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【株式会社UZUZ提供:第二新卒・既卒の就活CH】働く意欲はあるものの、採用市場がまだ開かれていない「第二新卒・既卒」の人材紹介サービスを運営する今村さん。「あくまで求職者のために仕事をしている」と語る背景には、自分自身が感じた、新卒と転職での就職活動時の反応の違いがありました。

今村 邦之

いまむら くにゆき|第二新卒、既卒の就職支援
第二新卒ナビを運営する株式会社UZUZの代表取締役を務める。

※本チャンネルは、株式会社UZUZの提供でお届けしました。

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大学受験に失敗し、アメリカの大学に渡る


僕は鹿児島県で生まれ、自然と触れ合いながら育ちました、小さい頃からカッコよくなりたい願望が強く、運動も勉強も努力をしていて、部活は絶対に休まなかったし、勉強でも常に学年一位を目指していました。ただ、面白い人でいることもカッコいい条件だったので、明るく周りを楽しませようとする性格でしたね。

高校は進学校に進み、母から「若いうちに都会でもまれた方が良い」と助言もあって、高校卒業後は東京に出たいと考えていました。そして、自分の学力と照らし合わせ、カリュキュラム的にも面白そうだと感じていた大学を受験したのですが、合格することができませんでした。しっかり勉強もしていて受かると思っていただけに、ショックでしたね。

ただ、そんな時、姉に「あんたは何で東京の大学に行きたいの?」と聞かれました。正直、そこまで明確な目的があるわけでもなかったので、サークルに入ってキャンパスライフを楽しみたいと告げると、「それだったらアメリカの大学ですればいいんじゃない?」と言われたんです。

確かに、日々を楽しみながら英語も学べたら一石二鳥だし、浪人してもう1年勉強するのは嫌だったこともあって、その言葉に妙に納得した自分がいました。そこで、すぐにアメリカの大学に進学する方法を調べ、高校を卒業した年の6月にはアメリカのアラバマ州に渡り入学試験を受け、秋から大学に通うことにしたんです。

海外経験が豊富でもないし、英語が得意なわけでもなかったけど、不安はありませんでした。

優秀ならば起業するのがあたり前の文化


アメリカでは最初は英語が全くわからず、授業に出ても先生が何を言っているのか全く分からないし、パーティーなどで色々な人に声をかけるものの、うまくはいきませんでした。

ただ、喋らなければ上達しないと考えていたので、仲良くなった友達と毎日長い時間寮のラウンジで話したり、パーティーがあれば必ず参加するようにしたりして、どんどん実践を積んでいきました。

すると、次第に言葉に不自由することは少なくなっていき、学校でも成績上位者3名だけ名前が公表される中、僕の名前も載っていたんです。これは1位も狙えると、それ以降主席で卒業するために必死に勉強するようになり、主席になることこそ叶いませんでしたが、飛び級して3年半で卒業することができました。

そして、卒業後日本に帰って来るときには、将来は起業しようと考えるようになっていました。アメリカでは優秀な人ほど起業するべきだという空気があり、同級生の友達も何人か会社を作っていました。起業した友達が、授業中に「お客さんから電話が来た」と言って授業を抜けている姿を見て、自分で責任を取って仕事をするのがカッコいいと感じていたんです。

また、父は司法書士で、母も法人の経営をしており、小さい頃からサラリーマンとして働くイメージは持っていませんでした。「今月の給料はこれくらいか」と話しているのを聞いて、給料は固定でもらえるものではないと潜在的に思っていたんです。

そこで、同じ大学に留学していたものすごく優秀な友達と、1年後に一緒に独立しようと約束して、まずは修行するために就職することにしたんです。そして、留学生向けの就職フォーラムに行き10社以上内定をもらった中で、人数が少ない方が成長できそうと、一番規模の小さかった100人程の香水や化粧品を扱う商社に入ることに決めました。

新卒と既卒での扱いの違いに驚く


入社後は、ドラッグストアや小売店向けの営業を担当しました。仕事は忙しく、毎朝7時前には出勤して、夜は明け方の4時位まで働くこともあったし、ご飯を食べる暇すらないことも多くありました。

