世界に誇る「応接の文化」を発信していきたい!
いつでも、どこでも、だれでもできる煎茶道。

煎茶道「三癸亭賣茶流(さんきていばいさりゅう)」の家元の長女として生まれ、現在は広報や事務局で仕事を行う島村さん。元々は家の仕事への興味は薄く、将来は専業主婦になると考えて東京でOLとして働いていました。そんな島村さんが、なぜ実家に戻り、東京と広島を行き来して煎茶道を広める活動に魅了されているのか。お話を伺いました。

島村 満穂

しまむら みちほ|煎茶道を多くの人に広める
煎茶道「三癸亭賣茶流(さんきていばいさりゅう)」の本部事務局で広報として働きつつ、「MY SENCHA SAOLN」主宰としてテーブル専門の講座を担当、茶器のプロデュースや煎茶道のケータリング事業などを手がけている。

煎茶道の家元で生まれる


私は広島県呉市で、煎茶道「三癸亭賣茶流(さんきていばいさりゅう) 」3代目家元の長女として生まれました。物心がついた頃には祖母に連れられてお茶会に参加し、個別指導も受けていました。ただ、正直のところ、正座と和菓子が苦手でしたね。

普段の生活でもマナーや整理整頓には厳しく育てられました。しかし、島村家には、どこか自由な雰囲気があり、父から直接、家業に従事してほしいということは、一度も言われませんでした。

中学からは、福岡県にある私立の中高一貫の女子校に通い始め、寮での生活をスタート。校則はなかなか厳しかったのですが、福岡という県民性なのか、学校の雰囲気なのか、自由で明るい芯をしっかりもった仲間との生活は、とても楽しいものでした。

一方で、実家が煎茶道の家元であることは、友達には隠していました。
家元の娘と知られたら「由緒正しい」「マナーがしっかりしている」と思われて、普段の生活も気にされてしまうかもしれないと思っていたのです。

卒業後は東京女子大学に進学しました。小学校の時に出会った憧れの女性の出身校だったので、どうしても入りたかったのです。

そして、実際に大学に入ってからは、家庭教師の営業のアルバイトに力を入れました。最初は勉強を教える側として仕事を始めたのですが、ある時から家庭教師と同行しご家庭にプランや教材をお伝えしていく営業の仕事を任されるようになりました。先生の魅力をどうやって伝えるか、また営業数字をどう上げていくか考えるのは楽しかったですね。

将来は専業主婦になるのかなと漠然に思っていた


将来は、専業主婦になりたいと思っていたので、就職活動のスタートはかなり遅いものでした。親戚の女性に専業主婦が多いため、あまり働くというイメージがつかず、それが既定路線だと思っていたのです。ですから本格的に就職活動を始めたのは大学4年頃からと、一般的にはかなり遅い時期でした。

金融、航空系、ITなどいろいろな業界を受けて、最終的に大手の化粧品会社に営業職として入社することにしました。もともと化粧品業界に憧れていたこと、メイクやエステに興味があったのはもちろんですが、アルバイトでやっていた営業の仕事に近かったことが一番の決め手でした。

仕事の内容は、化粧品を販売する数店舗のエステサロンを対象に、新商品の説明や売り方の研修を行うことでした。新人研修を担当したり、店舗との会議では数字を追いかける日々。配属されてすぐに色々と大きな仕事を任せてもらえ、ありがたい環境でした。働く中では、商品の良さを越えた、「人と人とのコミュニケーション」がいかに大切か身をもって知ることができましたし、仕事の進め方、やりがいを知ることができました。

ただ、仕事に慣れてくれると、色々なことをしてみたいと、好奇心も湧いてきました。そこで、化粧品会社は数年で退職し、金融関連会社の事務職に転職することにしたのです。

ところが、それまでの営業職と違い、事務職は外に出られないので、「もっと仕事をしたい」と物足りなさを感じてしまいました。営業のサポートをする仕事をしていても「自分が直接お客さんの元に行きたい」と思うのです。もちろん、日々の仕事に不満があったのではないものの、心のどこかに引っかかっていました。

10年以上振りに広島へ戻り煎茶道の道へ


そんな気持ちを持ちつつも、しばらくOLとして働いていた28歳の秋、急に実家から「広島に戻ってきて欲しい」と連絡がありました。家元秘書のポストが急遽空いてしまったという知らせでした。

広島は小学校卒業以来住んでいないので、あまり馴染みのない土地。ただ、ちょうど仕事や東京で暮らすことに心のどかこでモヤモヤしていたこともあり、直感で「じゃあ戻ろう」と思いました。そして、急遽広島での生活が始まったのです。

本部事務局での私の仕事は、全国にある29の支部支所へのサポートや財団の決算業務。銀行で働いていた時に簿記の勉強をしていたのでそれは活きましたが、煎茶道を誰かに教えたり、お茶会を開催するような仕事はありませんでした。

