人の活性化で会社、日本を良くしたい!「大企業だからできない」という諦めへの挑戦。
大手メーカーにて人事として働く傍ら、有志にて社内の「人のつながり」を生み出す活動を行う濱松さん。世界を股にかけて働きたいと考えた学生時代から、社会人を経て「人」に情熱を注ぐようになった背景には、どのような思いがあったのでしょうか?
濱松 誠
はままつ まこと|大手家電メーカー勤務
パナソニック株式会社 コーポレート戦略本部 人事戦略グループに所属し、人・風土に関する業務に携わる傍ら、
「交流と学び」をテーマに、パナソニック社員のモチベーションの向上・知識拡大・人脈形成を目的に活動する、
『One Panasonic』という若手主体の有志団体の活動を行う。
One Panasonic Facebookページ
「日本と世界」という視点
京都に生まれ育ち、小さい頃から英語が好きでした。キッカケは小学生の時に通い始めた英会話スクールだったのですが、最初は英語のゲームの楽しさや、まだ誰も知らない単語のスペルを書けた時の嬉しさから始まり、 元々の社交的な性格も相まって、英語自体がどんどん好きになっていきました。
並行して、小学校からバスケットを始め、小中と全国大会に出場するようなチームでバスケットに打ち込みました。 そして、高校に進学すると、そのままバスケ部に入りながらも、 ESS(英語部)にも同時に所属。英語劇や英語スピーチの練習をしながら、家族にもわがままを言って高校1年でアメリカ、高校2年でオーストラリアに短期留学させてもらうことができました。
ところが、初めての海外留学では思ったように流暢にしゃべれず、描いた理想と現実のギャップの大きさを痛感しました。 日本人では良くあることかもしれませんが、文法は分かるのに会話が上手くできず、「必要なのは会話なんだ!」と帰国してからは英語で話すことに力を入れていきました。
この頃から、自分の中では常に「2足のわらじ」を意識してきましたね。目立ちたがりやな性格でやんちゃをして目立つ一方で、進学クラスで勉強に励む、また、バスケ部に入りながらも、ESSで英語劇やスピーチを練習する、と、いろいろできるようになりたいと思っていました。
特に、バスケットをしながらESSに属するなど、自分の周りにはいなかったので、驚かれることもありましたが、「濱松がそこまでやりたいなら」 と最終的にはみんな応援してくれましたね。
その後、高校を卒業してからは、英語を使ってグローバルに働きたいという思いから、大阪外国語大学(現:大阪大学外国語学部)に進学しました。専攻のヒンディー語学科では、言語だけでなく、潜在性を秘めたインド経済、多種多様なインド文化も学ぶことができました。
特に印象に残っているのは、語劇の活動で2ヶ月間かけて、インド縦断の旅をしたことです。日本と違って、思う通りにいかないことは多々ありましたが、それ以上に自分に刺さったのが、日本にいては感じられない「多様性」。
日本では米国や中国の文化が色濃く反映されていますが、そのどれとも全く違うインドという新しい文化・価値観を肌で感じることができました。そういう意味で、この大学・学科に入ってよかったなと思いました。
その後、3年生のときにニューヨークの語学学校で1年留学を経験し、改めて、日本の素晴らしさと課題感を両方抱くようになりました。 そこで、帰国後の就職活動では、「日本の力で世界をより良くしたい」という視点から、国内のメーカーや商社を受けるようになりました。
そして最後には、日本を代表するメーカーの1つだという点、自分についてくれたリクルーターの先輩方に強く惹かれた点から、松下電器(現:パナソニック)に入社することに決めました。
一生懸命働いているのになんでだろう?
入社してからは、薄型テレビを北米に販売するためのマーケティング部署に配属されました。私が携わることになった薄型テレビは、会社でも花形の商品だったのですが、社内からの期待でプレッシャーが大きい上に、競合他社との競争も激しく、職場には焦りや閉塞感が漂っていました。
周りの方々の表情やモチベーションに触れると、「みんな一生懸命に働いているのに、なんでだろう?」 という哀しみを抱いたんです。漠然と、この状態をなんとかしたい、と感じましたね。
仕事では、それから4年間、北米向けのマーケティングに携わった後、自ら社内公募で手を挙げて、インド向けにデジタルカメラ等の事業企画を行う部署に移ることになりました。やはり、これからインドが伸びていくという感覚がありましたし、自分にとって、大学時代に文化や慣習を学んだインドは、すごく身近に感じられる国だったんですよね。
それからは、現地に駐在して働くことを一つの目標に、業務に励むようになりました。
やっぱり事業は人だな
その一方で、海外マーケティングの仕事とは別に、「人のつながり」をテーマにした業務外の活動を行うようになりました。
元々、私が内定者の時から社員とのつながりが無いことに、漠然と課題感を感じており、実際に入社してみると、「こんなに面白い人がいるのか!」と思うことが多々あったんですよね。そこで、社会人1年目の時から、内定者懇親会を企画し、社員との交流を増やしていきました。
そんな交流会を、若手中心に6年続けていたところ、2012年の1月にグループ会社3社が合併することになったんです。合併後は、異なる文化や組織のシナジーを生み出そうとしていたのですが、大企業かつ縦割りの組織ということもあり、現場レベルでは一つになったことを実感することすら難しかったんですよね。
そこで、それまで培ってきた新入社員のネットワークを活かして、2012年の3月、パナソニック社員のモチベーションの向上・知識拡大・社内外の人脈形成を目的に活動する、『One Panasonic』という若手主体の有志団体を設立したんです。
自主的な取り組みながら、経営幹部にも協力してもらうことができ、徐々に活動の幅を広げていっていました。そんな折、社長交代があり、その戦略スタッフの公募が行われることになりました。その公募では人事も募集されていたんですが、私は入社当時の課題意識や『One Panasonic』での活動への思いもあり、仕事でも「人事」として会社に貢献したいという思いを抱くようになったんです。
正直、インドの仕事はすごく好きで、現地駐在ができるかもしれないというチャンスもありましたし、それまでやってきた海外営業というキャリアパスを、社会人6年目にして変えることに不安もありました。ただ、両方やりたい中で、自分が会社に提供できる価値はどちらなんだろう?と考えてみると、『One Panasonic』等の活動をしている時の自分の方が素に近いな、と感じたんです。
そして、 「やっぱり、事業は人だな」 と感じたんですよね。そこで覚悟が決まり、私は社内公募で人事に手を挙げることにしたんです。
日本を良くするために挑戦したい
その後、無事社内公募に通過することができ、現在はコーポレート戦略本部の人事戦略グループという部署で、風土改革や人材交流などを通して、挑戦する「人」と「仕組み」をつくろうと頑張っています。最終的に「カルチャー」として根づかせたいですね。
自分自身が大きな機会をもらった社内公募制度の推進も私の仕事の一つ。「人」に携わる業務に本格的に取り組むようになり、奥が深く難しい部分もありますが、面白いなという感覚がありますね。 「事業は人」というのは間違いないなということも改めて感じました。
また、有志の会『One Panasonic』では、現在、1600名を超えるほど、仲間が増えてきましたが、 「大企業ではできない」という諦め感を絶対に持たないことをモットーに活動を行っています。
将来的にやりたいことはたくさんありますが、まだ具体的には決まっていません。やはり何より、社会を、そして日本を良くしたいというのが一番の思い。学生時代から抱いてきたこの思いの実現に向けて、私自身もどんどん挑戦していきたいと思っています。
2014.09.24