大阪府の豊中市に二人兄弟の次男として生まれ、幼稚園で神戸に引っ越しました。年の近い兄は勉強が得意で、常にライバル意識を持っていましたね。兄よりもかっこよく見られたいという気持ちが膨らんで、友達に対しても競争心が強く、人よりも目立ちたいと思っていました。

11歳のとき、阪神淡路大震災が起きました。その日は地元の家が潰れるくらいの横揺れが来て、やっとの想いで飛び出すと、街が燃えていました。通っていた小学校が遺体安置所になって、亡くなった人を目の前にして、なぜ自分は生きているんだろうと思いました。周りの人、ましてや一緒に勉強していた友人が死んでしまった。それなのに、自分は生きている。人の命って儚いんだなって。日常は当たり前なんかじゃないってことを肌で感じました。

一方で、困っている中で手を差し伸べてくれる人の暖かさにすごく助けられました。避難所で誰もが暖かく迎えてくれたり、全国からボランティアに来てくれたり、物資が届けられたり。優しさや思いやりに支えられ、なんて素敵な振る舞いなんだと、心が熱くなりました。今だけじゃなく、こうやって自分は助けられ、生かされているんだって実感したんです。当たり前じゃない命を生かしてもらっているのだから、どうせなら熱く生きようという使命感のようなものが芽生えました。

中学に入る頃には、その想いが発言や行動にまで表れてきました。リーダーシップが芽生えて、学級委員や生徒会に推薦されるようになったんです。持ち上げられることで「俺はそういう人間なんだ」という使命感がまた強くなりましたね。

高校では県でトップの神戸高校に受かり、サッカー部に入りました。小さい頃からずっと続けていたんです。すると、2年生からキャプテンを任されました。飛び抜けて上手いわけでもなかったのですが、熱く生きるとか、責任感を持って振舞うという、物事に対する姿勢を評価してもらったんです。技術ではなく、心の在り方で認めてもらるんだと、初めて気づきました。

キャプテンとしては、チームの精神的な成長を大切にしていました。礼儀作法や挨拶、物事に向き合う姿勢を通してメンバーをまとめていたんです。特に、後輩の世話を焼くのは大好きでしたね。入部当初はサッカーがうまいことで調子に乗っていた後輩たちが、きちんと礼儀を学んで、人間としての魅力が増していくのを見るのが嬉しくて。人が変わっていくのを助けるのがモチベーションになっていきました。

大きな大会では、弱小チームだった僕たちが強豪校を倒し、県で準優勝することが、新聞でも「古豪復活か」と大きな見出しで特集を組んで頂きました。メンバーそれぞれの小さな心の変化が大きな結果として出て、やっぱりこれが一番大事なんだという想いが強まりました。

満足の行く結果で部活を引退して、進路を考え始めました。将来経営者になりたいという願望もあり、地元で一番偏差値が高い神戸大学で経営を学びたく目指しましたが、ところが、センター試験が上手くいかず、神戸大学には合格できませんでした。めちゃくちゃ悔しかったですが、性格的に浪人しても伸びないのが見えていたので、学費免除生として立命館大学に進むことを決めました。