この会社だからこそ、できることを。
会社をより良く変えれば、社会も変わる。

日本郵便で新規事業の開発に取り組む福井さん。映画関係の会社に入りたかったものの、新卒では日本郵便に入社しました。3年働いて転職しようとしていた福井さんが、震災、ローソンへの出向を経て、なぜ新規事業に関わるようになったのでしょうか?お話を伺いました。

福井 崇博

ふくい たかひろ|事業開発推進
日本郵便で新規事業に携わる。社内有志団体P∞(ピース)の共同発起人・代表であり、大企業の若手・中堅有志団体のプラットフォーム One JAPANにも参加。又、オープンイノベーションオフィス「SENQ」のメンターも務める。

【2017年8月15日イベント登壇!】another life. 〜「会社を替える」と「会社を変える」〜

消えたクラブチームと、横浜への想い


三重県で生まれ育ちました。4つ年上の姉がいて、典型的な末っ子B型の性格でしたね。自分の好きなことしかやらないし、困ったらお姉ちゃんや親に助けてもらうのが上手でした。両親は、僕が興味を持ったことはなんでもチャレンジさせてくれました。学習塾、サッカー、ミニ四駆の大会など、色々なことに熱中して取り組みました。

中でも、特にハマっていたのがサッカーでした。幼稚園のときにJリーグが開幕して、横浜フリューゲルスというクラブの大ファンになったんです。きっかけは単純で、チームカラーの水色が好きとか、マスコットが好きとか、その程度。それでも夢中になって、年に一度、地元の近くで試合を見るのを本当に楽しみにしていました。

ところが、開幕から6年後、そのクラブが潰れてしまったんです。朝起きて、新聞を見たら大きく「フリューゲルス消滅」という見出しが出ていて。

ショックでした。来年からクラブがなくなるなんて、意味がわかりませんでした。あまりに悲しくて、学校も休んでしまいましたね。

でも、フリューゲルスはそのまま終わりませんでした。最後の天皇杯で優勝して有終の美を飾ったり、クラブ存続のためにサポーターが何十万もの署名を集めたり。最終的には、ファンが自分たちの手で横浜FCという新しいサッカークラブを作ったんです。

解散もショックでしたけど、新しいクラブの誕生もすごく衝撃的でしたね。どうしようもない事情で好きなものを奪われた人達が、署名集めて、会社作って、クラブ作ったんだ、って。それからは、いつか自分も絶対横浜に行って、新しいチームのサポーターになろうと心に決めました。

中学・高校は部活でサッカーに夢中になりました。横浜への想いは変わらず、大学受験は横浜の大学を第一志望にしました。ところが、前期でまさかの不合格。後期試験で、横浜からギリギリ通える八王子の大学に受かり、念願の横浜生活が始まりました。

大学時代はサッカークラブの応援ばかりしていました。サポーターグループのメンバーって、色んな人がいるんです。大企業の部長もいれば、バンドマンも、医者の卵もいる。みんな個性的だし、荒っぽいし、最初は輪に入っていくのが怖かったですね。でも、自分から積極的に話しかけたり、横断幕の移動を担当したりしていく中で、徐々に認められるようになりました。重要な役割も任せてもらえるようになって、頑張ってれば周りに認められるということを学びましたね。

グループのメンバーと関わる中で、リーダーから「サポーター以外に、別の軸を持った方がいいよ」と言われたことがありました。様々な人が集まる場にいるからこそ、自分の領域を持った方が良いと。その時、自分が極めていきたいのは何かを考えて、軸になると思ったのが、映画でした。

映画の中でも、特にエンドロールが好きだったんですよね。あれを見てると、こんなに沢山の人が関わってるんだってことを実感できる。沢山の人が色んな役割を担って、その積み重ねで映画が出来上がるっていう過程に惹かれたんです。映画プロモーションの専門学校に行ったり、映画祭や宣伝会社のバイトを通して、大学卒業後は映画関係に就職したいと思うようになりました。

あの人に恥じない仕事をしたい


ところが、映画関係の会社から内定を得ることはできませんでした。そんな中、面接の印象を良くしようと、真面目なイメージの企業も受けていて、その中の一つとして受けていた日本郵便(当時、郵便局株式会社)から内定をもらいました。映画会社に勤めている知り合いに相談して、「大企業に3年勤めたら転職しやすいよ」と言われたので、3年働いて転職するつもりで入社しました。

1年目は郵便局の窓口研修でした。2年目から本配属が決まるのですが、僕はどうしても物販ビジネス部というところに行きたかったんです。その部署ではエンタメ業界とコラボしてグッズを企画・販売できるので、業界とのパイプを作れると思ったからです。

