3年間コンサルタントとして色々な案件に携わらせてもらいましたが、次第に「あれ?俺、ひょっとしてマネジメントじゃないかも?」と思うようになりました。マネジメントの要素は「ヒト、モノ、カネ、情報」と言われているんですけど、僕は「ヒト」以外のことには興味を持てないと気づいたんです。

そんな矢先、大阪にいた知り合いの研修医の女の子から、相談を受けるようになりました。彼女はバリバリ働いていましたが、話を聞くと、本当はもう体を動かすこともできないくらいの精神状態だとわかりました。

大阪まで話を聴きに行くと「そもそも生きたいと思ったことがない」「自分がこの世の中に生きていいと思ったことがない」と言うんです。単純に病院の環境の話ではなくて、もっと根源的な「存在レベルの生きづらさ」を抱えていた。いま生きている世界を信頼することができず、恐怖の対象でしかなかった。「死にたい」と思うのが日常だったんですね。

僕が関わったときは、とくに恐怖がつよくて、病院から電話がかかってくるだけで怖くて数日間寝込んでしまうような状況でした。まず、彼女の希望を聴きながら、直接コミュニケーションを取らずに病院を辞める手続きを仲介しました。また、生活を建て直すための安心できる環境を作るため、馴染みがありサポート資源も豊富な高知県で家を探し、信頼するセーフティスクラムのメンバーや精神科の先生に繋いだりしました。

本当に聡明で魅力的な子で、この子の「死にたい」が「生きたい」に変わる瞬間を支えることを、みんなで夢見ていました。そういう可能性を感じさせてくれる、不思議な存在でした。


彼女が引っ越してからも、月に1,2回くらいのペースで高知に会いに行きました。風通しの良い新しい家を気に入ってくれたのか、少しずつ元気を取り戻していくように感じていました。

会ってもするのはドラクエの話くらい。彼女の「死にたい」が無くなることはなかったけど、きっとそれは時間がかかることだろうと思っていました。

「死にたい」という希望に対して、医師は「死なないように約束する」のがセオリーです。でも、彼女が生きている苛烈な世界を目の当たりにして、「僕に免じて死なないで」なんて約束を押し付けることがいかに傲慢であるか、やりとりの中で痛感したんですね。「死んでほしくない」というのは、僕のわがままでしかなかった。それでも、なんとか生きてほしい。「もしかしたら、この世界には、安心して希望を持てる場所があるのかもしれない」という可能性を信じてほしかった。

他愛もない雑談の中で、ドラクエの3作目まではやったと彼女がいうので、僕は「面白いから、4もやろうよ。ドラクエ4は名作だから、やらないと損だよ」と言ったりして。すると次に会った時に彼女が「結構面白いですね」と言ってくれたので、「4やったら次は8がいいよ」なんて言って、どんどん次の約束をして。コンテンツでつなぎとめている感覚でした。

「今度ドラクエの11が出るから、それは一緒にやろうよ」と約束をしました。「死なないで」という約束はできなかったけど、また一緒にゲームを一緒にやろう、という約束はできた。ひとまずは、それでいいと思いました。「僕らのために死なないで」は無理でも、コンテンツが持つ力によって、死へ向かう気持ちが少しでもそれて、こっち側に傾いてくれればいいなという思いでした。

しかし、彼女はドラクエ11の発売日の翌日に亡くなってしまったんです。最後に高知で会った日の、1週間後の出来事でした。

その日から僕はドラクエ11以外何もしなくなりました。ショックから、ゲームに没頭することで逃れようとしたんです。ドラクエの世界に逃亡することで、実際にショックをいくらか和らげることができ、救われました。コンテンツの力を強く感じました。

でも、メンタルヘルスの問題に積極的に関わるのはもうやめたほうがいいかもしれない、と迷っていました。これだけ本気で関わっても、結局失ってしまうときは失ってしまう。そうなってしまった時のつらさに、もう耐えられないんじゃないかな、と思うようになりました。

そんなときに、大切な友人からから夜中に「私、死んじゃうかも」というメッセージをもらったんです。反射的に「行かなきゃ」と感じ、駆けつけて朝まで話をしました。それで彼女は今まで誰にもしてこなかった生きづらさの話を全て打ち明けてくれました。最後には笑顔も見せてくれました。

彼女は別れ際、「裕介さんのライフワークって、こういうことだったんだね。今わかったよ」と言ってくれました。そのことで一番救われたのは僕自身でした。

「ああ、僕はこれを続けていいんだ」と思い、泣きそうになりました。「根源的な生きづらさを抱える人に寄り添うこと」を、ライフワークにしようと、改めて思えたんです。「生きづらい人に生きる勇気を与える、勇者になりたい」と。

彼女は今、パートナーと結婚・出産し、前を向いて生きています。「大切な人が生きている」という事実が、僕にとって、1億円稼ぐことよりも、100億円の事業を興すことよりも、リアルに自分の人生に意味を与えてくれると感じた。医師になって本当に良かったと初めて心から思いましたし、自分が世の中とどう繋がるべきかをようやく知ったように感じました。

そうした経験から、自分の周りの大切な人たちが「生きづらさ」を抱えているときに、その人生の回復の拠点になれるような安心の居場所を作りたいと思うようになりました。「よい大人」が集まる口実と場所があれば、そこに安心できる日常ができるはずだと。それで、会社をやめて、クリニックを開業することにしました。