日本文化の魅力を日本、そして世界へ!
海外での挫折を乗り越えたどり着いた使命。
日本の文化を通じて人々の生活をより豊かにすることを目指し、日本文化に関わる様々な事業を展開するジャパントラディショナルカルチャーラボ 代表の神森さん。ベルギー、フランスでの生活を通じてたどり着いた「ミッション」とは?「人生は自分で切り拓いていくもの」と語り、挑戦し続けている神森さんにお話を伺いました。
神森 真理子
かみもり まりこ|日本文化の魅力を伝える
ジャパントラディショナルカルチャーラボ株式会社(JTCL)代表取締役。ベルギー・フランス生活を通じ、「日本文化の活性化」という生涯の目標を見出し、会社員としてマーケティング・PRの仕事に従事しつつ、日本文化の伝道師として、日本文化・食・アートの魅力を発信するイベント企画・プロデュース・執筆・講演などを多数手掛ける。日本の結婚式を通じ、日本文化の魅力を発信する情報サイト「和∞結」を運営。
日本文化に関する多数の企画・コンサルティングプロジェクトに従事した後、独立しジャパントラディショナルカルチャーラボ株式会社 代表取締役に就任。
日本文化関連の企画・コンサルティング、和の婚礼、日本文化を学べるwebスクール「nippon labo」などの事業を展開。日本酒「笑酒来福(しょうしゅらいふく)」、和のアクセサリー「豆銀(まめぎん)」など、和の商品企画・開発も手がける。
【クラウドファンディングに挑戦中】世界中の人が気軽に日本文化を学べるwebスクールを作りたい!
「理解し合うこと」の難しさ
私は東京で生まれました。小学校1年生の夏休みに父の転勤でベルギーに引っ越すと、現地の学校でいじめられるようになりました。そんな経験は初めてで、原因は自分にあると思っていました。自分は醜く、価値がない。生きている意味なんてないのではと。
しかし、そんな弱音をはくと、普段穏やかだった父にひどく叱られてしまったのです。父は、私のことをいつも大切に思い信頼し応援してくれていることなど、多くのことを伝えてくれました。この時、自分は両親・家族からどれほどの愛情を注がれ生かされているのかを感じ、生きていることに対する感謝の思いや、自分の存在を認めてもいいと自信が込み上げてきたのです。
そして、改めていじめの原因を考えた時、「未知の存在」だと思われていることに根本的な問題があると感じたのです。学校には日本人は私ひとりでしたので、周りの人は日本という国や文化を知らないですし、私自身もそれを伝えることができない。周囲もよく分からないから、拒絶してしまう。
同様に、周りからすると私個人も何者か分からないのだろうと思い、語学を身につけると同時に、まずは自分の圧倒的な強みを発揮することで、私という人間を知ってもらうことにしたのです。語学のハンデが少なく、結果が明らかな算数や記憶系の勉強をひたすら頑張ったり、「日本人とは?」「自分とは?」「生きるとは?」ということを日々考え発信したりするうちに、次第にいじめはなくなっていき、気づけば周りと仲良くなっていました。
この経験から、価値観が異なる人、特に国籍の異なる人同士が本質的に理解し合い対等な関係を築くためには、核にある「文化」を理解し認め合うことが大切だと実感し、将来は日本文化を海外に伝える活動をしたいと、漠然と考えるようになりました。
そして、4年ほどして日本に帰国しました。しかし、正直なところ、対等と思える程の関係は築けなかった挫折感もあり、いつかもう一度海外で挑戦したいと思っていました。
人生は自分で切り拓いていくもの
日本に戻ってからは、逆カルチャーショックで日本に馴染めないと感じる瞬間もありました。ただ、理解してもらえないと言っても、ベルギーにいた時程大変ではありませんでした。むしろ、人はそれぞれに異なった価値観をもち簡単には分かり合えないことが自分の中では前提となっていたので、理解してもらえるように必死に伝えて、少しでも伝わった時には感謝できるようになっていました。
また、ベルギー時代に、劣等感をもち挫折をしたおかげで、とにかく自分は人の何倍も努力し、謙虚でいる必要があると感じていましたし、負けず嫌いだったので、努力は「苦」ではなく、よりよい未来を創ることにつながる「喜び」でした。そして自分で定めた目標を達成することで、アイデンティティを保っていました。
通っていた学校は小中高一貫校でしたので、中学、高校と内部進学していきました。ただ、多様な価値観の人と関わりたいと思っていましたので、高校生になるとボイストレーニングや演技のレッスンに通い始め、積極的に学校外の世界とも触れるようになりました。
レッスンに参加している人たちの生き方は、私にとって衝撃的でした。人生を賭けて芸能の世界で活躍していたり、目指していたりする人ばかりで、私とは生きる覚悟や人生に臨む熱量が違うと感じたのです。私も自分なりには努力していたつもりが、ベルギーにいた時のような必死さをもって日々生きていないと感じていて、優等生で型にはまった生き方に対する焦りや、人生の舵を自分でとれていないのではないかと不安もあったのです。
