挫折を乗り越えるたび、新しい道は開ける。
プロゴルファー志望から起業家への転身。

WEB専門の制作会社を立ち上げ、HPやランディングページの制作などを中心に、WEB集客のサービスを提供する後藤さん。プロゴルファー志望から大きく進路を変え、起業を目指した背景には、どんな思いがあるのでしょうか。お話を伺います。

後藤 涼也

ごとう りょうや|WEB制作会社代表
WEB制作会社「株式会社リエイト」代表

※この記事は株式会社リエイトの提供でお届けしました。

サッカー少年がゴルフに出会う


大阪府の四條畷(しじょうなわて)市で育ちました。3人兄弟の末っ子です。姉と兄はあまり目立たず常識的に考える性格でしたが、僕はとにかく明るくて元気で、クラスではいつも人気者でしたね。

小学2年からサッカーを始めました。他の子どもより体が小さいことがコンプレックスで、その分、小回りが効くよう技術を磨きました。どんどん上達して、チームのキャプテンや地域の選抜選手に選ばれるようになって。将来はプロのサッカー選手になりたいと思うようになりました。

6年生のときに、大阪のサッカークラブのジュニアユースの選抜会に参加しました。ところが、結果は落選。仲の良かった関係者に話を聞くと、僕の体格的に厳しかったんじゃないかと言われました。体が小さいコンプレックスをサッカーで強みに変えたからこそ、「もっとやれるはずなのに」って、すごくショックを受けましたね。

サッカーをこのまま続けるか、別のスポーツを始めるか考えていた時、父にゴルフに連れて行ってもらったんです。「とりあえず打ってみろ」と言われ、初めてクラブを握って打ってみました。ボールが飛んでいくのを見て、父がすごく感心したんです。初めてで空振りせずにボールを打てたのはすごいって。「お前才能あるよ!」って言われて、すごく嬉しくなりました。それからは、ゴルフに夢中になって、近所の練習場に通うようになりました。

中学3年には、ジュニアの全国大会で7位の成績を収めました。サッカーをしていた時と同様に、ゴルフをやるからには、将来は絶対プロになると決めていました。

プロゴルファーを目指して


高校からは、府内でもゴルフ部が強い学校に進学しました。毎日、部活が終わった後も個人でトレーニングをしていましたね。

ただ、学校は文武両道で、部活だけでなく勉強にも力を注ぐ環境でした。僕は部活やトレーニングに集中できず、だんだん辛くなってきたんです。練習時間も中学時代より少なく、成長するスピードも遅くなったように感じて。それに加え、海外に留学してゴルフをしたいという気持ちもありました。世界で活躍するプロゴルファーへの憧れと、日本ではあまりユースの育成環境が整っていない現状もあって、海外に出てゴルフの腕を磨こうと考えたんです。

結局、顧問や担任に相談して、兵庫県の通信制高校に転校することにしました。通信制なので、週に一回登校して課題を提出すれば大丈夫です。それ以外の時間はゴルフの練習に没頭しました。

また、オーストラリア人の知り合いから、母国のゴルフ環境のことをいろいろ聞かされたことをきっかけに、高校2年の時に1年間オーストラリアに留学しました。

現地の生活で感じたのは、みんな家族や自分の時間をとても大事にしているということ。例えば、日本では閉店時間を少し過ぎても店員さんは待ってくれますよね。でも、オーストラリアのスーパーでは、閉店時間を越えそうになった時に、店員さんがお会計を断わったんです。「これから家族で食事をするから帰らないといけないんだ」と、片付け始めました。お店の売り上げや仕事よりも家族の時間を優先できるんだって、衝撃でしたね。

平日はベビーシッターをして、その後ゴルフ場に向かいます。週末は、ジュニアの大会に出場しました。成績は上位ではありませんでしたが、毎週世界中から集まったたくさんのゴルファーと競い合い、貴重な経験ができましたね。

