茨城県神栖市で生まれました。きょうだいは姉が1人います。幼い頃はいわゆるガキ大将でどうしようもなく、公立の小学校にもかかわらず強制転校の話が持ち上がるような子でした。

野球好きな父に影響され、野球を始めたのは小学1年の時でした。親からよく言われていたのは、嘘をつくな、それから、弱いものいじめをするな、始めたことを投げ出すな、といったこと。そんな、人間として根本的なことは教えられましたが、それ以外は何をしても、あまり怒られませんでした。勉強しなさい、とも言われたことはなく、比較的自由に育ててもらいました。

中学へ進んでもやはり野球を続けていました。中学時代、私はまさにチームの中心、エースで4番だったんです。並行していた極真空手でも全国大会や国際大会に出場できて、全てが思い通りに進んでいるような気がしていました。

当時は毎日野球の練習に明け暮れていたのですが、時にはやんちゃをして周りの人に迷惑をかけてしまうこともありました。すると父にこっぴどく怒られました。そして急に「お母さんが、どんな気持ちでお前を産んだのか、知ってるのか?」と言われたんです。私は何も知らなかったので「どういうこと?」と返すと、父は、私が本来なら4番目の子供だったことを教えてくれました。

母は、姉を産んだ後、2回流産をしていたんです。母もそして父も、相当辛かったと思います。私がこうしてこの世にいるのは、2回の流産を乗り越えながらも、恐れることなく産んでくれた母がいたからです。いや、きっとそれだけではないでしょう。亡くなったきょうだいたちも、天国から私が無事に生まれることを手助けしてくれたのかも知れません。私はその命の分も背負って、もっとちゃんと生きていかなきゃ、と思いました。