カッコいい映像を作るクリエイティブな組織を。理学療法士から、経営の道に進んだわけ。

介護の技術を動画で学ぶ「カイゴ大学」や、映像制作事業、介護用品の通販事業を運営する永井さん。父の会社を継ぐことを想定して飛び込んだ介護の道から、自分で会社を立ち上げるには、どんな背景があるのか。お話を伺いました。

永井 公作

ながい こうさく|映像の制作
映像制作や介護用品の通信販売、カイゴ大学の運営を行う株式会社アトンスの代表取締役を務める。

父の会社を継ぐことを念頭に入れて理学療法士に


福島県福島市で生まれました。小学生の時に、父が脱サラして介護用品を販売する会社を始めました。そのため、長男だった私は、将来は父の会社を継ぐのだろうと考えるようになりましたね。

小さな頃から運動が得意だったからか、「何をしても自分は成功する」と根拠の無い自信を持っていました。中学生の頃はバスケットボール部で活躍し、高校は強豪校に進学しました。しかし、凄い選手ばかりでレギュラーに選ばれず、初めての挫折を味わいました。

さらに、1年生の時に右足の靭帯を切断してしまい、3年生の時にはもう片足の靭帯も切ってしまったんです。そのため、しばらくは通院してリハビリを受けるようになりました。すると、その時担当してくれた人の仕事がカッコいいと感じ、将来父の会社を継ぐ時にも役に立つと感じたので、理学療法士を目指すことに決めました。

高校卒業後は、理学療法士の資格を取るため、専門学校に進みました。ただ、勉強は好きではなく、学生時代は趣味の映像制作に没頭していましたね。友達に教えてもらいながら、イベントや遊んでいる時の様子を撮影して、動画の編集や上映までするようになりました。

映像制作の仕事をしたいとも頭によぎりましたが、専門学校に行っておいて別の仕事をするのはどうかとも思いましたし、将来父の会社を継ぐことを考えれば、現実的な選択肢ではありませんでしたね。そして、4年で課程を修了した後は上京し、介護施設で理学療法士として働き始めました。

お金を稼ぐ楽しみを覚えていく


仕事に対しては、楽しさを感じていませんでしたし、特に夢や希望はありませんでした。それでも、会社を継ぐことを踏まえて、数年は働いて知識をつけたいと考えていました。

しかし、正社員で働くよりもパートタイムで働いたほうが稼げることが分かり、2年ほどで正社員ではなくなり、加えて小遣い稼ぎのために訪問介護のアルバイトも始めました。何か欲しいものがあったわけではなかったのですが、お金を稼ぐこと自体が楽しく、たくさん稼ぎたいと思っていたんです。

FXも始め、理学療法士としての仕事は少しずつ減らしていきながらも、お金はより稼ぐようになっていました。一方で、様々な資格試験を受けたりと、会社を継ぐ準備も着々と進めていました。

しかし、なまじお金を持ってしまったことで調子に乗ってしまい、父の会社を継ぐのはやめることにしました。父の会社に入っても最初の数年は下働きになるので、それでは給料が見合わないと思ったんです。

ところが、リーマンショックが起きて、FXでの稼ぎは一気に無くなってしまいました。マイナスにこそなりませんでしたが、ゼロになってしまったんです。この時、どうしたらいいのか分からず、涙が出てくるほど落ち込みましたね。結局、FXはギャンブルでしかないんだと実感したんです。

車いすや介護用品のネット通販が成功する


地に足を着いてお金を稼がなければだめだと痛感し、理学療法士のアルバイトと並行して、自分で事業を立ち上げることにしたんです。車いすを取り扱う資格を色々と取得していたこともあり、車いすの専門店を立ち上げました。一般的に、車いすは、病院から誰にでも合うようなものを購入するもの。そこで、一人ひとりに合わせた車いすを販売するお店を開けば、ニーズがあると思ったんです。

しかし、予想を反して、お客さんは全く来ませんでした。ほとんどゼロに近しい数字でしたね。そこで、実店舗はやめて、ネット通販を始めることにしたんです。また、商品も車いすだけでなく、介護用品全般を扱うようにしました。

