自然の摂理に基づいたシステムのデザインを。
個と全体の利益が一致する社会を目指して。

【BASE Q提供】関わる人や物事全てがより良い方向へ向かう会社をつくろうと、自然の摂理に基づいた「自然(じねん)経営」を行う武井さん。初めて起業した会社で失敗し、関わる人の人生を振り回すような会社は存在する意味がないと痛感します。そんな武井さんが見出した新しい組織の形と、目指す社会のあり方とは。お話を伺いました。

武井浩三

たけい こうぞう|ダイヤモンドメディア株式会社代表取締役
神奈川県横浜市生まれ。高校卒業後、音楽を学ぶために米国ロサンゼルスに留学。帰国後、友人と共にアパレル系インターネットメディアの会社を起業するもうまくいかず、1年で売却。2007年に不動産ITサービスを提供するダイヤモンドメディア株式会社を創業。「自然経営」を採り入れ、第3回ホワイト企業大賞を受賞。自然経営に基づいたシステムデザインで、既存の社会システムの刷新を目指す。

ミュージシャンになりたい


神奈川県横浜市で生まれ育ちました。横浜と言っても、最寄り駅から徒歩40分くらいかかる、陸の孤島と呼ばれる地域で育ちました。

幼稚園のとき、交通事故に遭いました。乗っていた車から勝手に降りて、別の車にひかれたんです。左足の膝から下がぐちゃぐちゃに。大出血していたので、父から大量に輸血してもらって一命を取りとめました。母につきっきりで看病してもらい、2カ月程入院しました。

退院して幼稚園に戻ると、突然頭が良くなったように感じました。文字がすらすら読めるようになって、精神年齢も上がった気がしましたね。入院中大人に囲まれていたからか、父の血が入ったことで何かが変わったのか原因はわかりませんでしたが、勉強も運動もよくできて、小、中学校の成績はいつもオール5でした。

ただ、なんの役に立つのかわからないことはやりたくなくて、教科書だけ読む授業は受ける価値を感じませんでした。逆に、しっかりと実学に紐づいている授業は熱心に学んでいましたね。要するに本質的なものが好きで、「なぜ」が分からないと力が出なかったんです。思想的な関心が強く、1人で物事を考えることが好きでした。

小学校6年生のときに、兄からギターを譲ってもらったことがきっかけでギターに目覚めました。音楽の魅力を感じて、小学校の卒業文集には「将来はミュージシャンになる」と書いていました。

中学校では、野球部に所属しながら、「毎日必ず2時間ギターを弾く」ことを自分に課しました。中学卒業後すぐにミュージシャンの道に進むことも考えましたが、将来を考え高校までは進学することにしました。服装や髪型の規則がない自由な校風の高校を選び、入学式にはピアス、茶髪で行きましたね。

苦しむために音楽をしているんじゃない


高校で音楽を続けるうち、音楽のジャンルの中でもブラックミュージックが一番かっこいいと思うように。そこで、高校卒業後に本場であるアメリカのロサンゼルスへ約2年間留学させてもらいました。ミュージシャンを目指す以上、1分1秒を無駄にしたくないと思ったんです。日本の、「高校を出たら大学いけなきゃいけない」という流れに身を任せることに納得できなかったのも理由の一つです。

アメリカでは、コミュニティカレッジの音楽学部に通いました。グラミー賞を受賞した先生が在籍しており、キャンパス内にレコーディングスタジオまである有名校です。音楽のセオリーを学びながら、ビッグバンドやクワイアーを組み、自分で作詞や作曲までやりました。

その頃、知り合ったチャイニーズアメリカンの人たちから刺激を受けました。彼らは自分でビジネスを立ち上げ、レストランやリサイクルショップ、ネットビジネス、クリーニング店など幅広い事業を手掛けていました。

すごいなと思って話を聞いたら、彼らは「就職するか起業するかはどちらでもよく、ただ自分の興味のあることをやるだけ」というすごくシンプルな理由でビジネスをしていたんです。それまで、音楽とビジネスは全然別のものに見えていましたが、彼らの話を聞いて全部一緒なんだと気がつきました。自分の好きなこと、得意なことで他人の役に立って、その対価としてお金をもらう。その点では、音楽もビジネスも全部同じでした。彼らの影響でビジネスにも関心をもち、音楽もビジネスも、「やりたいことを全部やろう」と思うようになったんです。

