寝たきりの17歳と社会を繋いだファッション。
恩返しのためにパイオニアとして切り拓く道。

広告代理店にてファッションとテクノロジーを結びつける新規事業を行う傍ら、ファッションブランドのクリエイティブディレクターでもある小菅さん。大病を患い、約2年間水を飲むだけの寝たきり生活を経験した小菅さんにとって、ファッションとはどのような意味をもつのか。28歳から大学に通い、ベンチャー創業を経て就職活動と、無理だと言われることに挑戦するパイオニアになろうという背景には、「恩返し」の思いがありました。

小菅 将幸

こすげ まさゆき|広告代理店勤務兼クリエイティブディレクター
ファッション広告代理店で働く傍ら、ファッションブランドのクリエイティブディレクターを兼務する。

ファッションブランド LIFE IS

17歳、原因不明の大病の向こう側に見た世界


私は神奈川県平塚市に生まれ、母は公務員、父はトラックの運転手という平凡な家庭に生まれました。

高校までは大学の付属高校に通っており、地元でも比較的強いサッカー部に打ち込んでいました。また、漠然とですが官僚への憧れがあったので、卒業後は附属の学校ではなく、他大学を受験して官僚を目指そうと考えるようになりました。あまり深い理由は無いものの、どうすれば面白い人生になるか考えた結果、官僚がカッコいいのではないかと感じたんです。そこで、高校3年生になってからは嫌いな勉強に必死に取り組み、1日16時間も勉強する日々を過ごしました。

ところが、そんな生活を続けた高校3年生の12月、突然原因不明の症状で倒れてしまったんです。勉強をしている最中に急に倒れ、ぱっと目を覚ましたときには、目の前に病院の天井がありました。その景色を眺めながら「人生終わったな…」と思いました。もう官僚にもなれないだろうなと。17歳のことでした。

しかも、その後どの病院のどの診療科に行っても、原因や病気が分からなかったんです。原因が分からないため、どの病院でも入院させてもらえず、家の中にいるしかない状況で、身体が動かない状態だったので、受験ができないないだけでなく寝たきりで水だけを飲む生活が半年も続きました。

家でテレビを見ていても、画面がぶれて見えなかったですし、水を点滴のように飲むことしか出来ないので、「何をしているんだろう、なんでだよ・・・」と、自分がなぜ生きているのか、5万回くらい自問を繰り返しましたね。

それでも答えが出るわけではないし、いつのまにか、「こんなもんか、まあいっか」と思えるようになっていました。特に『メメント・モリ』という本を読んで、人生のゴールを「死」だと思うようになってからは気が楽になっていきました。「ここで終わるならもっとできるっしょ」という感覚になったんです。

そこで、1年半程経ち、固形物を食べられるようになってからは、親に隠れてこっそり天丼を出前で頼む等、少しずつ自分のしたいことを始めるようになりました。物事を相対的に見なくなり、人の目を気にすることもなくなっていきました。「殻をぶちこわされたら、意外とすごい世界があった」というような感覚でしたね。病気をして以来始めての天丼は、「なにこれ、こんな美味しいの!?」という程感動で、食べログで評価8をつけたいレベルでした。(笑)

また、少しずつ外に出られるようになってからはアルバイトも始めたのですが、身体が中々持たず、すぐにまた倒れてしまうんです。そのため、アルバイトをしても1日働いて倒れて、の繰り返しで、結局、100個近くのバイトに挑戦することになりました。もどかしい気持ちと申し訳なさから、お給料はすべて返金していましたね。

自分と社会をつないでくれたファッション


また、水しか友達がいない状況を見かねて、母親から「あんた暇だよね、小遣いやるから外へ行ってきな」と言われたので、好きな服を着てファッションをキメて、原宿のGAP前に座り込み、人間観察をするようになりました。

ちょうど、セックス・ピストルズの影響を受けてパンク系のファッションにはまっていたので、ピンクのロン毛に、黄色いロングコート、赤いタートルネックという出で立ちで、自分で作った服を着ることもありました。

「自分は存在するんだ」ということをファッションで発信していたんです。

すると、そんな風に座っている私に、「カッコいいじゃんその服!」と声を掛けてくれた人がいたんです。誰かと話し、コミュニケーションをとることが出来たことで、社会との繋がりをもてたような気がして、涙が出るほど嬉しかったです。「友達ができた!」と感じましたね。

それからは、一緒に海へ行くほど仲良くしてくれる友達も出来、精神的にも体調面も、次第によくなっていきました。そして、声をかけてくれた人からファッションモデルの仕事の誘いを受けたんです。仕事内容は立っているだけで良いと聞いて、自分にも出来そうだと思って始めることにしました。

実際に始めてみると、ファッションに関わる仕事を通じて社会と繋がる感覚はより強まっていき、ますます自分の存在を認められている気がして嬉しかったですね。

その後、モデルの仕事を続けるにつれて、次第にファッションに関わる様々な役回りをこなしてみたいという気持ちが強くなり、モデルではなくカメラマンの仕事を行うようになりました。また、しばらくして、フリーペーパーの編集長も並行するようになり、文字を載せないインスタグラムのような雑誌の発行も始めました。

そんな活動を続けていくと、次第にファッション雑誌については、紙だけでなく電子書籍の可能性があることにも惹かれていき、新しい分野で仕事をしたいと考えるようになりました。自分たちで発行するフリーペーパーは、美容院などに配っていたのですが、もっと大きいところで挑戦したらどうなるかを知りたいという気持ちもありました。

