エネルギーインフラから、人のインフラへ。
3代目として、可能性を持って家業を継ぐ。
家業のガス屋を継ぎ、時代に合わせた「地域の人のインフラ企業」への転身を目指す川嶋さん。「失敗を失敗だと思っていない」と語る通り、スターだらけの野球部でも、リーダーシップスに悩んだ大学時代も、常に前向きな姿勢で乗り越えてきました。川嶋さんの行動の背景にある想いとは。3代目として向かいたい先とは。お話を伺いました。
川嶋 啓太
かわしま けいた|人のインフラ企業をつくる
祖父から続く「NEXT・カワシマ」の3代目。茨城県ひたちなか市で、「人のインフラ作り」を目指す。
色々な選択肢を探した少年時代
茨城県ひたちなか市で生まれました。小さな頃から、自由気ままな子どもでした。母によると、幼稚園でみんなが外に散歩に出ている中、一人で教室に残って本を読んでいるようなこともあったそうです。悩むことはあまりなく、気持ちが向いたことを自由にやるような性格でしたね。
実家は祖父が創業したプロパンガス屋で、父が2代目の社長です。小さい頃から父は仕事が忙しく、家にいないことがほとんどでした。親から継げと言われたことはありませんが、物心つくぐらいから「いつかは父の後を継ぐんだ。会社を祖父の夢である百年企業にしてみせる」と思っていました。
小学1年生の時の全校朝会で、校長先生が「今朝、道のごみ拾いを一生懸命している人たちに会いました。何のボランティアですかと聞いたら『川島プロパンって会社なんです、地域を綺麗にしたいんです』と言っていました」という話を、みんなの前でしました。それを聞いて初めて「うちの会社って地域に役立つことをしてるんだな」と、そんな見方をするようになりましたね。
小学生の時に野球を始め、高校まで続けました。高校は野球の強い学校で、周りにうまい人がたくさんいる状態。背も低くて痩せていた僕は、スター選手になれないことは明らかでした。だから、少し発想を変えて、どうしたらレギュラーになれるか、どうしたら自分が生き残れるかをとことん考えました。体格の関係ないバントがうまくなればいいんじゃないかとか、絶対エラーをしないためにはこうをすればいいんじゃないかとか。自分の立ち位置を、自分で作っていったんです。
野球に夢中になる一方で、「野球バカ」にはなりたくないと思っていましたね。ひとつのことに熱中するのはいいことですが、「それしか知らない状態」は、よくないと思っていたんです。選択肢はたくさんあるだろうって。それで、自分自身の選択肢や世界を広げるため、高校卒業後はゼロから全て見直せる環境に行こうと思い、知り合いが誰もいなくて、地元からも遠い関西の大学に進学しました。
自分らしいスタイルって何だ?
大学では野球サークルに入りました。1つ上の学年がいなくて、2年に上がる時になぜか僕が新キャプテンに指名されました。小中高と野球部でしたが、キャプテンなんてやったことがなかったので驚きました。
前キャプテンはカリスマ的存在で、その人が右と言ったらみんな右に行くし、左と言ったら左に行く感じ。僕はそのスタイルが理想的だと思ってたので、キャプテンになって同じことをやってみたんです。
すると、今まで10人くらい来てたメンバーが、2人くらいしか来なくなってしまいました。「あれ、やばい。なんか違うな」と、すごく悩みました。ただ、失敗だとは思いませんでした。前向きな性格なので、「まあこういうこともあるよな」と思っていました。
その状態をなんとかしようと思って、他のサークルのキャプテンにお願いして練習に参加させてもらったり、リーダー論についての本を読んでみたり、色々と試行錯誤しました。それで分かったのは、リーダーシップスタイルは、人それぞれなんだということ。みんな自分の強みを活かしていることが分かったんです。
「じゃあ僕の強みはなんだろう?」と考えたとき、僕は先頭に立ってやるタイプじゃないことに気づきました。前に立つのではなくて、僕が土台としてしっかり構えてる中で、みんなに自由に動いてもらい、「僕が責任取るから楽しくやろうぜ」って言えるのが僕のスタイルなんだなって。それが分かってから、やり方を変えました。
すると、サークルに人が戻ってきて、最終的には、お互いが強みや特性を理解して、それを踏まえて行動できるような、全員がキャプテンみたいなチームができました。自己流でも、なんとかやってみたことで理想のチームができたのが、すごく嬉しかったですね。
留学して気づいた自分のフィールド
その後もサークルのメンバーと一緒に地域を盛り上げたり、チームの強さを強固にしていったり、またそれを下の代に受け継いだりと、4年生まで思い切り活動を続けました。周りは就活真っ最中でしたが、僕は就活はしませんでした。キャプテンの仕事を通じて色んな人と接する中で、もっと視野を広げたら、もっと面白くなるのではないかという思いがあったんです。それで、父親に「家を継ぐから留学させてくれ」と頼みこみ、多様な人がいるだろうと感じたニューヨークに行きました。
ニューヨークでは、積極的にいろんな人に会いました。特に、駐在している商社マンなど、日本人の先輩と話す機会をたくさん持てたのが良かったです。本気で仕事をしている先輩方がすごく多かったんです。
「今日本ではこんな問題があるから、解決するために明日からこういうことに取り組むんだ」みたいなことを、飲み会で普通に話していました。個人的な夢ではなくて、「こういう世の中になったらいいよね」という理想や「日本のために」という本気の思いを持っている人たちの存在を知り、ただただ、すごいと思いました。
僕は将来、実家の会社を継ぐと決めていましたが、魅力的な人との出会いを重ねるうちに、世界で活躍する商社マンへの憧れも出てきました。だた、「自分が良くしたい」と思う範囲はどこだろうかと考えると、大学で自分のチームや所属するサークル連合の活動に取り組んだように、「自分がいるくくりの中でどう良くするか」を、常に考えていたことに気づいたんです。