物販ビジネス部に行きたいとアピールするために、飲み会で「僕がこの局の物販の売り上げを伸ばしてみせます!」なんて大口を叩いたりもしました。そしたら、局長や営業部長も応援してくれたんです。イベントをしかけたり、周りの局社員の人たちも一緒にポップを作ってくれたりして。そのおかげで、最終的には局の推進率が県で3位にまでなりました。会社がそういう努力を汲み取ってくれたのか、希望していた物販ビジネス部に配属してくれました。

ちょうど本配属が決まった頃、東日本大震災が起こりました。僕たちも被災地に1週間ずつ派遣されることになりました。津波で郵便局が流された場所までトラックで行って、移動郵便局を出しました。通帳が流された方への対応のためです。

僕が行ったのは4月だったので、移動郵便局の需要自体は落ち着いている時期でした。そんな中、局長と話していたときに、目の前を郵便バイクが通り過ぎて行ったんです。「おお、お疲れー!」って局長が彼と挨拶を交わして。そして、彼が走り去ったあとに局の社員の人たちが「アイツ津波で嫁も子どもも流されて、まだ見つかってないんだ。だけど、こういう時だからこそ、郵便の仕事が大事なんだって言って、働いてるんだよな」と言ったんです。

その話を聞いて、「この会社すごいな」って思いました。災害時も、日常も、全部含めて人の生活を支えてるんだって。彼の気持ちは僕には汲み取りきれませんが、働く姿に誇りを感じました。

このときに、会社への気持ちが変わったんですよね。彼に出会うまでは、自分のことしか考えてなかったんです。転職のために実力つけて、パイプつくって、自分だけ勝ち抜けてやろうって。本当は、物販の成績を上げられたのも、物販ビジネス部に異動させてもらえたのも、色んな人の協力があったからできたことなのに。自分の未熟さを思い知りました。

それから、会社のことが前よりも好きになりました。もう少しこの会社のために頑張って、あの人に恥じない仕事をしたいと思うようになりました。

自分がやりたかったこと


被災地から帰ってきて、念願の物販ビジネス部での業務が始まりましたが、思い描いた通りには結果が出ませんでした。映画とタイアップしたグッズを作ったりしても、PRが上手くいかなくて。せっかく作ったのに、郵便局のお客さまにしかアプローチしていない。すごくもったいないと思いました。

物販ビジネス部では、他社の方と一緒に動く機会が多かったので、外部の方々との知見の差を感じました。自分も外でノウハウを学びたいという気持ちが強くなり、提携先のローソンへの出向を希望しました。映画関係に転職したい気持ちもまだ残っていたので、エンタメに強いローソンに惹かれる部分もありましたね。

その後、年に一人しか行けない出向の枠を勝ち取ったにも関わらず、ローソンに行って半年は腐っていました。文化に馴染めないし、ビジネスレベルもスキルも通用しない。何もできなかったんです。自分から行かせてくれって言い出したくせに、早く出向が終わらないかなんて思うほどでした。

だけど、周りの人がそこで見捨てないでいてくれたんです。先輩たちもアドバイスをくれたり、普段の会話から引っ張り上げようとしてくれて。ある日部長が冗談交じりで「来年からはJPの出向受け入れなくてもいいかなって本部長が言ってるぞ」と言われたんです。そこでマズイなと思って焦り出しました。毎年続いてるものを自分の年で終わらせるわけにはいかないって。

この出向も色んなひとのおかげで成り立っているんだって、ハッとしました。自社の人事、ローソンの郵政担当の人、色んな人がお膳立てしてくれたから、自分は外で修業するチャンスをもらえた。それに気づいたとき、変わらなきゃいけないと思ったんです。無我夢中で頑張るようになりました。

それからは、自分から積極的に仕事を取りに行くようになりました。そして、そんな姿勢を認めてもらって、徐々にチャレンジをさせてもらえるようになりました。そのひとつが、ローソンとJPの新規事業のテストマーケティングです。せっかく日本郵便の代表として修業させてもらっているからには、ローソンとの協業の実績を作りたいという気持ちがありました。

そのプロジェクトがきっかけで、映画業界へ転職したいという気持ちはなくなりました。ローソンのある商品を郵便局で売れるか調査する販売実験をして、各地の郵便局を回る中で、現場の社員たちが本当に頑張ってくれる姿を見たんです。本業だけで手一杯のはずなのに、ポップを作ったり、 推奨販売してくれたり。なんでそんなに頑張ってくれるんだって理由を聞いたら、やっぱりこの会社で新しいビジネスを作らなきゃいけないって思ってる人がたくさんいて。うちの会社をもっと良く変えたいと思ってるのは、僕だけじゃないって思えました。

それで、自分がやりたかったことはこれだって気づいたんですよね。色んな人を巻き込んで、一つの目標に向かっていくこと。ローソンのプロジェクトも、サポーターも、映画も同じです。エンドロールを見てるときのあの感情は、映画以外でも味わえるってわかりました。だから、もう映画は観るだけでいいやって、そのときに思いましたね。