ただ、改めて家元や弟の点前を見たりお茶会に参加するたびに、次第に自分も煎茶道をやりたいと思うようになりました。気づくと、昔は苦手だった和菓子の美味しさや、煎茶道に触れられる喜びも、自然に心で感じられるようになっていたのです。

そして、仕事に余裕が出てくると、煎茶道をもっと広めたいという気持ちも湧いてきました。そこで、先生方の今までしてきた活動を邪魔せずに、私ができることが何かあるんじゃないかと思ったのです。

煎茶道を知ってもらうための、様々な形での広報


ただ、事務局ではそれまで広報活動はしていなかったし、お茶会以外での公のイベントはほとんどありませんでした。そんなことをイベント企画会社で働いていた友人に話すと、東京国際フォーラムで開催される子ども向けのイベントで、煎茶道のワークショップをさせてもらえることになりました。

集まった450名ほどの親子を対象に、先生たちからお茶の指導をしてもらいました。私は総合司会をしつつ、会場では親御さんと直接お話する機会を持てました。すると、驚くほど煎茶道が知られていない現実がありました。抹茶を用いた「茶道」は知っていても、急須等を用いる「煎茶道」は知られていなかったのです。

ただ、それは決してマイナスイメージではありませんでした。それなら、もっと多くの人に知ってもらうためのことが色々できると思ったのです。

それがきっかけとなり事務局として裏方の仕事をしながら、広報活動を始めました。2014年12月には、大学の同窓である友人が主宰を務めている女性の学びを応援するプラットフォーム大学にて、講座を担当することになりました。

すると、そこでは「茶器を購入したいけれどどこで買えばいいですか?」という声があったので、茶器をプロデュースする「MY CHAKI」というプロジェクトも始めました。お茶会の空間を演出する茶器は、愛着のあるものを使いたいと思う人も多くいます。もちろん市販のものを買うのもいいんですけど、どうせなら、その人に合わせたデザインの茶器を作れるようにしようと思ったのです。

さらに、ある出版社開催の対談イベントでは、和菓子と煎茶を提供してほしいとの依頼をきっかけに、和菓子と煎茶をブッフェ形式で提供するケータリング事業も開始することになりました。どんどん活動の幅は広がっていますが、全ては煎茶道を多くの人に知ってもらい、現代の生活の中で取り入れてもらいたいという思いひとつです。

伝統あるお茶会を現代のライフスタイルに合わせて


現在は、月の8割ほどは東京に出て様々な広報活動を行い、2割ほどは広島に戻って事務局の仕事をしています。今の仕事は、周りの知人の目から見ても「合っているね」と言われる程楽しんでいます。

これだけ自由に活動できるのは、私たち三癸亭賣茶流では、「いつでも、どこでも、だれでもできる煎茶道」と掲げているからです。煎茶道のお茶会では、美味しいお茶を入れるだけではなく、人と人とのコミュニケーションを充実させることが主たる目的です。そのため、約25年前から、気軽にお茶会を楽しんでもらうために、座敷ではなくテーブルで楽しむスタイルも取り入れていたりと、点前やお花の飾り方も日々変化しています。

そのように、伝統を継承していくために、現代のライフスタイルに合わせて私も色々と提案をしていけたらと思っています。特に、今は和菓子と煎茶のケータリング事業の準備を進めています。早く実現していきたいですね。

また、今後は個人向けだけではなく、企業を対象に煎茶道を発信する機会を作りたいと考えています。例えば、秘書課で働く人や、接客を大切にしている旅館など、お茶にこだわる人向けの研修などできたらと。私自身、大勢の前で煎茶道を伝えることが好きなので、どんどん人前に出て行きたいのです。

色々なことに挑戦する一方で、自分のお稽古も休まずに継続しています。煎茶は今後の人生に軸にしていきたいと考えていて、「うまくいかなかった」と途中で放り出したくない。そのためには、基本を大切にし、「続けていくこと」が大切だと考えているのです。

私自身、煎茶道が大好きです。お茶自体もそうですし、茶器や飾り付け、お花の活け方、和菓子など、その空間を彩る全体に魅力を感じています。このお茶会の魅力を多くの人に届けたいですね。

また、お茶会を特別な場にするのではなく、家で開いたり、会社で開いたりと日常で取り入れる人を増やしたいです。お茶会は、コミュニケーションを充実にさせるものですから。そのために、これからも新しいことにどんどん挑戦していきたいです。

2015.11.23

島村 満穂

しまむら みちほ|煎茶道を多くの人に広める
煎茶道「三癸亭賣茶流(さんきていばいさりゅう)」の本部事務局で広報として働きつつ、「MY SENCHA SAOLN」主宰としてテーブル専門の講座を担当、茶器のプロデュースや煎茶道のケータリング事業などを手がけている。

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