外の世界を見て気づいた瀬戸内の魅力。若者を惹きつけ、地方の未来をつくる。

地元を離れ、香川にある大学に入学するも、香川も大学も好きになれず「自分の居場所がない」と辛い日々を送っていた大崎さん。違う世界を知りたいと海外へ留学。行動することで起きた変化と気付いた香川の魅力とは?お話を伺いました。

大崎 龍史

おおさき りゅうし|瀬戸内サニー株式会社代表取締役
大学時代に過ごした香川県を盛り上げるため、「おもしろい」を大切に、SNS・YouTubeを活用した事業を手掛けている。2018年の西日本豪雨時には被災地を応援するため、DA PUMPの『USA』をアレンジした楽曲に合わせて岡山県民が踊る動画を制作、再生回数31万回を突破した。

サッカー大好き少年


兵庫県で生まれました。幼稚園の頃、腎性高血圧という先天性の病気が発覚しました。血圧が上がる行為は腎臓に悪影響があるため、鉄棒など一部の運動が制限されるようになりました。

それでも両親は「あなたの人生なんだから、好きなことをしなさい」と常に言ってくれました。サッカーがやりたいと思って、小学校ではクラブチームに入りたいと考えていたのですが、やっぱり持病があるので入るのを諦めました。ただ、将来の夢はそれでもサッカー選手でしたね。

5年生の時、持病の検査で3カ月長期入院しました。他にも、身長が伸びない病気を持っていて、身長は140センチくらい。2年間、高身長ホルモンを打つことになりました。そんな境遇から、自分が将来どうなるか分からないという漠然とした不安を抱いていました。

中学校、高校では、持病に大きな問題もなく、運動制限もなくなり、サッカー部に入部して大好きなサッカーを続けました。しかし成長するにつれ、さすがにサッカー選手になるという夢は、実現性が低いとわかってきました。サッカーで怪我をした時、テーピングに助けられた経験から、将来は選手という立場ではなく、医療の面から選手を支えるスポーツドクターに憧れるようになりました。

大学受験の時期になり、スポーツドクターになれる学校を調べましたが、どれも自分の学力では入れそうにありません。そこで、今選択肢を狭めるよりは、広げられるような進路にした方が良いと考え直しました。

教師である両親のアドバイスもあり、香川県の国立大学の教育学部に入学を決めました。教育学部であれば卒業と同時に教員免許が取れて、将来の保証になると考えたんです。大学に通う中で、やりたいと思ったことにはどんどん挑戦していこうと決めました。

外の世界を求めて


大学に入学してみると、学生たちの「井の中の蛙」感がすごかったんです。同じ学部という狭い世界の中で、仲良しこよしをしている。保守的な人が多く、チャレンジ精神のある人はいないと感じました。学校に馴染めず、食堂でひとりでご飯を食べることも多かったです。「こういう人たちの中にいていいのかな」という思いが募っていき、もどかしく辛い日々でした。

とにかく周囲の環境におもしろいと思えるものがなく、大学も香川県も好きになれなかったです。もっと広い世界を知って、人生を通してインパクトのあることをしたい。そんな思いから大学1年生の長期休みを利用して、ニュージーランドに短期語学留学に行きました。

初めての海外は、全てが新鮮でした。現地ではサウジアラビアの子と一緒にホームステイをしました。その子は毎朝6時半になると、必ずアッラーの方を向いてお祈りするんです。文化の違い、世界の広さを知りました。もっと自分の視野を広げたいと思い、その後もタイへ短期留学するなど、積極的に外の世界を求めていきました。

大学3年生の時、単位を取る過程で教育実習がありました。子どもたちと触れ合うのは楽しかったですが、「たぶん自分は将来教師にはならないな」と半ば確信しました。見える世界が狭く、仕事を通して世の中に与えられるインパクトが少ないと感じたからです。

もっと広い世界を知りたいと思い、大学4年生になる直前の3月から2年間休学して、アメリカに留学することにしました。ところが、アメリカ行きを2週間後に控えていた時、東日本大震災が起きたんです。被災地のために何かしたいと思いましたが、自分にできることの小ささを痛感するばかりでした。