プロテストの挫折と0からのスタート


プロゴルファーとなるには、資格認定のプロテストとクオリファイングトーナメント(QT)でファイナルまで残り、成績上位になる必要があります。僕の目標として、高校生まではアマチュアの大会に出て、18歳でプロテストとQTに合格し、プロゴルファーになる。20歳くらいで、大会で勝って一花咲かせて、賞金ランキングトップ10に。その後、賞金王になって、海外で活躍する。そんなストーリーが出来上がっていました。

18歳になり、プロテストを受ける時がきました。毎年2000人くらいの参加者から予選を勝ち抜いた50名ほどがプロに認定されます。プレ予選から、順調に1次、2次と突破しました。続いての3次予選の間、なんとなく自分のプレーに違和感がありました。その後、クラブハウス内で結果の紙が張り出され、恐る恐る見てみると、自分の名前に合格の印はついていませんでした。

プロテストはプロゴルファーになるための通過点で、合格して当たり前。落ちるなんて考えてもみなかったし、合否以上に、言い訳もできないくらい全力で望んだ上で、こんな成績しか出せなかったことがショックでした。

周りには、プロテストを10回以上も受けた30、40代のゴルファーがゴロゴロいて、僕はそうなりたくありませんでした。1回のテストで通らないとプロとして活躍できないと思っていたからです。なのに、プロテストの段階でコンディションを合わせられず、高いレベルのパフォーマンスができなかった。僕は世界で活躍することはできないんだと、燃え尽きてしまったんです。

プロの道としてもう一つ、プレーを指導するティーチングプロになるという選択肢もありましたが、それは考えられませんでした。とはいえ、これまでゴルフ以外の進路なんて考えたこともありません。途方に暮れる中で、だんだん、「これはゴルフを諦めて別の道を歩む機会なんじゃないか」って思い始めたんです。

12歳でゴルフを始めてから、ずっと父や家族のサポートのもと続けてきました。親と一緒にやってきたという想いがあるからこそ、僕にとってゴルフを辞めることは「親から自立して、自分の足で歩み始める」ことのように思えました。父にゴルフを辞めると伝えると、案の定、激怒されました。あれだけ力を入れて僕に投資し、応援してくれたわけですから、当然の反応です。それでも、僕は別の道を歩むと決めました。

まずは、仕事を見つけて、社会人としての基礎を身につけようと思いました。様々な業種の企業の面接を受けた後、アパレルの卸しを行う企業に採用が決まりました。営業職に就いたのですが、基本的な受け答えや身の振る舞い方がわからず、従業員やお客さんからも怒られてばかりでした。しんどい時もありましたが、「社会人の基礎を勉強させてもらってるんだ」と自分に言い聞かせて、仕事に励みましたね。

起業失敗からの学び


アパレル会社の仕事も2年目を迎える頃、頭の片隅では起業のことを考えていました。ゴルフでは、企業の社長さんと話をする機会がたくさんありました。社長さんたちの姿を見ていると、余裕があってオーラもあって、すごく格好良く感じたんです。もともとプロゴルファーになろうと思ったのも、一花咲かせてビックになりたいとか、人気者になりたいという動機があったからでした。社長さんたちみたいになりたい、いつか自分も起業したい、と憧れていたんです。

そんな時に、あるお客さんから「後藤君のところはホームページって作れるの?」と聞かれました。会社にWEB制作事業はなく、僕も作り方を全く知りません。ただ、これはチャンスだと思い、速攻で「やります!」と答えました。インターネットで無形商材を売って、お客さんに喜んでもらってお金が入る、というビジネスにとても興味が湧いたんです。その後上司には、「わざわざそんなリスクを負うな」と叱られ、結局、会社の業務時間外に僕が個人で制作することになりました。HPの作り方を必死に調べ、なんとか形にして納品すると、その社長さんはとても喜んでくれました。

一通り制作の案件をやってみて、「このプロセスのどこにリスクがあるんだ?」と思いました。人件費以外はリスクも少なく、営業のメリットもたくさんあるのにって。会社に事業部をおくよう打診したんですが、全く聞き入れてもらえませんでした。それでも、ウェブ制作の仕事に可能性を感じて、制作会社に転職しました。

