生きている間に、どれだけ人の役に立てるか。
限界集落から仏教まで、「不可能」への挑戦。
本證山妙法寺の第41世住職を務める傍ら、石川県羽咋(はくい)市の公務員としても働く高野さん。大学から上京してフリーランスで働きながらも、30歳を目前に地元に戻ってから、僧侶・公務員として働くように。「ローマ法王に米を食べさせた男」「限界集落を蘇らせたスーパー公務員」と呼ばれ、TVドラマのモデルにもなった高野さんが考える人生観とは?お話を伺いました。
高野 誠鮮
たかの じょうせん|石川県羽咋市公務員・日蓮宗僧侶
石川県羽咋(はくい)市にて、本證山妙法寺の第41世住職・羽咋市教育委員会文化財室の室長を務める。
※本チャンネルは、TBSテレビ「夢の扉+」の協力でお届けしました。
TBSテレビ「夢の扉+」で、高野さんの活動に密着したドキュメンタリーが、
2015年7月19日(日)18時30分から放送されます。
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高野さんをモデルにしたドラマ、TBS「日曜劇場『ナポレオンの村』」が、
2015年7月19日(日)21時よりスタートします。
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30歳を目前に、嫌だった2つの仕事に就くことに
私は石川県羽咋市で、日蓮宗の寺を営む僧侶の家庭に生まれ育ちました。小さい頃から物理や電気などの理科系に関心があり、自らラジオを作ってみたり、電波を発信しテレビから自分の声を出してみたりして遊んでいました。原始的ながら、自分で作ってみることで原理原則が分かることが楽しく、小遣いをもらっては電気屋に走っていっていましたね。時には、親が大切にしていたラジオや時計を分解して怒られてしまうこともありました。
そんな背景もあり、高校を卒業後は東京にある大学に進み、理系を専攻しました。田舎にいたくないという気持ちがありましたし、兄も東京の理系の大学に通っており、背中を追う感覚もありました。父が僧侶を務めていた本證山妙法寺は世襲制でないこともあり、継がなくても良いと言われていたため、自分の興味に沿っての選択でした。
ところが、実際に授業が始まってみると、なんだか自分が関心がある世界と少し違うなという感覚を抱くようになりました。反対に、銀座の洋書屋に通って様々な本を読む中で、UFO等の航空宇宙の分野に強く興味を持つようになったんです。
ただ、本を読んでいて疑問が湧いても日本には精緻な答えを出してくれる本や人が無く、その分野で最前線だったスタンフォード大学の教授に手紙を書いて質問をしてみると、段ボール箱一杯の論文の山とともに質問への返信が返って来たんです。「今時、学内にすらこんなに熱心に質問をしてくれる学生はいないから、私の論文をまとめて送る」と。
それ以来、完全に航空宇宙にはまり込んでしまいました。この先生はなんて心が広いんだろうと感動するとともに、論文を読んでみると、やはり自身で体験して調べた方の話は非常に納得するんです。それからは自分が好きなことをしようと考え、科学系雑誌のライターのバイトを始め、最終的には大学を中退することに決めました。雑誌だけでなく、UFOを扱うテレビ番組の放送作家などの仕事も行うようになり、フリーランスとして活動の幅を広げていったんです。
そんなある時、30歳を間近に控えたタイミングで、実家の寺から継ぐ意志がないかという最終確認の連絡がありました。兄も私と同様全く関係のない仕事をしていたのですが、別の人が継ぐと自分たちは寺に戻れなくなってしまうこともあり、一度兄弟で相談をすることに決めました。すると、兄には継ぐ意志がないこともあり、私が寺を継ぐことに決まったんです。正直、諦めに近い感覚で、「ああ、嫌だな」という気持ちでしたね。
元々、父が僧侶をしながら地元で公務員をしていたのですが、どちらの仕事も生産性が無いように思えて、人の役に立っているのか分からなかったんです。それでも、立正大学に入り直して仏教について学び、地元に帰ってからは僧侶だけでは食べていけないので、羽咋市役所の臨時職員としても働くようになりました。30歳近くになると、正社員雇用にもなれないのですが、条件を選んでいられない状況でもありました。
そして、私は地元の石川県羽咋市で、嫌なこと2つに向き合う道を歩むことに決めたんです。先は真っ暗でした。
UFOで行うまちづくり
しかし、実際に仕事を初めてみると、体験してみて初めて分かることもあり、親の仕事への考え方が変わっていきました。最初は檀家さんに頼まれてお経を読んでいても、どこを読んだか分からなくなってしまい、肩を叩かれて「もういいです」と言われてしまうこともあったのですが、次第に仏教の教え自体の理解も深まっていきました。不得意なこと・嫌なことは必ず人生に出て来て、それは乗り越えなさいという意味なんだなと感じましたね。