そこで25歳のタイミングで、当時唯一電子書籍を扱っていた大手広告代理店へ入社を決めました。基本的には大卒が条件だったのですが、人事の方に猛烈アプローチをしてなんとか採用してもらうことができたんです。

32歳大学生の就職活動と、2度目の大病


就職してからは、インターネットに関心があることを伝え、雑誌局の電子書籍を扱う小さな部門へ配属されました。まだ小さい規模の部署でしたが、紙と比べて体験として悪化することはなく、逆に利便性が高くなる。「電子書籍はこんなに面白いのになぜみんなまだ気づかないのだろう?」という気持ちでしたね。

そして、入社して2年目には海外の高級ブランドでのオンラインプロモーション担当になり、ファッションとwebを掛け合わせる試みを行い、結果的に130%以上売上を伸ばすことができたんです。実際に検証をすることもでき、すごく手応えを感じました。

しかし、次第に「もっと面白いことできないかな」と考えるようにもなっていきました。いずれは自分で事業を立ち上げたいという思いを抱くようになったため、ビジネスを体系的に学びたいという気持ちもあり、大学に行くことを考えるようになったんです。

28歳ということもあり、大学に入っても、就職ができないと周りからは反対をされました。また、Yahoo知恵袋を見ても、医学部以外は出口が無く厳しいんじゃないかと書いてあったんです。しかし、そういった状況だからこそ、パイオニアになることができれば周りを勇気づけることができるんじゃないかと考え、最終的には横浜市立大学の会計学部への入学を決意しました。

しかし、入学して1年は、同級生との言語が合わずにストレスを感じましたね。まさに「世代留学」をしたような感覚で、同じ日本語のはずなのに、言っていることがよくわかりませんでした。(笑)それでも、次第になんとか打ち解けていき、ファッション分野で気の合う友達も出来ていきました。

そこで、2年生になったタイミングで、仲間とファッションをテーマとしたベンチャー企業を創業しました。自分をここまで社会と繋げてくれた「ファッションに恩返しをしたい」という気持ちが強くありましたし、その思いに共感してくれる仲間がいたんです。

その会社では、だれでもデザイナーになってTシャツ作成ができるサービスを運営しました。初めて組織を運営するという経験をし、喧嘩ばかりでメンバーが辞めていくこともあり未熟さを感じましたが、毎日楽しかったですね。

そして大学3年生になり、就職活動の時期を迎えると、興味本位で私も就職活動を始めました。同じ世代がどういう企業に関心があるのかを知りたかったですし、自分の年齢で大学に入った人が新卒フローで入社できるのかを確かめたかったんです。

すると、10社にエントリーをして、6社から内定をもらうことが出来たんです。「就職できない」と散々言われて来たので、「やっぱりみんな嘘をついているんだな」とお思いましたね。(笑)改めて何にでもなれるような感覚を持ちました。

結局、大学4年で自分の会社が潰れてしまったこともあり、「ファッションに恩返ししたい」という変わらぬ気持ちから、ファッションに特化した広告代理店に就職することを決めました。

そんな生活を経て、大学4年生になったある時、学食でカレーを食べているときに、病院から健康診断の結果について電話がありました。「肺に陰があります」という連絡を受けたんです。一度倒れていたこともあって、免疫がついていたのか、「あ〜、来たか〜」という気持ちでした。

病名は「サルコイドーシス」というリンパに腫瘍ができる病気で、5万人に1人しかならない難病でした。症状としては、常に39度の熱を出しているような身体のだるさが続くもので、いわゆる難病と言われる種類のため、効果のある薬などは無い状況でした。

そこで、「じゃあ、無かったことにしよう」と、病気であることを気にせずに生きていくことに決めたんです。何十兆もある細胞を勘違いさせ、頑張ってもらおうと思ったんですよね。

そして、病気のことも伝えた上で、32歳で新卒で入社をして会社で働き始めました。

ファッションを通じて精神的な豊かさを


入社してからは、「ファッションをITで広げる」ということをテーマに、ファッションとテクノロジーを結びつけるような新規事業の運営を行っています。大学時代にベンチャーを起こし、一度夢は破れたものの、思いは変わらず、ファッションの可能性を広げるようなイノベーションを担っていきたいという気持ちがあります。

また、並行して個人がブランドを持って発信できる世界を目指し、難病時代に書いた絵本をもとにしたファッションブランドに、クリエイティブディレクターとして携わっています。大学のベンチャーで挑戦したように、自らが自分のブランドで生きていく世界に向けて、引き続きパイオニアとして挑戦していければと考えています。

また、つい最近の話ですが、自分に「病気じゃない」と言い聞かせ、勘違いをさせた結果、先日の検査で全て影が消えて完治することが出来ました。両親は本当に喜びましたが、個人的には「ああ、やっぱりそうか、そうですよね」という感覚でした。難病も治るんです。

これまでの経験からも、やれば何事でもできるし、その結果がファッションの恩返しにもつながると思うんですよね。一番は、ファッションに助けられたという思いがあるからこそ、楽しみながらも恩返しをしていければいいなと思います。

最近はファッションという言葉が、単なる衣服等を越えて、「生き方」に付随して語られるようになっているような気がします。そんな時代だからこそ、モノや情報としてだけでなく、精神の部分をファッションを通じて豊かにしていくことに挑戦していければと思います。

2015.05.09

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