転職後は、デザインとコーディングを担当しました。頭の片隅では起業したいという想いがあるものの、制作の仕事は始めたばかりなので、独立してやっていく自信はありません。それでも、20歳は大事なターニングポイントだと思い、なんとしても今起業したかったんです。自分は何ができるか考えた結果、行き着いたのはゴルフでした。会社と相談し、兼業という形で、平日の夜は制作会社のアルバイト、日中と週末は自分の事業に取り組むことにしました。

起業について調べて、何度も会社設立の手続きをやり直しながら、ついにゴルフのイベント関係の事業を立ち上げました。コンペの代理や、プレイヤーのアサイン、キャディーの派遣など、アルバイトを数名雇って回しました。

ゴルフ場と制作会社を行き来する生活は想像以上にしんどかったですね。仕事に忙殺される毎日でした。相場もわからないまま、適当にサービスの価格をつけてしまっていたので、売り上げが伸びすにいました。それに加え、税務管理などの業務が追いつかず、バックオフィスはボロボロの状態。国金に申請して、創業融資を受けるも、赤字続きで借金は増えていくばかりでした。あまりのしんどさに、心身共に疲弊してしまったんです。

この状態からどう立ち直ることができるか、悩みましたが答えは一つでした。彼女と結婚し家庭を持つためにも、立ち上げた会社を一旦たたむことを決意しました。

制作会社にまたフルコミットさせてもらい、ディレクターと営業の仕事を担当しました。それでも、いつか必ずまた起業すると決めていました。

1回目の起業は、僕の知識と準備が全く出来てない状態。ゴルフで言うと、コンディションが全く整ってない状態でやったから失敗しました。明確に失敗の原因がわかったので、次は売上利益を追求しようと周到に計画を練りましたね。僕が制作会社でやっていることで起業するのが確実だと思いました。仕事の工程も、利益率もわかってますし、これだったらまずは僕一人でも出来る。会社として利益を出すことはできると確信したんです。バックオフィス部分は独学で勉強して、準備を進めました。

社会に役立ち必要とされる存在へ


2016年に2回目の起業として、WEB専門の制作会社「株式会社リエイト」を立ち上げました。現在は、HPやランディングページの制作などを中心にWEB集客のサービスを提供しています。

設立当初は、お客さんから直接仕事をいただくことは難しいと思い、制作案件を抱える制作会社や代理店をメインにアプローチしました。それが功を奏し、いくつかの会社と契約することができました。ありがたいことに、最近ではお客さんから直接仕事を依頼されることも増えています。

1年目で会社の仕組みづくりを進め、ある程度の利益も出すことができました。2年目では、さらなる売り上げアップと事業内容や会社の規模拡大を目指しています。サッカーやゴルフの時と同様に、目標はシンプルにわかりやすく、「35歳までに会社を上場させる」ことです。もちろん、それなりの事業でないと駄目ですし、今はまだ模索している段階です。

自分の一つの軸として、「ゴルフ」と「IT」を組み合わせた事業を考えています。まだまだ開拓できる領域ですし、自分なら既存のコンテンツに負けないような、面白いコンテンツを提供できるんじゃないかって思うんです。

将来的には制作だけでなく、より広く本質的な課題解決に貢献したいと考えています。クライアント企業の採用に役立てたり、コンテンツマーケティングやブランディングなどにおいて、長期的・短期的それぞれのWEB戦略を一緒に考え、提供できるようになりたいですね。

今後は会社を大きくする中で、仲間と一緒に、世の中の課題を解決する事業を考え、展開しできればと思います。そうやって、ビジョンも明確になっていくんだと思います。やがて社会に役立ち、必要とされる存在となっていきたいですね。

2018.02.12

後藤 涼也

ごとう りょうや|WEB制作会社代表
WEB制作会社「株式会社リエイト」代表

※この記事は株式会社リエイトの提供でお届けしました。

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