じゃあ、今の自分に当てはめると、どの範囲なのか。地元に家族の会社があって、その会社を継ぐのであれば、まずはその地域をどう良くするかを考えるべきではないか。いずれその感覚が広がり、地元だけでなく茨城県のこと、もっといえば日本のことを考えられるようになるかもしれない。だけど、まずは自分のフィールドは地元だろうと感じたんです。
そう考えると、やっぱり実家の会社の資産を使って色々仕掛けたほうが、楽しいのではないかと感じました。元々、それまでと同じガス事業だけをやっていても大きくはならないだろうし、ガス以外の新しいことをやろうとは考えていたので、「なんでもできそうだな」と可能性を持って家業を継ぐイメージがあったんです。
外の世界を経験した後、家業へ
とはいえ、すぐに実家の会社に入るつもりはありませんでした。外の世界で働いてみないと、会社で働く社員の気持ちは分かりませんし、新しい発想を取り込む必要があると考えていたので。
就活では、早いスピードで成長できる会社を探し、SNSを活用してマーケティング支援を行っているベンチャー企業と出会いました。「SNSは人と人とつなげる仕事だ」という話を聞いて、ピンときました。僕も、これから地域で求められることは、人と人をつなぐことなのではないかと思っていたんです。思い描いていたことを実現する力を身につけられると感じましたね。それに、企業規模として、ちょうど実家の会社と近かったこともあり、一番学ぶことが多そうだと思いました。それで、その会社の新卒一期生として入社しました。
入社して最初の2年間は、営業をやりました。「良いものを提供したい」という気持ちとノルマを達成するギャップに難しさもありましたが、自分の強みを生かした営業のスタイルはなんだろうと考え、実行しました。結果、僕の場合は、今ある商品を販売するだけでなく、お客さまの将来にとって必要なソリューションを考えて提案するスタイルになりました。
新卒で入った会社では3年半働いた後、実家の会社に入社しました。元々は、5年ほど働こうと思っていたのですが、3年目に電力の自由化が始まり、翌年には都市ガスの自由化が始まることが決まりました。ここがターニングポイントだと思ったんですよね。ガス業界が変化する中で、将来新しいことに取り組む上で勝負どころだぞって。実際に新たなことを始めるタイミングの直前で家業に入っても、会社の中のことがあれば何もできません。下準備も含めて、地元に戻ろうと考えたんです。
社長である父と僕のカラーは違うので、それを周りにどう分かってもらうかは、苦労もありました。社長は天才型で、地域の人からの求心力があり、人をまとめあげるのも大得意。僕はそういうのが得意じゃなくて、どちらかというと仕組みを作っていくのが好きなタイプ。周りの人たちは、父である社長のカラーのまま僕のことを見てしまうので、それに対して自分がしたいことをどう伝えるかは重要だと感じました。
地元から日本を良くする事例へ
会社に入って2年半、将来社長を継ぐことを前提に、今は営業企画を担当しています。プロパンガス事業を中心に、リフォーム事業や太陽光の販売など、エネルギーインフラ事業を展開していますが、今後はいい意味で「ガス屋」ではなくなる必要があると考えています。エネルギー事業は人が減ると需要も減るので、縮小していくことが明らかです。エネルギーに変わる新たな柱が必要で、「エネルギーインフラ」から「人のインフラ」に変化することが、今後の生きる道かなと考えています。
要するに、地域の人の暮らしに対して全面的サポートをできる会社にしたいなと。60年もガス屋をやっていると、地元のたくさんのお客さまを抱えることになるのですが、お客さんと一口にいっても、居酒屋さんをやっている家庭もあります。その居酒屋に、晩御飯を外で食べたいと思っている別のお客さんを紹介したら一つの価値じゃないですか。
つまり、お客さんをベースにした地域のつながり、人のインフラを構築する可能性があるんじゃないかと思っています。そんな思いを込めて、会社名も「川島プロパン」から「NEXT・カワシマ」に変えました。
具体的な取り組みとしては、会員カードの発行を始めました。このカードを持っていれば、例えば家具の移動や粗大ごみの回収など、暮らしに役に立つサービスを無料で受けられます。また、地域の企業さんに加盟店になってもらっていて、カードを持参すると割引を受けることができます。さらに、福利厚生を提供する企業と提携しているので、旅行の割引などを受けることもできます。地域の人とのつながりを生み出し、暮らしを豊かにするような会員サービスを構築していきたいですね。
同時に、人が集える場づくりもしています。灯油やウォーターサーバーの水を販売していた店舗の一部を改装して、お客さんが教室やイベントを開催したり、地域の人たち向けのイベントをできるようにしました。訪れるハードルをとにかく下げることで、いろんな人が集まり、つながりが生まれる場所にしたいと考えています。
将来的には、地元から始まり、ひたちなか市、茨城県を良くする活動につなげて、日本が良くなる事例になればいいなと思っています。おそらく、これから地方分権が進み、東京一極集中ではなく、地方の中に人が集約するのではないでしょうか。その流れの中で、お金を稼ぐとか、人口を倍増するとかではなくて、地域の人たちが地域を好きで、他とは違う魅力に対して人が集まるという状態をシンプルに目指してます。僕としては、地域にあるたくさんの良い面を、別の人が違う角度から見ることで見つけられたらと考えています。
僕は別に頭が良いわけでもないし、何かが突出してできたわけではありません。でも常に前向きに、何をしたらもっと良くなるかを考え続けていたら道が開けてきました。これからは、地域の子どもたちにもそれを伝えていきたいです。
2018.04.06
川嶋 啓太
かわしま けいた|人のインフラ企業をつくる
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