また、ド素人であるが故に仕事に感じる違和感もありました。役場では村おこしを担当する職員の下についたのですが、まちづくりの勉強会に去年よりも多く、600人を集めたと言って渡された報告書を見て、「いつからまちづくりを始めるんですか?」と聞いて、上司の逆鱗に触れてしまったんです。勉強会ばかり開いて実際に行動を起こさないことを不思議に感じていたんですよね。ところが、「お前、やれるもんなら勝手にやってみろ、臨時職員に予算なんかつかないぞ」と言われ、自ら羽咋市のまちづくりを始めることになりました。
それ以来、地元の方々に話を聞いて回る中で気づいたのは、自分たちの町の悪い点はすぐ出てくるものの、良い点を聞いても中々出てこないということでした。そこで、だったらまず自分たちの町の一番を考えようと、羽咋市の一番を集めたギネスブックを作り、8000部を自費で作って住民に配って回ったんです。「自分たちの町を批評するために帰って来た訳ではない」という思いからの施策でした。
すると、ギネスブックを作る過程で、麦わら帽子のような物体が羽咋市の空中を飛んでいたと書かれた古文書を見つけたんです。そこで、その古文書一つを論拠に、「石川県羽咋市はUFOでまちづくりをします」と他県に広めて回ったんです。次第に、情報が逆流し、「おたくってUFOの町なんですね」と市民自体が聞かされて認識するようになり、認知が浸透していきました。
臨時職員ということもあり、月6万8千円という薄給でしたが、毎日仕事に行きたくて仕方が無かったですね。やはり、楽しみになること・嬉しいこと・面白いことは長続きするんです。30代になり、気づけば仕事への姿勢は帰省時と全く変わっていました。
その後、さらなるブランディングの施策のため、羽咋市で宇宙とUFOについての国際シンポジウムを仕掛けたんです。ついに役所からの支援を受けることも出来、見よう見まねで作った企画書をもとに東京の企業への協賛営業に周り、数千万円の予算を集めて、4万5千人規模のイベントを開催しました。
イベントには宇宙飛行士を招待し、米ソの科学者が共同で宣言をする講演も実現しました。高校生から農協の職員から市長までが、集まった人の数と熱気に涙を流していました。「自分たちでもやれる」という感覚を持つことが出来るようになったんです。このイベント開催を経て、33歳のタイミングで初めて役所の公務員として正式採用となりました。同期は10個下、出遅れ人生でしたね。
限界集落の農業改革
その後も、宇宙博物館「コスモアイル羽咋」の建設など、まちづくりを進めていきました。ところが、その後新しく着任した上司と衝突してしまい、農業の分野に異動になってしまったんです。
正直、それまでと全く異なる分野への異動に、最初はひどいなあと腐ってしまいました。しかし、再びド素人の視点で見てみると、再び慣習に違和感を抱くようになったんです。米の価格が毎年下がり、農協を介している分自由に価格設定をすることもできないという状況で、新しい市政のマニュフェストとして掲げていた、過疎高齢化集落の活性化を行うこと、農業の高付加価値化・ブランド化とは真反対の状況でした。
正直、担当者としての勝算はまるで無かったですが、同時に「なんとかなるだろう」という楽観的な面もありました。というのも、仏教の教えから、人間が起こしたことであれば、人間がなんとかできるという確信があったんです。ただ、これまでのやり方はおかしいという感覚もありました。そうでなければ、限界集落にはなっていないはずだと。
そこで、課題の根本解決を計るため、農協に米を出さずに農家自ら会社を起こして販売所を設け、農家の希望価格で販売する仕組みを設けようと決めたんです。市長の信頼のもと、これまでの公務員的働き方を改め、全ての仕事を事後報告形式で行うことに了承も得て、腹をくくった決断でした。目指したのは役所と農協の両輪を外した自活自立。そこまでやらないと意味が無いと感じていたんです。
ただ、思った以上に現場の農家の方々の反発は大きく、「田んぼに入ったことがない奴に米が売れるなら数十年苦しんでいない」「あんたが米を売れたなら言うことを聞くよ」と反対を受けてしまいました。
500人の限界集落の米が、「ローマ法王献上米」に
それからは、自ら戦略を立て、その限界集落の米を販売してみるために試行錯誤を繰り返しました。自分でやってみないと分からないことばかりなので本を読んでも意味がなく、プロの小売業の方に相談しても「素人が入ってくる世界ではないよ」と小馬鹿にされてしまいました。
しかし、ブランド化を目指すにあたり、消費者は自分以外の、特に影響力を持っている人が利用しているものに憧れを感じることに気づいたんです。つまり、ブランドは消費者が決めるものだと。そこで、なるべく影響力の高い人に米を食べてもらおうと、天皇皇后・ローマ法王・アメリカの大統領になんとか米を献上できないかと考えるようになりました。というのも、その地域の米は「神子原米」という名前であるため、「神の子ども」としてのキリスト教への連想に繋げたり、「米の国」と書くアメリカと繋げたりと、様々な施策を考えていきました。