帰国後は、しばらくミュージシャンとしての活動を続けました。メジャーレーベルからデビューさせてもらい、楽曲の提供で印税をもらったこともありましたが、音楽だけでは生活できませんでした。バイト代わりにデイトレードをして稼ぎながら、後3年ほど下積みすれば、音楽で食べていける手応えを感じていました。しかし、その期間頑張ることがつらくなったんです。

音楽自体は楽しいはずなのに、創った曲が次の創作のプレッシャーになる。延々と続く生みの苦しみの中にいて「好きなことをやっているはずなのに、なんでこんなに苦しんでいるのだろう」と思うようになりました。

だんだんと外出できなくなり、精神的に行きづまるようになりました。自分の求めているのは、社会との繋がり。しかし、音楽活動をすればするほど、繋がりを作れなくなっていました。音楽が好きなのに、音楽で苦しむ理由が分からなかったです。

そんな折に、ちょうどお正月の箱根駅伝を見ました。走者が懸命に次の走者にタスキを託していく姿を見て、なぜか感動しました。「人の繋がりってこういうことだよな!」と思ったんです。世の中に貢献するために音楽をやっているのに、全く人と繋がれず苦しんでいるのに耐えられませんでした。そこで、以前から音楽以外にやりたいと思っていたビジネスを始めることにしました。ビジネスなら、組織の仲間や顧客と人として繋がれると考えたんです。

仕事は命よりも重い


23歳のとき、高校時代の友達3人を誘って起業しました。友達の1人は大学をやめて、1人は勤めていた大手企業をやめてジョインしてくれました。資金もないので、お互いに借金して始めました。事業は、アパレル系のインターネットメディア。メディアの広告枠を販売するといったビジネスモデルで、アパレルショップに営業に行ったんです。

しかし、収益は全く上がりません。思いに共感してもらえても、できたてのメディアでは掲載料まで出してくれるお店はほとんどありませんでした。「お金は払えないけれど何か役に立てれば」と言ってホームページの作成などをお願いしてくれる会社もありましたが、そんなスキルは持ち合わせておらず、せっかく役に立てるチャンスだったのに断っていました。あまりにも社会に対して貢献できることがなかったんです。

自分たちの給料を月3万円にまで減らして、なんとか続けていましたが、1年続けた頃には資金繰りはかなり厳しくなっていました。23歳にとっては大きな額の負債を抱えたため、将来が不安でたまりませんでした。社会人経験もないのですごく怖くて、毎日「どうしよう」しかなかったです。夜眠れず、体中にデキモノができたり、自信を失い人の目を見て話すことができなくなったりしました。不安を和らげるためにとにかく働くしかありませんでしたね。

そんな僕の相談相手は、製造業を営んでいた父でした。父は普段から「頑張れ」と応援してくれていました。しかしある日、事業を畳んで別の事業に取り組むべきか相談した所、ものすごく怒られたんです。「自分がやると言って仲間を巻き込み、少なからずお客さんがいる。お前は、その時点で発生している『社会的責任』を全うしなきゃいけないんだよ。仕事は、お前の命より重いんだよ」と。

それを聞いて、父の言うことは正しいと思いました。最悪の事態を想定しても、借金が残るだけで死ぬわけではない。3年くらいとにかく頑張れば、返せない額ではない。そう思えた瞬間から開き直って、もう少し頑張ろうと思えたんです。ずっと眠れませんでしたが、父とのやり取りのおかげで初めて気持ちよく眠れました。

それからは、今考えられることをすべてやろうと思いました。事業の回復はできませんでしたが、事業の売却先を見つけられたんです。売却し、負債をゼロにできました。事業を始めて1年。1年間でゼロに戻って、得られたのは経験だけでした。

関わるもの全てとの調和を目指して


最悪の事態は免れましたが、自分が「なんかデカイことをやりたい」という思いだけで始めた起業で、友達の人生を振り回してしまいました。周りの人の人生を振り回してまで、会社として事業をする意味はないと思いました。