外に出たから気付いた香川の魅力


東日本大震災から2週間後、アメリカへ。どこへ行っても「日本は大丈夫なの?」「家族は大丈夫なの?」と言われ、こんな大変な時に自分はここにいて良いのかと考えてしまい、全く勉強が手につきませんでした。

テレビ電話で頻繁に連絡を取っていた母に相談すると、「今あなたが日本のために動いたとしても、できることは小さい。しっかりアメリカで勉強して、今後何か起きた時に行動できる人間になりなさい。そのためにアメリカに行ってるんでしょ」と言われました。「なるほど!」と思いましたね。目の前のことをやることが今後に繋がるのだと思い直し、勉強に集中できるようになりました。いつかまた身の回りで有事の事態が起きた時には、何かしらアクションが取れる人間になりたいと思いました。

アメリカでは、ちょうどTwitterやFacebookなどのSNSが爆発的に普及し始めていたので、SNSの世界に好奇心が生まれ、フル活用しました。同じような立場の留学生と連絡を取るようになり、気が合いそうな人とは実際に会ったりもしました。スタートアップが集まるイベントに誘われて行くようになったり、シリコンバレーの世界に触れたり。どんどん面白いひとたちとの出会いが広がっていく中で、世界も広がっていき、インターネットやSNSがいかに自分の世界を広げてくれるかを実感しました。

次第に経営分野に興味を持つようになり、経営プログラムを専攻しました。起業学や貿易学を学び、その中でも一番マーケティングがおもしろいと思いました。どうやって商品の魅力を伝えて、購入までのプロセスを作るか。それを考えるのが好きでした。

アメリカに留学をしたことで、やっと自分の居場所だなと思える仲間たちと出会えたことは、すごく大きかったです。また、起業している人たちと多く触れ合う中で、いつかは自分も起業に挑戦してみたいと思うようになりました。

また、香川の良さに気付くこともできました。一番は瀬戸内海の魅力です。カリフォルニアの海は、波が高くて荒々しい。一方、瀬戸内海は、きれいで、穏やかで、落ち着いている。自分の心が癒される場所だということに気付いたんです。そのほかにも、過ごしやすい気候、コンパクトで住みやすい規模感。それまで好きになれなかった香川の良さに気付けたことは自分でも嬉しかったです。

2年間の休学を終えて大学に戻った時、みんなが「おかえり」と言ってくれました。生まれ育った地元でもないのに「おかえり」と言ってくれる。その優しさがすごく嬉しかったです。香川という場所が一気に好きになり、これからも香川にいたいと思うようになりました。

とはいえ、まだ自分にはビジネススキルや社会人スキルがなかったので、東京でスキルを身に付けてから、いつかは香川に戻ってきて、自分が気付いた魅力を県外に伝える仕事ができたらいいなと考えました。

「クビ」になりかける


大学卒業後は、都内にあるデジタルマーケティング会社に就職しました。留学で学んだことと英語力を活かし、企業のSNSアカウント運用やSNSを活用したプロモーションなどを担当しました。

働く中で、これまでよりも一層「伝える」ことに面白さを感じるように。意思を持って「伝える」ことをしているメディアで働きたいと思い、外資系のインターネットメディアに転職をしました。ソーシャルメディアストラテジストという職種で、SNS戦略やメディアの成長戦略などを手掛けました。

しかし、半年の試用期間が明けてすぐ、突然マネージャーに「ちょっといい?」と会議室に呼び出されたんです。会議室に入ると人事担当の人が座っていて、ものすごくピリピリとした雰囲気でした。机の上には、2枚の紙が置いてあって、1枚が業務改善書、その少し奥に置いてある紙は退職届。マネージャーから「今後3カ月間で業務を改善しますか?」と聞かれました。

つまり、クビになりかけていたんです。確かに、仕事をする中で会社の求めているパフォーマンスを出せていないという自覚はありました。メディア戦略とは言っても単純作業が多く、モチベーションが低い状態で仕事をしていたんです。スキル不足を感じることも多く、メンバーともうまくいっていませんでした。

マネージャーには「頑張って改善します」と伝えました。さすがにこのままだとやばいと思い、3カ月間はめちゃくちゃ悩みました。改善する努力はもちろんする一方で、転職活動をしたり、社外の人に相談したりしました。

