イベントを通じた出会いで世界を変えたい!
転職10回、自殺まで考えた先に訪れた出会い。
日々、多種多様なイベントの企画や開催を行う中目黒アロマカフェにて、オーナーを務める原田さん(外舘さん)。転職10回、自殺も考えた先に訪れた出会いとは?お話を伺いました。
原田 冬樹(外舘 冬樹)
とだて ふゆき|イベントカフェオーナー
中目黒アロマカフェの夜のオーナーとして、日々様々なイベントの企画、開催を行う。
両親の離婚、いじめを経験した学生時代
私は東京都で生まれました。小学校2年生の時に、料理人の父親の独立を機に、神奈川県に引っ越しました。しかしお店は上手くいかず、私が小学校6年生の時にたたむことに。その後、両親は離婚し、母親の出身地である北海道へ転校しました。
母子家庭で裕福ではなく、また学力的にも選択肢がなかったので、地域内で一番偏差値の低い公立高校へ進学しました。英語の授業は「ABC」から始まり、入部したサッカー部は部員が3人しかいないような学校でした。
北海道で仕事が見つからなかったので、高校卒業後は上京しました。昔から温泉が好きだったので、温泉で働きたいと思い、たまたま求人で正社員募集があった温泉などのレジャー施設を運営する会社に入社しました。入社式で発表された配属先は新宿歌舞伎町のボウリング場でした。18歳で上京し、歌舞伎町がどのような街か知らなかったこともあり、最初はすごく怖かったですね。
仕事自体はすごく楽しかったです。今まで自分の価値を否定され続けてきたように感じていたので、初めて人から必要とされていて、かつ自分の価値を認めてもらっているようで、お客様から「ありがとう」と言われるのが、すごく嬉しかったんです。
何をやっても続かず、転職を繰り返す
入社してから半年後、ボウリング場からパチンコ店へ異動になりました。そこで1年間働いた後に、埼玉のパチンコ店に転職を決めました。人間関係がうまくいっていなかったこと、また早く出世したいという気持ちがあったにも関わらず、会社が年功序列だったことが理由でした。
転職先のパチンコ店では、仕事がある程度でき、やる気もあったので、1年目では普通任せてもらえないないような仕事を任せてもらえました。すごくやりがいを感じました。しかし、ここでも人間関係での悩みを持つようになりました。思ったことを包み隠さずに言う性格なので、人とぶつかることが多かったんです。1年半働いた後、携帯電話や通信回線などを販売する会社へ転職しました。高校時代、携帯の使い方を友人に教えることが楽しかったので、いつか携帯ショップで働きたいと思っていたんです。
入社してからは、法人携帯のテレアポ営業を担当しました。もともと対面の接客がやりたかったので、法人営業朝から晩まで電話を掛け続けるということが嫌でした。異動をお願いし、ディスカウントストア内の携帯ショップで働くことになりました。働き始めて1か月で店長になりました。社内全店の売上で関東2位になったこともありましたが、1位でなければ評価されませんでした。それほど、結果に厳しい会社でした。もともとやりたかった接客のイメージと違い、結果重視で強引に売るスタイルに違和感を覚え、静岡県のパチンコ店へ転職しました。そこでは1年半働いた後に腰を痛めてしまい、休職することになりました。
昔から上司に物申すことが多く、自分の思った通りにやりたいとよく思っていました。同僚から「それなら社長になっちゃえばいいじゃん」と言われることが多々あり、独立願望を抱いていました。休職している間に、飲食チェーン店のフランチャイズによる独立希望社員募集を見つけ、東京に戻ってきて経営者を目指して働き始めました。しかし、これも10か月ほどで飽きてしまい、転職を決めました。
何をやっても続かず、自己嫌悪から精神的に病んでしまいました。楽に生きたいと思い、高校時代に経験があった新聞配達屋でも働きましたが、仕事内容や勤務時間、給料などが聞いていたものと全く異なり、2か月で辞めてしまいました。東京に疲れてのんびり暮らすために北海道に戻るも、現地では2か月間仕事が見つからず、派遣社員として福井県の自動車部品製造工場で働くことになりました。ところが、ここでも厳しい労働環境と福井県の寒さが肌に合わず、2か月で退職することになりました。
自殺を決意して向かった被災地での変化
それから、もう一度、飲食チェーン店のフランチャイズオーナーを目指すために、次は神奈川県のお店で働くことに決めました。しかし独立希望社員ということで、会社にうまいように使われていたため、たまに見に来る上司には怒鳴られ、暴力を受け、人格否定をされました。また、勤務時間は朝9時から明け方の4時まで、休みは月に4日しかないような状態でした。
そんな状況の中、2011年の3月に東日本大震災が起きました。お客様が減り、バイトのシフトが減るものの、社員は休みなく出勤せざるをえないといった状況が続きました。
こき使われる続ける毎日に、だんだんと生きる気力がなくなり、自分の生きる価値を見いだせなくなってしまいました。「こうなったら死んだ方が楽だな」と思うようになり、自殺することを決めました。