会社は、自分が何かを成し遂げるためにあるのではない。従業員も、顧客も、自然環境も、関わる人や物事が全てより良い方向に進んでいかなければ会社として存在する意味はない。そう思うようになりました。

ちょうどその頃、これから新しく会社を作りたいという同世代に出会いました。自分が理想とする会社をつくっていきたいと思い、彼らと一緒に創業しました。ダイヤモンドメディアという社名はメンバーの一人が考えたものです。

まず、これまでにない会社を実現するために、世界中の経営を研究しました。そこで参考になったのは、リカルド・セムラー氏の『奇跡の経営』という本です。この本に則り、従来の管理型による「外部環境からきっかけを与えられる」外発的動機付けではなく、「自己の内側からわき起こる」内発的動機付けで動く組織、会社を創ろうと考えました。

目指すものが決まったので、そのために必要な仕組みを整えていきました。具体的には、社内の肩書や役職に基づく上下関係を廃止したり、社長は選挙によって決めることにしたり、給料を相場制にしたり、働く場所や時間を自分たちで決められるようにしたり、といった制度を採り入れたんです。

組織をデザインするときに重視したのは、透明性、流動性、開放性の3つです。まず、透明性を保つために経営状況から評価体系、個人の給与や仕事内容まで全ての情報を公開して、社員間の情報格差を無くしました。

次に、流動性を持たせるために部署間の肩書きや役職を廃止し、上下関係を無くしたり、社長も選挙で決めることにしました。こうすることで、何かをするときその分野に詳しい人、適性のある人が自然とリーダーになるので、どんな状況にも対応できる柔軟な組織になるんです。

さらに、開放性を維持するために、自分と相手、自分と会社との境界線が薄まるような仕組みを作りました。個人間の感情を通わせ合える機会を作ったり、個人と会社全体の利益を一致させるような仕掛けを作ったり。こうすることで、自分だけのことを考えるのではなく、会社全体の最適化のためにみんなが動いていくようになるんです。これによって、給料をみんなで決める制度の基礎ができ、働く場所や時間も自分で決めるようにすることができました。

こういった経営スタイルを「自然(じねん)経営」と呼んでいます。自然経営で大事なのは、自然の摂理に則っているかどうか。自然の摂理は、関係するもの全てと調和が取れたエコシステムの中にあると思っています。自然経営でも、社会における部分最適化を目的にするのではなく、自然の摂理に則って社会全体、関係する全てとの調和を目指すことにしました。

事業としては、立ち上げ当初はメディアやSEO、リスティング広告運用、デザインなど、顧客の役に立てることは何でもやっていました。いわゆる目の前の仕事を頑張る受託企業です。創業から5年経った頃に、自分たちの強みや知識、技術を一点集中させて価値を高めようとみんなと話し合い、事業を絞ることにしたんです。

始めた事業は、不動産のITサービスです。主に、不動産仲介業者向けのマーケティングやホームページ作成を支援するサービス、管理会社向けの入居者の募集業務を最適化するサービス、不動産オーナー向けの不動産管理会社とのコミュニケーションを一元化するサービスの3つに取り組みました。これらも、自然経営の知見を元に、情報の非対称性を解消したり、立場の違いを無くしたりすることを念頭に置いて仕組みを作っていきました。

創業して11年が経ちましたが、自分たちの経営スタイルによって顧客に提供する価値を最大化できるよう、事業については常に見直しを図っています。

資本主義の次の社会をデザインする


現在は、ダイヤモンドメディア株式会社の一員として事業や組織づくりに取り組む一方、自然経営を元にした社会システムのデザインも幅広く行っています。

例えば、新事業として「企業に人が属する関係性」に流動性を持たせるため、企業間で社員を交換する社員シェアリング「トナシバ」を手掛けたり、企業の組織づくりのコンサルティングを行なっています。

個人としても、国土交通省の依頼を受けて公園や学校などの公的遊休不動産を有効活用するプロジェクトや、世田谷区の地域コミュニティ活性化のアドバイザーなども務めています。地域における税金の最適分配のために、ふるさと納税の拡張版とも言える「クラウドタクシング」構想も提案しています。一見関連性がなく見えますが、これらの活動は全て自社の組織づくりの中で得たノウハウを元に行なっています。