売上は順調に伸びていきました。商品数を増やしてまとめ買いを誘発したり、ページを作り込んだり、他のサイトを見て値段の微調整をしていくと、確実に数字に繋がるんですよね。そして、理学療法士のアルバイトは辞めて、会社として、この事業一本に絞るようになりました。

とはいえ、ネット通販だと、値段だけで購入を決定されてしまい、商品の差別化が難しいとも感じていました。そこで、商品をプロモーションするために、映像を作ってみることにしたんです。

また、せっかく動画を作れる環境を整えるなら、私自身、理学療法士として、介護やリハビリのノウハウを伝えるコンテンツを作れるのではと考えるようになりました。世の中では、ネット上で動画を配信して稼ぐYoutuber(ユーチューバー)と呼ばれる人も出ていたので、自分でもできるんじゃないかと思ったんです。

そして、「カイゴ大学」という動画配信のサービスを始めたんです。すると、足立区の創業プランコンテストで奨励賞をもらうこともできたし、動画も多くの人に見られるようになり、出だしは順調でした。

会社の存亡をかけた映像事業への投資


ところが、お金を稼ぐ主軸としていた動画広告が、配信できなくなってしまいました。自分で誤って広告をクリックしてしまい、それが規約に抵触していたんです。

これにはかなり焦りましたね。賞をもらっているので、途中で投げ出すわけにはいかない。しかし、収益化のために様々な策を試しても、うまくいかないんです。また、カイゴ大学につきっきりになっている間に、通販事業の売上もどんどん落ちていきました。

何とかしなきゃと思って始めたのが、映像制作事業でした。カイゴ大学の動画には私が出演するので、別に撮影する人を雇っていました。そして、その映像のクオリティが高かったので、映像制作も事業になるのではいかと思ったんです。

しかし、すぐに事業が立ち上がるわけでもなく、ますます会社の業績は悪化していきました。2014年の末には、個人資産も切り崩して、映像機材も売って、ついには従業員にも辞めてもらうことなってしまいました。

そんな状況で、個人としての生活が苦しくても、またサラリーマンに戻りたいとは思えませんでした。経営すること、自分でものごとを決められるのが楽しかったんです。また、苦しい状況をいかに乗り越えていけるか、大変さの中にやりがいも見出していました。

年を明けた頃に、映像事業の芽が出始めたんです。特に何かをしたわけではないのですが、これまでの口コミや、SNSでのプロモーションが少しずつ実ってきたんです。

大好きな映像を軸に稼いでいきたい


現在は、カイゴ大学の収益も安定してきて、通販事業と映像事業の三軸で会社を経営しています。ただ、昔から趣味としても好きだったこともあり、個人的には映像事業が楽しく、これからも注力していきたいと考えています。

映像事業は、ロールプレイングゲームのような面白さがあるんですよね。お客さんからの依頼で良い映像を作って、対価にお金をもらい、そのお金を使って新しい機材を手に入れてもっと良い映像を制作してと、ぐるぐる回りながら成長していけるんです。そして、その間に面白い仲間を集めることも、良い映像を作るのに欠かせない要素です。

今は、会社のメンバーが始めた、脳性まひで車いす生活を送っている少年を主演とした映画を作るプロジェクトにも携わっています。これからも、映画やプロジェクションマッピングなど、映像を使う色々な仕事に挑戦してみたいと考えています。また、映像を軸に、新しいビジネスモデルを考案してみたいです。

今後は、依頼された映像だけでなく、自分たちがかっこいいと思う映像を作り、それでお金を稼げたらいいですね。そのために、少数精鋭のクリエイティブ集団を作っていきたいと考えています。ただ、あくまで映像は「伝える手段」なので、分かりやすいのは前提で、その上でカッコよく表現していきたいです。

せっかく会社を経営しているのだから、大きなお金を動かしていきたいですね。別に個人としてお金持ちになりたいとは思いませんが、たくさん稼ぎ、そのお金を使って、より大きくて面白いことに取り組んでいけたらと思います。

これまでピンチもありましたが、「何とかなる」という妙な自信もあるので、考えている暇があったらとにかくたくさん動いていき、チャンスをものにしていきたいです。

2015.10.08

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