高校初日で退学、バイク・喧嘩からSASUKEへ。苦しみの中に見いだした「可能性」
【7月3日放送 TBSテレビ『SASUKE 2014』特集】 TBSテレビ「SASUKE 2014」の放映までの1週間、another life.にて出場選手7名の人生にフォーカスした特集企画を実施します! ミキサー車運転手として働く傍ら、SASUKEに挑戦する川口さん。前回の挑戦後から、ご自身を取り巻く環境が変わったことで、「今が一番強い」と話しています。エスカレーター式の私立校の「不良少年」がSASUKEと出会い、人生の苦悩を経て新しい可能性を見い出すまでには、いったいどのような背景があったのでしょうか?
川口 朋広
かわぐち ともひろ|ミキサー車運転手
ミキサー車運転手として勤務している。
TBSテレビ「SASUKE 2014」に出場する。
Facebook
TBSテレビ「SASUKE 2014」
2014年7月3日(木)19時よりTBSテレビにて放映。
※関東および一部の地域では18時57分から放送
高校入学初日に退学
世田谷の裕福な家庭に生まれ、幼稚園から私立に入っていました。いわゆるエスカレーター式に進学できる学校で、試験をやった記憶も無いような感覚でした。
中学生になるくらいから親の仲があまり良くなくなっていき、家族でそろってご飯を食べることがなくなり、学校の行事にも来なくなりました。そして中3の頃、ついに離婚してしまったんです。
自分自身、その頃から学校ではじけ出していました。高校にも上がれるし、押さえつけるものもなく、仲間と遊び歩く日々でした。悪いことができる友達と一緒にいないと面白くないと思っていましたね。
また、サッカー部にも入っていたのですが、目立ちたがりで、人から指図されるのが嫌いなため、ずっとキーパーをやっていました。とにかく何をするにもトップになりたかったし、負けず嫌いだったんです。
そんな状態で中学を卒業した春休み、仲間内のグループでもめ事を起こしてしまいました。そして、高校の入学式の朝、先生が家に来て謹慎が告げられ、結局そのまま高校を退学することになってしまったんです。
その後、定時制の学校を紹介されたものの、通学に時間がかかることもあり、1年間通って辞めてしまいました。それからは地元の仲間とバイクを乗り回す日々でした。夕方からコンビニに溜まって、朝までバイクで走って、次の日の夕方に起きて、また同じコンビニに溜まりに行く、というのを繰り返していましたね。
そんな生活を繰り返し、18歳になり免許をとると、 車欲しさから、働かなければと思い、トラックの運送会社でアルバイトを始めるようになりました。まだやんちゃ気質が抜けず、買った車を乗り回し、ドリフト族みたいなことをしていましたね。
「これができたらカッコいい」
それからも変わらず車にのったり、クラブに通ったり、外で喧嘩をしたりする中で、段々悪いことする奴が周りで減っていったんですよね。
結婚したり就職したり、取り残されていくような気がしていました。「このままじゃまずいかな」という気持ちはありつつ、 落ち着きたいけれど、何をすればいいかわからないという状況だったんです。
そんなある時、バイト先でできた彼女とお台場にデートに行った際に、SASUKEの実寸大のセットを体験できるスペースがありました。SASUKEには特に興味もなく、ちゃんと番組を見たこともなかったのですが、彼女から「これができたらカッコいい」と言われたので、やってみることにしたんです。
ところが、実際やってみるとめちゃくちゃ難しくて、失敗してしまい、恥をかいたんですよね。「やっぱすげえんだな」と思う反面、できないことがとにかく悔しくて、それからは自分なりに研究してトレーニングを始めるようになりました。
そして、デートでは必ずお台場に行き、毎回挑戦をビデオに撮ってもらい、後で見て反省したりするようになったんですよね。結局、10か月かかりましたが、当時本番のSASUKEでも10人もクリアしていないエリアを含め、全てクリアすることができたんです。
ちょうどそのタイミングでSASUKEの第20回大会の募集があったので、興味本位でクリアした時の映像を送ってみたら、そのまま書類審査を通過したんですよ。せっかくの機会だから、自分がどこまで行けるか試してみよう、という程度の気持ちで予選会に参加したのですが、周りの肩書きに完全に圧倒されてしまいました。