組織を運営する中で人間関係の重要性に気づいたんです。国も町も組織も、突き詰めるとただの人間の集まりです。人間が集まるとできるのは人間関係。人間関係をより良い方向に導くと、自然と自浄作用が働いて、全体を最適化する方向に進んでいきます。そこに集まった人たちが、命令されたからではなく、自発的に全体最適に向けて動いていけるような「人間関係のデザイン」が重要だと考えています。

ダイヤモンドメディアの組織の中でデザインしたように人の流れや気の流れを設計することで、国も町も税も建物の活用もより自然に、全体に最適化した形にデザインし直すことができると考えています。

現在、私が社会課題として捉えているのは、根本にある資本主義の構造です。資本主義は、簡単に言えば、所有者が儲かる仕組みになっています。なぜなら、彼らが権利を持ちゲームメイクできるからです。資本を持てば持つほどお金持ちになれる仕組みなのです。本来、経済は「富の再分配」機能を果たすべきですが、今は富が支配層に集中して循環せず、流れが滞った状態になっています。

富の再分配機能を補完するために税制が導入されたのですが、税を集めるためには法人を作って一括徴収した方が効率がいいので、結果として国が規模の大きな法人が富を蓄えるのを助長する形をつくってしまっています。これでは、十分に富の再配分機能を果たせません。

資本主義によって、資本の所有者がそうでない人を支配する、中央集権型のヒエラルキー構造ができてしまいます。例えば企業も法律によって、株主が一番偉くて、株主から委託を受けたのが経営者で、経営者の言うことを聞くのが労働者、という構造になっています。資本をもつ人がそうでない人を支配するヒエラルキー構造になるように定められているんです。

これによるデメリットは、非効率なところ。例えば国は税を一括徴収して再配分しますが、徴税して再配分する段階で中間流通コストがかかってしまうため、集めた分の何割かしか再配分できないんです。

また、所有者と利用者が分離してしまうため、世の中のいろいろな物事を自分ごと化しにくくなります。例えば、利用者から集めた税金で所有者である国が公衆トイレを作っても、一部の利用者は平気で汚してしまいます。自分のお金で作ったものだという意識が薄れるため、自分とは関係のないものになってしまう。そうすると、全体の利益よりも自分の利益だけを追求するようになってしまうんです。

そういった現状を打開するためには、ヒエラルキー構造ではなく、中空均衡構造へと社会システムを刷新する必要があると考えています。中空均衡構造は、組織の中央が「空」、つまり何もないという状態の構造体です。従来の中央集権型のヒエラルキー構造を持った組織とは対極の組織体です。中空均衡構造に基づいた社会システムの中では、誰かが支配するのではなく、人々が自発的に全体最適に向けて動いていく。この構造に基づいているのが、透明性、流動性、開放性の3要素を備えた自然経営なのです。

社会は常に完璧ではありませんが、歴史的に見れば改善されてきています。さらなる改善のために、「自然経営」、つまり中空均衡構造に基づいた社会システムの構築が必要だと考えています。自然界は、長い年月をかけて一体化して、個の利益と全体の利益が一致しています。植物が成長して葉を落とし、葉が新たな土となり、山の水を蓄えることで、また植物が生まれる。全体が一つの大きな生命体として機能しているんです。人間社会でも、短絡的な個人の利害に目を向けるのではなく、全体が一体化して利害が一致するような社会システムデザインを目指していきます。

2019.01.15

武井浩三

たけい こうぞう|ダイヤモンドメディア株式会社代表取締役
神奈川県横浜市生まれ。高校卒業後、音楽を学ぶために米国ロサンゼルスに留学。帰国後、友人と共にアパレル系インターネットメディアの会社を起業するもうまくいかず、1年で売却。2007年に不動産ITサービスを提供するダイヤモンドメディア株式会社を創業。「自然経営」を採り入れ、第3回ホワイト企業大賞を受賞。自然経営に基づいたシステムデザインで、既存の社会システムの刷新を目指す。

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