そこで、改めて自分自身で開拓した環境の中で挑戦する生き方をしたい、もっと多様な価値観に触れ、一から理解しあえる関係を築くための努力をしたいという思いが強くなり、環境を変えるため転校することにしたのです。新しい環境で一から人間関係を築いたり、並行して大学受験の勉強をしたりと大変でした。
しかし、自分自身の価値観をもとに一歩を踏み出したことで成長を実感し、周囲の意見や情報に左右されることなく自分の信念に忠実に挑戦していくことに自信を持てるようになり、「やらない後悔」は絶対にしたくないと考えるようになりました。
真に国際的であるためには、まず自国の文化について理解することが重要
高校卒業後は慶應大学文学部に進学しました。大学3年生になると、ベルギーでやり残した「他国の人と対等な関係を築く」ための挑戦をしつつ、将来の仕事につながる経験を積むため文化芸術・映画について学びたいと考えるようになり、フランス留学を決めました。
フランスでの生活はベルギーと異なり、親日的な人が多くすぐに周りと仲良くなることができました。一方で、自分自身の日本文化への理解の浅さに問題を感じるようになりました。
周りから見れば私は日本の代表者ですので、日本という国や文化全般について様々な質問を日々受けるのですが、相手が求めているレベルでは答えることができませんでした。彼らは自国の文化を深く理解した上で、同じレベルで日本文化を知りたいと思い質問しているのに、私は彼らと同等のレベルで日本という国や文化について語ることができなかったのです。
対等な関係を築くには、お互いが同じレベルで相手を理解しようと歩みよることから始まるのに、自国の文化を深く知らないと、相手からの質問にも答えることができない上に、相手の文化も本当の意味で深く知ろうとすることができない。これでは、異国の人と本質的な人間関係を築くことができず、真の意味での国際人になることはできないと強く感じたのです。そこで、日本文化を海外の人に発信するだけではなく、日本人自身が自国の文化を深く知る機会・土壌を作らねばと考えるようになりました。
また、そのための進路をどうすべきか、フランスにいる間に考えていました。日本の同学年の友人たちは就職活動をする中、自分は一歩遅れをとっているのではという焦りもありました。
しかし、フランスの学生たちは、「どこの会社に入りたいか」ではなく「どう生きたいか」の観点から人生を見つめていました。また、新卒一括採用がないこともあり、年齢に関係なく自分の道に進み挑戦している人ばかり。そんな友人たちと話すことで私の視野も広がり、人と比較することは無意味で、「人生は自分自身で創るものだし、納得のいく生き方をしたい」と改めて実感できたのです。
そして、やはり文化的な活動、日本と海外の架け橋になるような仕事がしたいと、人生のミッションが定まりました。その実現手段として、まずは就職して力をつけながら会社でできる限りの挑戦をしつつ、自分自身が社会に対しどのような貢献をできるのか、可能性を模索しようと考え、歌舞伎や日本映画など、日本の文化に関わる事業を展開する松竹に入社しました。
ミッションに忠実な、経営者の生き方に憧れる
入社してからはファイナンスの部署に配属となり、数字の面からビジネス全体を理解し、俯瞰的な視点をもつ経験を積むことができました。
また、社外の勉強会等に積極的に参加したり、自分でもそうした会を主催したりする中で、経営者とお話する機会も増えていきました。すると、私が出会った経営者の発言は、ネガティブな言葉がなく、前向きで力強い言葉ばかりだったのです。
それは、経営者の仕事は自分のミッションと直接繋がっており、課題に対する姿勢や覚悟が異なるからだと。どんな環境の中にも厳しさはありますが、それをいかに捉えるかという覚悟や使命感次第なのだと感じました。
そこで、経営者の近くで働き、経営者のマインドとスキルから学びたいと考えるようになり、松竹を卒業し、ベンチャー企業で働くことに決めました。
その後、映画関連の事業を展開する会社を経て、マーケティング支援サービスを提供するベンチャー企業に転職し、経営企画・広報・マーケティング担当として、経営者の近くで仕事をするようになりました。
また、並行して文化的な協会やNPOを立ち上げ、事務局としての活動、日本文化・芸術・食にまつわるイベントの企画・運営、執筆・講演・メディア出演といった発信する機会など、ベンチャー企業での仕事をしながら、多方面に活動しました。
そして5年ほど働いた時、勤めていた会社がグローバル企業と統合することになりました。統合によって組織も大きく変化し、会社として次のステージに進んだ感覚がありました。そこには私なりの達成感もあり、私自身も次のステージに進む時機だと、背中をおされるような出来事が不思議と重なったのです。日本文化の活動も、色々とご依頼いただく中で、専業ではないために実現できないことも多々あったため、「独立する時が来た」と感じ、勤めていた会社を辞め、ジャパントラディショナルカルチャーラボの事業に、全身全霊を賭けることにしたのです。
