさんと一緒に、世界遺産の周りを走りながら、その土地について学ぶイベントを開催すると決めました。「世界遺産」に、「Run(走る)」と「Learn(学ぶ)」を合わせて「せからん」と名付けました。30代から50代を中心に30人ほどの参加者に楽しんでもらえました。
休職前は、仕事をしながらの活動ということもあって、人目を気にして控えめにやっていました。それが、休職してからは、自分が出来ること、期待してもらえることを突き抜けてやってみよう、と考えるようになりました。「せからん」では、素直に自分がやりたいと思ったことに対して前向きな反響をもらえたので、なおさら嬉しかったですね。
他にも、フィットネスクラブのインストラクターを手伝うようになり、少しずつ活動の幅が広がっていきました。
治療期間が終わりになり、会社に戻るか、それまでの延長で、個人で運動に関わる仕事をするか考えました。どっちか自分が満足してるかを考えたら、やっぱり運動で人の背中を押すことだったんですね。そこに迷いはありませんでした。会社を退職して、独立することに決めました。
運動を通じて元気に活動できる人を増やす
現在は、屋外で自然に触れながら運動を行う「アウトドアフィットネス」を専門にしながら、フィットネスクラブのインストラクターをしたり、インストラクターを育成するアウトドアフィットネス協会の事務局を務めたりしています。個人で運動に関わるイベントの開催もしています。
アウトドアフィットネスでは、ランニングやウォーキング、ポールを使って歩くノルディックウォーキング、トレッキングなど、屋外で行うアクティビティを中心に行っています。アスリートのように競技志向ではなく、遊びながら楽しんで健康に繋げていくことを目的にしています。
「せからん」は、楽しみ方の幅を広げるため、走るだけでなく歩くことを中心としたイベントを増やし、世界遺産だけでなく身近な場所でも開催しています。気軽に止まったり、ルートを変えたりと、歩きだからこそできることがあるのは新たな発見でしたね。何より、参加のハードルが下がるので、お子さんからご年配の方まで参加してもらえるようになったことが嬉しいです。
私は小さい頃から身体が弱く、環境の変化にも弱かったのですが、運動とうまく付き合えていた時期は、心身ともに健康でした。だから、何かに悩んだり苦しんだりしている人に、運動を始める手助けをすることで、楽になって欲しいんです。また、運動したいけど上手くできない人も応援したいですね。運動を始める背中を押す役割を私が担当し、本格的な運動をするようになった人は他のインストラクターに繋げていくようなこともしていきたいです。
最近は、シニア向けの運動教室を運営する母の手伝いもしていて、高齢者の方を対象に簡単な歩き方やピラティス、ストレッチなども教えています。また、私生活では外国人と一緒にシェアハウスに住み、そこでも運動を教えています。年代も国籍も超えて、多くの人が運動を通じて元気になるように、これからも活動の幅を広げていきたいですね。
2016.02.05