茨城県ひたちなか市で生まれました。小さな頃から、自由気ままな子どもでした。母によると、幼稚園でみんなが外に散歩に出ている中、一人で教室に残って本を読んでいるようなこともあったそうです。悩むことはあまりなく、気持ちが向いたことを自由にやるような性格でしたね。

実家は祖父が創業したプロパンガス屋で、父が2代目の社長です。小さい頃から父は仕事が忙しく、家にいないことがほとんどでした。親から継げと言われたことはありませんが、物心つくぐらいから「いつかは父の後を継ぐんだ。会社を祖父の夢である百年企業にしてみせる」と思っていました。

小学1年生の時の全校朝会で、校長先生が「今朝、道のごみ拾いを一生懸命している人たちに会いました。何のボランティアですかと聞いたら『川島プロパンって会社なんです、地域を綺麗にしたいんです』と言っていました」という話を、みんなの前でしました。それを聞いて初めて「うちの会社って地域に役立つことをしてるんだな」と、そんな見方をするようになりましたね。

小学生の時に野球を始め、高校まで続けました。高校は野球の強い学校で、周りにうまい人がたくさんいる状態。背も低くて痩せていた僕は、スター選手になれないことは明らかでした。だから、少し発想を変えて、どうしたらレギュラーになれるか、どうしたら自分が生き残れるかをとことん考えました。体格の関係ないバントがうまくなればいいんじゃないかとか、絶対エラーをしないためにはこうをすればいいんじゃないかとか。自分の立ち位置を、自分で作っていったんです。

野球に夢中になる一方で、「野球バカ」にはなりたくないと思っていましたね。ひとつのことに熱中するのはいいことですが、「それしか知らない状態」は、よくないと思っていたんです。選択肢はたくさんあるだろうって。それで、自分自身の選択肢や世界を広げるため、高校卒業後はゼロから全て見直せる環境に行こうと思い、知り合いが誰もいなくて、地元からも遠い関西の大学に進学しました。