日本文化の魅力を日本、そして世界に届けたい
現在、日本文化に関連する企画、コンサルティングのほか、老舗企業とコラボレーションし、和の商品・サービスの開発など、国内外のお客様に向け事業を展開しています。
すでに日本文化に興味を持っている方々を対象とする事業とともに、日本文化に対するハードルが高いイメージを払拭し、日本文化になじみがなかった方々にも興味を持ってもらうための事業にも力を入れています。
2014年6月には日本文化をいつでもどこでも気軽に学ぶことができるwebスクール「nippon labo(ニッポン ラボ)」を開校しました。インターネットをよく利用する若い世代を含め、これまで日本文化にふれる機会の少なかったお客様にも知ってもらうための、はじめの一歩と位置づけています。そして、より深く体験したいという方向けにwebスクールと連動したリアルなお稽古・イベントの機会を提供することで、日本文化とその核にある心まできちんと発信・継承していきたいと思っています。
また、外国人向けの様々な仕事を通じ、日本文化をより深く体験したいという海外のお客様からのニーズが著しく増えていることを感じていましたので、webスクールでも、開発当初より第2のステップとして、外国人のお客様向けにもレッスンを開講することを目指していました。日本文化を身近に体験するはじめの一歩を創ることで、日本という国・文化に興味をもち、日本を訪れたり、深く学んだりするきっかけになればと。
そんな思いから、海外版のレッスンを作るために、クラウドファンディングを使って一部の資金を募ることにしました。元々、幼少期のベルギーでのトラウマから、人に何か(特にお金について)をお願いするのが苦手な私にとっては、クラウドファンディングに取り組むこと自体が1つの大きな挑戦でした。ただ、日本文化の魅力を世界へ届けるというプロジェクトについて多くの方々に知っていただき、共感し第三者としてではなく自分事として一緒に取り組んでもらえる仲間を探すのに「クラウドファンディング」は一番の方法だと思い、一歩踏み出すことにしたのです。
不安もありましたが、多くの方に共感し賛同していただくことができ、ご支援や応援コメントをいただけることは本当に嬉しく日々感動していますし、自分自身もまた少し自信を持てるようになりました。
海外向けのレッスンは、外国人の皆様だけでなく、日本人が海外の方に日本文化をご紹介する際にもお役に立てるものを目指しています。このプロジェクトを必ず成功させ、日本文化に関わる皆様がクラウドファンディングにチャレンジするきっかけとなれば嬉しいです。
日本文化の事業を展開する中で、海外での経験、松竹やベンチャー企業での経験など、これまで歩んできた道から得ることができたものをよい形で価値化し、社会に還元できたらと思っています。
2015.03.08
神森 真理子
かみもり まりこ|日本文化の魅力を伝える
ジャパントラディショナルカルチャーラボ株式会社(JTCL)代表取締役。ベルギー・フランス生活を通じ、「日本文化の活性化」という生涯の目標を見出し、会社員としてマーケティング・PRの仕事に従事しつつ、日本文化の伝道師として、日本文化・食・アートの魅力を発信するイベント企画・プロデュース・執筆・講演などを多数手掛ける。日本の結婚式を通じ、日本文化の魅力を発信する情報サイト「和∞結」を運営。
日本文化に関する多数の企画・コンサルティングプロジェクトに従事した後、独立しジャパントラディショナルカルチャーラボ株式会社 代表取締役に就任。
日本文化関連の企画・コンサルティング、和の婚礼、日本文化を学べるwebスクール「nippon labo」などの事業を展開。日本酒「笑酒来福(しょうしゅらいふく)」、和のアクセサリー「豆銀(まめぎん)」など、和の商品企画・開発も手がける。
【クラウドファンディングに挑戦中】世界中の人が気軽に日本文化を学べるwebスクールを作りたい!
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編集部の伊藤です。秋は悩みの多い季節と言われます。例えば、ファッション。先週真夏日があったと思ったら、今週は台風到来と秋は天気が激しく変わるので、何を着るか悩みますよね。でも、そこで無難なファッションを選ぶと気分が上がらない。ファッションが心理状態に与える影響の大きさは様々な研究が示していますが、実はanother life.にもその実例があるんです。今回は、ファッションをきっかけに自分に自信がついた3名のストーリーをご紹介します。ぜひご覧ください。
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