2回目の大学生活は楽しかったですね。入ったゼミもおもしろかったです。3年生の夏に全員が海外で研修かボランティア活動をすることが必須で、活動に向けて、授業内容を学生が企画します。主体的に動くとはどういうことか、ここならわかるのではないかと思いました。

ゼミの同期には、ブラジルに1年間留学して帰国したばかりの人がいました。彼からブラジルのホストマザーの話を聞いたんです。自分の子どもを育てながら、養子を迎え入れ、外国人ボランティアのお世話もしているパワフルな女性で、世界各国のボランティアから「お母さん」と慕われている人でした。まるで私が中学の時に憧れた、安心できる場を与える母のような人だと思いました。

それで、会わなきゃいけないって直感で思って、ブラジルに行くことを決めたんです。実際会ってみると、聞いたとおり、一緒にいると安心できる人でしたね。彼女の家にホームステイして、彼女が働くスラムで活動する団体の中の保育園でボランティアをしました。

彼女の元に2週間滞在し、その後の2週間を、赤道近くの自然あふれる小さな村で過ごしました。そこでボランティア活動をする中で、思いがけない発見をしたんです。

ある日の夕方、学校が終わった子ども達と日本人ボランティアが輪になってボール遊びをしていました。私は言葉がわからないし、楽しそうなみんなを周りで見ていたかったので、輪の外から眺めていました。彼らを客観的に眺めていた時、幸せというのはこういうことなのかもしれないと思ったんです。

子どもたちが幸せそうに遊んでいるのを外から見守っている役割。私がなりたかった安心感を与える母のような存在とはこのことだと、直感しました。

みんなの輪に入らず、外から見ている状態って、孤独を感じるんです。でも、それが「母のような存在」の役割だとしたら、孤独に囚われるのではなく、あるものとして受け入れて付き合っていこうと思ったんです。そう気づいたら、小中学校のころから抱えてた孤独から解放された感じがしました。