実際に献上の話を持ちかけてみると、宮内庁から一度は許可が下りるものの、喜んで宴会をしている席に、話を無しにしてほしいという電話が入り失敗に。ホワイトハウスに送った米も受取拒否で返って来てしまいました。
しかし、そんな最中、東京のローマ法王庁大使館から、「大使が待っています、ご都合よろしければいらっしゃいませんか?」と連絡をいただいたんです。何度も何度も手紙を書き、しまいには聖書の一節を借りた文章も書いており、「釈迦に説法だ」と怒られるのではないかという不安もありましたね。
そして、45キロの米を担いで大使館を訪れると、「あなた方の神子原は500人の小さな村ですね。私たちバチカンは800人の世界で一番小さな国です。その架け橋を私たちで作りましょう。」という言葉をいただき、ローマ法王へ神子原米を献上できることになったんです。まるで、映画の1シーンの台詞のような、本当に素敵な言葉でした。
そして、反響はすぐに成果につながり、一気に高値での受注が始まりました。また、あえて品切れであると伝え、「お近くの百貨店に在庫が無いか聞いてみてください」と対応することで、多数の問い合わせを受けた百貨店から連絡を受け、そこに米を卸すことにも決まりました。
そうして2年間かけてなんとか成果を出してからは、地元の農家を説得して周り、合計45回の会議を経て、169ある農家のうち、131からの出資を元手に、直売所をオープンしました。ブランドが出来てからも、依然と新しい挑戦には抵抗が大きかったですが、半ば諦めて合意してもらうような、粘って得た結果でした。
生きている間にどこまで人の役に立てるか
現在では、直売所の売上は1億円を超え、会社の従業員も10人以上になり、他県から移住して農業に携わる若者も増えました。また、私自身は教育委員会文化財室という部署に異動になり、「羽咋市から国宝を作る」という目標のもと、再び完全なゼロからのスタートを切りました。定期的に仕事が変わるのは公務員の宿命でありつつ、面白い部分でもあります。気持ち的に「えいや」という思い切りの連続ですね。
これまでの挑戦と同じく、国宝を作ることも「そんなに簡単にはいかない、無理だろう」と言われています。ただ、だからこそやろうと思うんですよね。別に悪いものを良くしようという話ではなく、行政力を行使しても守らなければいけないものだということを、誰にでも分かるようにすることが必要だと思うんです。人が「できない」と言うと、心に火がつく感覚がありますね。
また、直近では定年まであと8ヶ月を迎えたこともあり、妙法寺の住職としての活動にも力を入れ始めています。特に、現在の寺院は自身の存続を守るために、クライアントである檀家さんへの価値が限定的になっていき、生きている間にお寺に行くことは無く、まるで死んだ人のための仏教となってしまっています。
しかし、人類の悩みへの対応策は全て仏教にて教えられていて、生きている間にこそ、数千年の積み重ねに触れることが有益なはずなんです。私自身、公務員として様々な課題に取り組む際も、本質的な問題を教えてくれたのは、仏教で教わった先人達の愛と知恵でした。個別の寺院としてだけでなく、宗派として、仏教として、今一度「誰のためのお寺なのだろう?」ということを問い直すタイミングが来ているのだと思います。
仕事柄、葬儀に立ち会わせていただくことが非常に多いですが、ある種、人の価値を葬儀の際に垣間みます。その人がどれだけ周りのために貢献したかが、明確に分かるんです。自分たちが活躍できるのは「人間」という文字通り、人が生きている間のみです。私は、自分のことを本当に取るに足らない人間だと感じていますが、そんな自分でも何か役に立てることはあるかということを常に考えています。
生きている間の自分を通じて、どれだけ他の人に価値を提供できるか、未熟な自分をどこまで完全に近づけていけるかが人生なのだと思います。還暦を迎える今、将来もへったくれもありません。(笑)自分が生きている間に、多くの人が喜ぶような、自分自身が楽しいと感じられることを続けていきたいです。
2015.07.17
高野 誠鮮
たかの じょうせん|石川県羽咋市公務員・日蓮宗僧侶
石川県羽咋(はくい)市にて、本證山妙法寺の第41世住職・羽咋市教育委員会文化財室の室長を務める。
※本チャンネルは、TBSテレビ「夢の扉+」の協力でお届けしました。
TBSテレビ「夢の扉+」で、高野さんの活動に密着したドキュメンタリーが、
2015年7月19日(日)18時30分から放送されます。
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高野さんをモデルにしたドラマ、TBS「日曜劇場『ナポレオンの村』」が、
2015年7月19日(日)21時よりスタートします。
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