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親友の自殺が人生を変える
研修医になって2年目の時、大学でずっと一緒にいた親友が自殺しました。彼は運動部のキャプテンで、成績も優秀で、めちゃくちゃ優しいやつで、人が気づかない他人の魅力に光を当てるのが得意で。彼の周りにはいつも人があふれていました。これから先、ものすごく多くの人を幸せにするだろうと感じさせる存在でした。
そいつが、研修のストレスもあって、うつ状態になって、亡くなってしまった。医者のくせに、何もできませんでした。あんなカリスマみたいなやつにそういうことが起こるってことは、自殺というのは本人の性格うんぬんの話じゃないんだと痛感しました。
その後、臨床研修医は、3割の人がうつになるほどの、世界共通のハイリスクな職業だと知りました。つまり、本人だけの問題ではく、仕組みや環境の問題なんです。組織というのは、放っておくと研修医や新人職員のような「最も立場が弱い人」に負担が集中します。マネジメントがない組織は人を不幸にすることを強く感じたんです。
親友に起こったようなことが二度と起こらないように、研修医のメンタルヘルスを守る「セーフティスクラム」という自助団体を同級生と一緒に立ち上げました。研修医の中には「命が助かりました」と言ってくれる人もいて、ものすごく意義を感じました。
メンタルヘルス問題のセンシティブさ、難しさも感じましたが、活動は県に認められて臨床研修の仕組みに入ることに。そこから、研修医たちが自らの研修環境を改善していく「コーチレジ」という活動に繋がっていきました。
そういった活動をする一方で、自分自身の職場では全くと言っていいほど成果が出せませんでした。後期研修医として所属した大学病院の放射線科での仕事ぶりは、本当にポンコツでした。とにかく正確性が求められる仕事だったんですが、僕はミスやエラーだらけの人間なので、見事なミスマッチでした。
指導医には「給料泥棒」と言われたり、ミスを医局会で吊るし上げられたり、どん底でしたね。セーフティスクラムなどの医局外の活動についても、ほとんど理解してもらうことができませんでした。消去法で選んだつもりの放射線科が「合わない」と分かったときは、絶望的な気持ちになりましたね。