放射線科を2年やった後、とにかくその医局から逃げ出したくて、県内の市中病院に異動することにしました。同時に、内科医に転向しました。放射線科が合わなかっただけでなく、医療現場の根本的な問題であるマネジメントに取り組むために、内科医ならより一般的に医療と関われると思って選びました。

また、県との取り組みにもより力を入れるようになりました。医局では何をやってもうまくいかないのに、高知県全体の医療環境を良くする活動は比較的に評価していただいたので、実現したいことの難易度と組織の大きさは比例しないことに気づいたんです。もう少し高知県の医療環境を良くする仕事をやってみたくなったし、その方が向いているかもしれないと思ったので、医療広報や、メンタルヘルス支援、キャリア支援など業務に携われる高知県医療再生機構にも入りました。

内科医として病院に勤めながら、県庁の中でも働くというスタイルです。多くの人のキャリア相談やこころの相談を受けているうちに、次第に「人の人生に関わるのって面白いな」と思うようになりました。

しかし、段々と、大きく変えられる部分が少なくなってきたように感じていました。過去の成功事例をメンテナンスするような業務の割合が増えて、飽きてしまったというか、歯ごたえを感じなくなってしまって。今のレベルの僕にできることはやりきった感じがあり、モチベーションが下がっていました。

それに、「もっとこうすれば」と新しいことを思いついても、それを実現するために組織を動かすには根回しや大人の振る舞いが必要ですが、僕はそういった保全的な作業がまるっきり苦手で、停滞を感じるようになりました。

そんな時、お世話になっていた東京の医療機関向けコンサルティング企業の社長から、「うちの会社に来ないか」と誘われました。社長は元外科医で「医療機関経営にマネジメントの考え方が浸透すれば、日本の医療はもっとよくなる」というビジョンを持っていて、僕は共感していました。

また、その方から紹介されて出会う人がみなエキサイティングで、「この人ともっと話したい」と思える人ばかりで。それが楽しいし、居心地がよかった。だから「僕のやりたいことは、これなんじゃないか」と考えるようになったんです。

さらに、経営者の知人に「どうして高知なの?今やっていることはフルタイムで高知にいないとできないことなの?君が5倍のスピードで成長できる場所へ行って、5分の1の労力を割けば済むことなんじゃないの?」と言われて、返す言葉がなかったんですね。「ああ、本当にその通りだなあ」って。

それで、高知を離れて、東京で医療機関向けの経営コンサルタントをすることにしました。ものすごく良いメンバーに恵まれて、本当に楽しかったです。マネジメントのスペシャリストになろうと、がむしゃらに働きました。