東京都武蔵野市で生まれ、日野市で育ちました。父は厳しく、メジャーな遊び道具だったファミコンや漫画、プラモデルは家で禁止されていました。友達の家に遊びに行けばファミコンもできたし漫画も読めましたが、自分の家にいる時間は遊べるものが少なく、やれることと言ったら兄とブロックを組み立てるか、父の洋楽のレコードを聴くか、自分で絵を描くくらいでしたね。

その代わり、遊び以外の興味のあることは何でもやらせてもらえました。小学校の部活はサッカーとバスケ、習い事はテニスと水泳、ボーイスカウト。小学校5年生の時には、英語塾に通い始めました。

小さい頃から父のレコードを聴いていたこともあり、自然とソウルやジャズ、ファンクを聴く音楽好きになっていました。地元の中学では、たまたま強烈に音楽の趣味が合う親友ができ、時間があれば一緒に渋谷のレコード店に入り浸り、好きなレコードを買っては聴いていましたね。聴いているだけでは飽き足らず、独学でベースも始めていました。

地元の公立高校に通いはじめると、学校のバンドの多くは流行っていたロックを中心に活動していました。自分のやりたい音楽ではないし、無理に学校ではやりたくないなと思っていました。ずいぶんと天邪鬼な性格でしたね(笑)。

音楽のスタイルが合う人を求め、次第にライブハウスやクラブに行くようになりました。そんな場所で出会うのは、だいたい10〜15歳くらい上の人たち。「なんでお前がこんなところにいるんだ?」「この曲は知っているか?」と高校生である自分を面白がってくれました。色々な人を紹介してもらい、バンドを組んでライブにも出るようになりました。

同級生からは、よくわからない年上の連中とバンドを組んで、よくわからない音楽をやっている「変わり者」と言われていましたね。でも、自分にとっては学校以外の場所の方が楽しく、のびのびと音楽に集中し、成長できる居心地の良い場所でした。小学校時代から、好きなことをするためにさまざまな場所・環境に飛び込み、さまざまな人に出会えたことは、感性を磨く良いきっかけになりました。

大学受験では、英語に強い大学を志望していました。ゆくゆくは海外で仕事をしたいという考えもありました。とはいっても、海外でバリバリ仕事をするというよりは、休みの日にパブで現地の名も知れぬおじさんたちの音楽を聴きながらお酒を飲む。そういうイメージに憧れていたんです。好きなソウルやジャズ、ファンクが、自然と聴こえてきそうな環境で生きていきたいと思っていました。