また、毎日上司に怒られていていましたね。仕事ができなかったので些細なことで怒られるのですが、怒られている意味が理解できないことも多く、次第に心が疲弊していき、「なんて仕事ができないんだ」と自分を責めるようになっていきました。

それでも、会社を辞めようとは一切思っていなくて、営業で一番になりたいと思い無我夢中で働いていました。

しかし、ある時ピークが来てしまい、客先で倒れて入院することになってしまったんです。心と身体どちらもやられてしまい、右半身が麻痺するような状態で1ヶ月ほど入院することになり、結局9ヶ月程で会社は辞めることになりました。

その後、働きたい気持ちはあったので、すぐに転職活動を始めました。しかし、新卒の時と違ってことごとく不採用になってしまったんです。正直、アメリカの大学を卒業していたプライドもあったし、新卒の時は多くの内定をもらっていたので、衝撃的でしたね。

もちろん採用されない自分にも原因はありましたが、こんなに働く意欲があるのに、1年未満で辞めた「キャリアの傷」があるから雇ってもらえない現実に、驚きを隠せませんでした。

そして、どこにも採用されないので、働ければどこでもいいと思うようになっていきました。

後がない状況なので、事業を引き継ぐ


そんな時、「第二新卒ナビ」と言う、第二新卒・既卒に絞った人材紹介を行うサービスに出会いました。このサービスでは、他のどんな人材紹介サービスよりもしっかりと話を聞いてもらうことができ、ずっと不採用が続いていたこともあって、親身になって話を聞いてくれること自体が心の支えでしたね。

そして、このサービスの魅力に惹かれ、社長の元でアルバイトとして働かせてもらうようになりました。また、僕自身の転職活動はうまく行かなかったので、転職から資格を取ることに一旦切り替え、公認会計士を目指しながら、アルバイトを掛け持ちをする生活を送り始めたんです。

ところが、アメリカ時代に起業を約束した友人も第二新卒ナビで働き始め、社長と3人でこの事業を盛り上げようと思っていたところ、社長の方針が変わり、事業の撤退が決まったんです。公認会計士の試験も3回連続で落ち、資格は諦めて第二新卒ナビに注力しようと決めた矢先の出来事でした。

僕は経歴的に転職するのは難しく、後がない状況だったのでかなり焦りました。そこで、この事業を引き継ぐ事にしたんです。どうせ後がないんだったらここで一発当ててやる、そうでなければ自分の人生は開かれないと。

そして、中学・高校の同級生で、「こいつには敵わない」と思っていた優秀な友達に頼み込んで、3人で株式会社UZUZを作り、第二新卒ナビを引き継ぐことにしました。

仕事を探す側のための人材紹介業


後がない状況だったので、とにかくやろうと思ったことには全て取り組んでいきました。すると、業績はうなぎのぼりに上がっていったのです。ここまで来れたのは一緒に創業をしてくれた2人や社員のお陰なので、感謝してもしきれないですね。今は社員も15名程に増え、月に200人程の求職者がサービスを利用してくれています。

僕たちのサービスは人材紹介事業ではありますが、求人を探している企業のためのサービスではなく、あくまで「仕事を見つけたいと考えている求職者」のためのサービスです。そのため、求職者に寄り添うためには一切妥協はせず、1回の面談では2時間以上話し、最終的な意思決定をするまで20時間以上かけて話をすることもあります。

就職できない理由は人それぞれありますが、求職者の考え方が企業に紹介できる状態ではないので、面談を通じてマインドを形成していくのが僕たちの仕事です。自分の強みや弱みは何か、ぼんやりとでも何のために働きたいのか明確にしていきますし、状況によっては、まずは就職ではなくアルバイトを勧めることもあります。それくらい、求職者にとって本当に納得のできる意思決定ができるように尽くしているんです。

そのため、納得のできる形で就職をできた時は何よりも嬉しく、毎月開いている内定者飲み会は本当に感動しますね。

現在は、第二新卒・既卒の市場価値が低く見られてしまいがちで、微妙な経歴の傷があるというだけで採用され辛いのが現状です。ですが、働く意欲もある第二新卒・既卒の人たちは、新卒の人を雇うのと何ら変わらないと考えているので、今後は第二新卒採用の市場自体を盛り上げていけたらと思います。

2015.04.26

インタビュー・執筆 | 島田 龍男
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