なんとか業務を改善することができて、会社の人にも「ぜひいてほしい」と言ってもらうことができました。ただ、クビになりかけたという事実でモチベーションも下がっているし、実際にやりたいことができているかというと、そうでもない。作業的なことではなくて、地域に関わる仕事がしたいという思いは変わりませんでした。

起業という挑戦


周りに起業している人も多かったので相談していくうちに、「自分もそろそろ起業したい」という考えになりました。もともといつかは香川に戻って、香川の魅力を伝える仕事ができたらいいなと思っていたので、起業するならなるべく若い方が良いと思い、退職を決意しました。会社に意向を伝えると、「応援するよ」と言ってもらえて、円満退社できました。

香川に戻り、2018年1月、「瀬戸内サニー株式会社」を設立しました。社名は瀬戸内の太陽という意味で、人を笑顔にできる存在になりたいとの思いを込めました。香川の地元企業のマーケティングや採用等の情報発信を請け負う「SNSとYouTubeを軸としたインターネットメディア」の会社です。

起業するにあたっては、自分でもどうなるかわからない部分はありました。でも、挑戦したいという気持ちの方が強かったので、いろんな人たちに背中を押して応援いただき、最後は「えいや!」と思い切りました。

起業1年目、西日本で岡山県を中心とした豪雨災害が発生しました。観光客が減り、ネガティブな情報が世の中を駆け巡っている中で、もっとポジティブな情報を自分たちのいる西日本から発信していきたいと思いました。そこで、復興応援動画を企画しました。

内容は、流行っていたJ-POPをアレンジした曲に合わせ、岡山県民のみなさん200人に踊ってもらい、動画にまとめて県民の前向きな笑顔を届けようというものです。SNSでの宣伝も戦略的に行い、動画の再生回数は31万回を突破しました。続いて災害が深刻だった愛媛県、広島県でも動画を制作・配信。大手企業に協賛してもらうこともできて、テレビなどのマスメディアにも取り上げてもらいました。

東日本大震災以来、災害が起こった時にはみんなのために行動できる人間になりたいという思いがあったので、昔の自分よりは少しは成長したのかなあと思いました。やりたかったことが一つ実現できた気がしました。

地方発でおもしろいことを


現在は、瀬戸内サニー株式会社の代表として、「地方発で時代を代表するベンチャー企業にになる」をビジョンに、インターネットメディア事業や、香川にある地元企業のSNSマーケティングやYouTubeマーケティング支援事業などを手掛けています。

2018年4月からは自分自身がYouTuberになって、おもしろ楽しく、香川の良さや頑張っている人を取り上げるネット番組も始めました。今後、メディアはどんどん個人化していくと思っています。自分自身が体験したり紹介したりすることで、見ている人が追体験できて、共感してもらえて、愛着を持ってもらえる。そんなメディアを地方発でやっていきたいです。

地方は今後、人口も産業も減っていき、どんどん課題が増えていきます。どうやったら解決できるか?を考えた時、戦略的に行う課題解決だけでは、乗り越えられない部分があるんじゃないか。苦しい時代だからこそ、軽やかに笑顔で面白く乗り越える姿勢が大事なんじゃないかと思っています。

ただ、地方の魅力を発信するだけではだめだとも思っています。考えるべきなのは、どうやったら未来を担う若者に振り向いてもらえるか。どうしても、若者がおもしろいと思うものは東京に集中していて、地方には少ない現状があります。本当におもしろいモノや会社があれば、地方にも人は集まるはず。インターネットによって、地方と東京がボーダレスになった時代だからこそ、もっと地方でも若者がおもしろいと思う企業やモノが出てきても良いと思っています。

僕は地方から時代を代表するインターネットベンチャー企業を作りたい。トップYouTuberが所属するYouTuberプラットフォームを瀬戸内から目指す。挑戦する人が少ないからこそ、香川県発として自分が先陣を切ることで、地方におもしろいと思える会社がたくさんある社会を作りたいと思っています。地方にも若い人たちが集まってくるようになるはずです。それによって、結果的に人口減少や産業の減少などの課題も解決できると考えています。

2019.11.25

インタビュー・ライティング | 湯浅 裕子
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