財布と携帯だけを持って、バイクを走らせ、被災地を目指しました。死ぬ前に、最後にボランティアをして人の役に立ってから死のうと思ったんです。途中で、高いものを食べたり、普段行かないようなお店へ行ったりして、貯金していた全財産を使い切りました。今まで仕事だけしかしてこなかったので、お金を使って遊ぶことが新鮮でしたね。
東北に到着した後は、石巻市、陸前高田市、大船渡市、気仙沼市と、被災地各地を回りました。そこで目の当たりにした光景は、想像していたよりもはるかにひどく、声も出ませんでしたね。ボランティアができるところを探しましたが、結局飛び入りで受け入れてくれるところは見つからず、何もできませんでした。
そんな状況を目の前にして、死にたくないのに亡くなった人が多くいることに気付きました。仮に自分が死んだとしても悲しむ人はいない。それでも、誰の役にも立たず、人から必要ともされず、逃げ続けたまま死んでしまおうとしている自分が愚かだと感じました。もう少しだけ生きてみることを決めました。
再び繰り返す転職の中、訪れた出会い
無断欠勤していた飲食チェーン店では再雇用してもらえる訳もなく、神奈川県の工場で派遣社員として働くことになりました。人生を立て直そうと意気込んで働きましたが、入社後1週間で怪我をしてしまい、2か月間入院をすることになりました。安定を求めて、また別の工場で正社員を目指して働きましたが、リーマンショックの影響で社員登用の制度がなくなってしまい、いつ切られるか分からない不安定さが嫌でまた転職することにしました。今までの知識を生かせるという理由で、携帯ショップで働くことに決めました。
携帯ショップでは、お客様満足度で関東1位を取るほど、心から接客というものを楽しんで働いていました。しかし、別の店舗から異動してきた上司が接客よりも売上を重視する人で、耐えられなくなってしまい、2年2か月働いて会社を辞めました。お客様のためになる仕事がしたいと思い、携帯電話のお客様センターで働き始めました。お客様の悩みを解決でき、役に立てていることにすごくやりがいを感じていましたが、誤案内をしてしまったことがきっかけで、クビになってしまいました。そこから3か月間、失業保険で生活することになりました。
そんな時に、友人に誘われ、初対面の人が集まるBBQの交流イベントに参加してみたんです。人見知りだった自分が勇気を持って多種多様な価値観を持った人と話すことができて、それがすごく楽しかったんですね。今まで仕事上の付き合いがほとんどだったので、自分がどれほど狭い世界で生きてきてつまらない人生を送っていたかを痛感しました。
それからというもの、たくさんの人に出会って自分探しをしようと決め、毎日イベントを見つけては参加していました。そこでは、色々な職種の人や、様々な夢を持った人がいて、すごく新鮮で、刺激的でした。
イベントを通じた出会いによって世界を変える
そんなある日、原宿にあるソーシャルラウンジAJITOのオーナーに将来についての相談をしていると「一日店長をやってみないか。」と声をかけて頂きました。1日店長とは、1日だけお店を貸し切って友達を集めて運営する制度のことです。平日は10人来ればいい方と言われていた中、30人の友達が来てくれました。自分が人と人をつなげることで、新たな出会いが生まれることに感動と楽しさを覚えました。
その後、そのオーナーから、中目黒のカフェの経営メンバーを募集しているというお話を頂きました。今までチャンスを見逃すことが多かったことや、一度捨てた身だから失うものはなにもないという気持ちもあって、チャレンジすることにしました。2015年7月1日、中目黒アロマカフェの経営に携わることになりました。
元々クレープ屋さんとして営業していた中目黒アロマカフェですが、現在は、夜はイベントスペースとして、ほぼ毎日多種多様なイベントを開催する場所となっています。イベントでは、楽しかっただけで終わりにせず、そこでの出会いから仕事が始まったり、遊ぶ仲になったり、恋愛関係に発展したりといった、人のつながりによって生まれる可能性を、価値として提供していきたいです。
直近の目標としては、新宿に2号店を出店したいと考えています。将来的には、イベントカフェを全国に増やし、出会いによって可能性が広がる空間をより多くつくっていきたいです。何をやっても続かず、何もなかった自分でもここまでできたので、同じ志を持った方にもチャンスを与えられる存在になれればと思っています。引き続き、面白そうなことはなんでもやる精神を持っていきたいですね。
インタビュー:小野 修平
2015.12.07
原田 冬樹(外舘 冬樹)
とだて ふゆき|イベントカフェオーナー
中目黒アロマカフェの夜のオーナーとして、日々様々なイベントの企画、開催を行う。
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