三重県で生まれ育ちました。4つ年上の姉がいて、典型的な末っ子B型の性格でしたね。自分の好きなことしかやらないし、困ったらお姉ちゃんや親に助けてもらうのが上手でした。両親は、僕が興味を持ったことはなんでもチャレンジさせてくれました。学習塾、サッカー、ミニ四駆の大会など、色々なことに熱中して取り組みました。

中でも、特にハマっていたのがサッカーでした。幼稚園のときにJリーグが開幕して、横浜フリューゲルスというクラブの大ファンになったんです。きっかけは単純で、チームカラーの水色が好きとか、マスコットが好きとか、その程度。それでも夢中になって、年に一度、地元の近くで試合を見るのを本当に楽しみにしていました。

ところが、開幕から6年後、そのクラブが潰れてしまったんです。朝起きて、新聞を見たら大きく「フリューゲルス消滅」という見出しが出ていて。

ショックでした。来年からクラブがなくなるなんて、意味がわかりませんでした。あまりに悲しくて、学校も休んでしまいましたね。

でも、フリューゲルスはそのまま終わりませんでした。最後の天皇杯で優勝して有終の美を飾ったり、クラブ存続のためにサポーターが何十万もの署名を集めたり。最終的には、ファンが自分たちの手で横浜FCという新しいサッカークラブを作ったんです。

解散もショックでしたけど、新しいクラブの誕生もすごく衝撃的でしたね。どうしようもない事情で好きなものを奪われた人達が、署名集めて、会社作って、クラブ作ったんだ、って。それからは、いつか自分も絶対横浜に行って、新しいチームのサポーターになろうと心に決めました。

中学・高校は部活でサッカーに夢中になりました。横浜への想いは変わらず、大学受験は横浜の大学を第一志望にしました。ところが、前期でまさかの不合格。後期試験で、横浜からギリギリ通える八王子の大学に受かり、念願の横浜生活が始まりました。

大学時代はサッカークラブの応援ばかりしていました。サポーターグループのメンバーって、色んな人がいるんです。大企業の部長もいれば、バンドマンも、医者の卵もいる。みんな個性的だし、荒っぽいし、最初は輪に入っていくのが怖かったですね。でも、自分から積極的に話しかけたり、横断幕の移動を担当したりしていく中で、徐々に認められるようになりました。重要な役割も任せてもらえるようになって、頑張ってれば周りに認められるということを学びましたね。

グループのメンバーと関わる中で、リーダーから「サポーター以外に、別の軸を持った方がいいよ」と言われたことがありました。様々な人が集まる場にいるからこそ、自分の領域を持った方が良いと。その時、自分が極めていきたいのは何かを考えて、軸になると思ったのが、映画でした。

映画の中でも、特にエンドロールが好きだったんですよね。あれを見てると、こんなに沢山の人が関わってるんだってことを実感できる。沢山の人が色んな役割を担って、その積み重ねで映画が出来上がるっていう過程に惹かれたんです。映画プロモーションの専門学校に行ったり、映画祭や宣伝会社のバイトを通して、大学卒業後は映画関係に就職したいと思うようになりました。