結局、予選の3回戦までは進んだのですが、そこで負けてしまったんです。行けるんじゃないかという感覚があったからこそ、本当に悔しくて、絶対もう一回出てやろうと決めたんですよ。思えば、それまでの人生で初めて、明確にゴールを決めて何かに打ち込むようになりましたね。
自己流では通用しない
それからストイックにトレーニングしたこともあり、26歳で迎えた2008年の夏の大会で、ついに予選2位通過で、SASUKEへの初出場を果たしたんです。
ところが、結果は1stで落ちてしまいました。
行くまでは自信があったのに、観客やスタッフ含む人の多さに緊張し、周りが落ちていく中で、「ああ、難しいんだ」という気持ちになってしまったんですよね。目立ちたがりな性格でしたが、つぶされるくらい緊張していました。
その失敗の後から、次回に向けてさらに色々と考えるようになりました。それまでは自己流でトレーニングをやっていたんですが、結果としてそれが通用してなかったことに気づいたんですよね。
だからこそ、それからは人のことを見て研究することを始めたんです。「聞く耳を持たなければ」と感じたんですよ。
それまではプライドが高くて、周りの意見も聞いてこなかったんですが、もっと吸収していかなきゃいけないんだと気付いて、年下でも年上でも、対等に誰かの意見を聞くようになりました。
もうアルバイトでなく運送会社に就職していたこともあり、ただでさえ仕事が14・5時間もあったのですが、それ以外の時間をトレーニングに注ぎ、どうやったらクリアできるかをとにかく考えていましたね。
余裕の無さが生んだ「思いやりがない」という言葉
そんな生活を続けた影響は、思わぬ形で出てくることになりました。初めてSASUKEに挑戦した時から付き合っていて、結婚していた妻と別れることになったんです。
あまりの忙しさに時間がとれなかったこともあり、一緒に食事をするのも週末のみになり、相手の気持ちに気づけない状態だったんですよね。
離婚した後に話をしていて、
「思いやりがない」
と言われたんです。この言葉は大きかったですね。
今まで、どんな時も自分の主張を通し続けてきたけれど、それだけではダメで、時には我慢しなければいけない時もあるんだなと感じました。人の気持ちを考え、自分を殺さなければいけない場面もあることに気づいたんですよ。
それを期に将来のことも考え、仕事を辞めることに決めました。仕事の時間が長過ぎたことで、バランスを崩していたことも感じていましたし、自分は、SASUKEという、誰もが挑戦できることではないものに挑戦させてもらっているので、そちらに時間を割くべきだという気持ちもありました。
そんな経緯で仕事を辞めてから、リフレッシュもかねて、知り合いの海の家で2ヶ月間だけ働くことにしました。そこで色々な人と関わる中で、自分の視野が狭いことに気づいたんですよね。
それまでは、自分にメリットがある人としか付き合わなかったし、SASUKEの人ならSASUKEの話だけ、会社の人なら仕事の話だけ、という感じだったんです。
ただ、仕事を辞めて、自分の気持ちに余裕がもててからは、人の話を聞けるし、それで可能性が広がることにも気づいたんです。それがすごく新鮮な感覚だったんですよね。
将来の振り幅はいくらでもある
現在は、勤務時間で仕事を選び、運送業として働いています。自分の中で余裕を保って、可能性の広い自分で在り続けたかったんですよね。
もちろん、空いた時間でのトレーニングも増え、充実度はより増しています。前回の出場から、離婚・転職と環境が変わり、自分の気持ちにも変化があったことで、SASUKE2014に臨む「今」が一番強いという感覚がありますね。
これからも、SASUKEでトップを取るために、挑戦しようと思います。
そして、それだけでなく、新しく打ち込めるものに出会うためにも、家と会社の行き帰りだけでなく、色々な所に行き、色々な人に会おうと思うようになりましたね。
自分の人生、将来の振り幅はいくらでもあると思うので、焦る必要も無いし、これだというものを見極めてから集中すれば良いと思うんです。今の自分には、その可能性があると思うんですよね。
2014.06.29