チャレンジしてから辞めよう


最初は早く終わらないかと思っていた出向も、最終的には延長をお願いするまでになりました。元々出向は2年と決められていたのですが、3年目こそが協業の実績を残すチャンスだと思ったんです。何度も日本郵便側に延長のお願いをしましたが、叶いませんでした。

しかも、出向から戻ってくると、元の物販ビジネス部ではなく、物流部門に異動することになりました。「俺が日本郵便を変えてやる」なんて意気込んでいたのですが、物流に関する知識が足りなくて、全く使い物になりませんでした。平日の夜にMBAにも通い始めたのですが、仕事も学業も中途半端になってしまい、真剣に転職を考えるようになりました。

そんなときに、「まちてん」というイベントへの出展プロジェクトの社内公募がかけられました。様々な企業や自治体等が掛け合わさって、地域活性化や地方創生に対するソリューションを共創するというイベントでした。

見た瞬間に、これだと思いました。ローソンでプロジェクトをさせていただいたときのように、色んな部署に横串を刺していけると思ったんです。せっかくこういう機会があるんだから一回チャレンジして、上手くいかなかったら辞めようと腹をくくりました。本業の物流と、まちてんプロジェクト、MBAという三足のわらじ生活が始まりました。

当日は様々な企業が来てくれて、発信としては良い成果を出せました。日本郵便の可能性を広くPR出来たことは勿論ですが、もっと嬉しかったのは、たくさんの社員が来てくれたことなんです。年末の忙しい時期なのに、九州や関西から局長が足を伸ばしてくれたり、経営幹部も来てくれました。

「まちてんプロジェクトもっと頑張った方がいいよ」とか、「うちがこういうイベントに出るのはやっぱいいね~」とか、「やる意味あったね」って言ってくれる人が沢山いて。ローソンから戻ってきて、ギャップに苦しんで転職を考えましたが、やっぱりこの会社でまだまだ頑張れると思わせてくれたのが、このプロジェクトでした。

変革の先に見えるもの


現在は、事業開発推進室で新規事業を担当しています。日本郵便のリソースを使って、他社さんと新しいことを作っていく部署です。

新規事業は、日本郵便でしかできないことを探すことが大きなテーマです。郵便の取扱量はどんどん減っていくし、今まで地域の中では郵便局や限られた選択肢しかなかった保険や、銀行の機能が、ネットなどとも競合していかなきゃいけなくなる。このままだと、郵便局じゃなきゃいけない理由がなくなってしまうんですね。そこをどうやって、世の中に日本郵便としての価値を生み出すかを新規事業で模索しています。

同時進行で、「日本郵便をより良く変えていこう」という有志社員でP∞(ピース)という団体の活動をしています。現在64人のメンバーがいて、ランチミーティングをしたり、先輩社員やゲストスピーカーに来ていただいて知見を深めたり、最近ではアウトプットに向けて分科会ごとに活動をしたりしています。P∞は、大企業の若手・中堅有志団体のプラットホーム「One JAPAN」にも参加しているので、そこで繋がった大企業と悩みやノウハウを共有したり、イノベーション創出にもチャレンジしています。

こうやって色んな繋がりを生みながら、僕個人としては日本郵便のアイコン的存在になっていけたらいいと思ってます。日本郵便って組織が大きすぎて、外から見たときに誰に相談すればいいかわからないと思うんですよね。だからこそ、うちの会社と何かやりたい人は僕のところに来てくれる、いろんな話が集まって来るような人材になっていきたいんです。せっかく日本郵便で働かせてもらってるので、この環境で出せる最大限の価値を発揮したいですね。

今は会社をより良くする変革に夢中ですが、変革の先にどんな会社があるべきなのかは、まだ模索中です。ただ、自分を今まで助けてくれた人には恩返ししたいし、いま自分と関わってくれる人たちに、一歩踏み出すことで変わるものを伝えたいとは思ってます。変わっていく会社や、変えていく人たちを見て、変化に飛び込む勇気を少しでも感じてもらえればいいですね。

会社変革が目的だと思ってた時期もありましたが、最近は、会社がより良く変わるのは通過点だと考えるようになりました。日本郵便が大企業やベンチャーと新しいことをする、その先には地域コミュニティがあって、そこに住むまちの人がいるんですよね。だからこそ、日本郵便の変革の先には社会の変革が見える気がするんです。そのためにも、最初は小さくてもいいから、価値あるイノベーションを、どんどん生んでいきたいですね。

2017.07.26

福井 崇博

ふくい たかひろ|事業開発推進
日本郵便で新規事業に携わる。社内有志団体P∞(ピース)の共同発起人・代表であり、大企業の若手・中堅有志団体のプラットフォーム One JAPANにも参加。又、オープンイノベーションオフィス「SENQ」のメンターも務める。

【2017年8月15日イベント登壇!】another life. 〜「会社を替える」と「会社を変える」〜

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