世界中の美容師が幸せになる働き方を求めて。
僕が旅するノマド美容師として目指すもの。
自身の美容室を経営しながら、カンボジアなど東南アジア諸国で美容専門学校を立ち上げるため、現地で講師の養成等を行うNPO法人を運営する丸山さん。1年の半分以上は海外に行き、旅するように働く背景には、「美容師にも多様な働き方があることを自分自身が証明したい」と思いがありました。そんな丸山さんの半生を伺いました。
丸山 裕太
まるやま ゆうた|世界中で美容の価値を向上させる
神奈川県川崎市の美容室「Hair Lounge EGO」を経営しながら、国際美容ボランティア協会理事を務め、カンボジアにて美容専門学校の立ち上げを目指し、旅するように働く美容師。
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美容師は絶対になりたくない職業だった
私は美容師の両親のもと、東京で生まれました。父は理容師から美容師になり、11年越しで大会で優勝するような腕前ではあったのですが、家にはほとんど帰らずに仕事に没頭していました。また、あまり裕福でない時期もあったので、私は美容師にはなりたくないと思っていました。
小さい頃は人見知りで、親の後ろに隠れているような引込み思案の性格でしたが、中学生になると外の世界に目が向いて行きました。むしろ、学校には行かなくなってしまいました。時間割や制服など窮屈だったし、外に出れば新しい人と出会い、知らないことを知れるので面白かったんです。また、お金を稼ぎたいと思い、友達とお金儲けまがいのこともしていました。
一応進学した高校は、先生と揉めて2ヵ月ほどで退学になりました。その時、父に美容師の免許を取るように言われたんです。兄も美容師の道に進んでいて、将来美容師にならないとしても、丸山家の一員として資格だけは持っておけと。そう話す父の雰囲気は今まで見たことのないような凄みがあったので私は従うことにして、通信制の美容専門学校に通い始めました。ただ、美容師になりたいわけではなかったので、美容室ではなく土木や飲食店などで働いていました。
そんな生活を送り始めた17歳の時、カンボジア難民を特集するテレビ番組を見て興味を持ち、現地に行くことにしました。実際に難民生活を送る人たちを目の前にすると、衝撃を受けましたね。
それまで、自分は学校に行っていないと心のどこかに劣等感があり、それをぶつけるように生きていました。しかし、難民の人たちはそんなの比べ物にならないくらい大変な生活を送っていました。それでもみんなで寄り添って幸せそうに生きている姿が、衝撃的だったんです。
また、その時に私は熱射病で倒れてしまいました。現地の人に取り囲まれ、「身ぐるみを剥がされてしまうんだな」と思っていたのですが、みんな必死に看病してくれたんです。
この時、自分はいかに寂しい人間なのか気づき、人を信頼するとはどんなことか学ぶことができました。そして、その後もカンボジアに興味を持ち、何かできないかと父の仕事でもあった髪を切ることでボランティアカットを始めました。
アメリカでボロボロになり、辿り着いたのは美容室
専門学校は3年で終え、無事資格を取ることができました。ただ、依然として美容師になる気はなく、今度は音楽で挑戦するためニューヨークに渡ることに決めたんです。昔から好きで作っていたヒップホップの音楽が、世の中で流行り出すに連れて評価されるようになり、音楽が仕事になるんじゃないかと思ったんです。
ところが、ニューヨークでは全く通用しませんでした。生活のためにアパレルのバイヤーとして働きながらも挑戦を続けましたが、結果は出ず、心は荒んでいきました。
そんな生活を1年半ほど続けた時、酔っ払って道で寝てしまい、暴漢に身ぐるみを剥がされてしまうことがありました。お金も、定期も、カードも、全て盗られ、殴られすぎて歯すらほとんど無くなってしまいました。
そこで、とりあえず歩いて家に帰ることにしました。しかし、3時間ほどで辿り着いたのですが、どうしても家に入る気が起きずに、事件が起きた現場まで引き返すことにしたんです。
そして、夜が明ける頃には現場まで辿り着いたのですが、偶然にも目の前には美容室がありました。これは何かの縁かと思い、ここでなら助けてもらえるのではないかと、お店に入ることにしました。すると、そのお店のオーナーはなんと日本人だったんです。そして、お手伝いとして働かせてもらうことになったんです。
こうして美容室で働き始めたのですが、やはり仕事はそこまで好きではありませんでした。しかし、生活するお金を稼ぐ必要がありました。また、体が小さくて肉体労働等では雇ってもらえず、慣れ親しんだ美容室であれば、何となく仕事ができたのは事実でした。
ただ、熱心に美容の素晴らしさを説いてくれる先輩の影響もあり、次第に美容に興味を持つようになっていきました。そして、シャンプーを担当してチップをもらえるようになると、「自分の居場所は美容の世界なのかもしれない」と素直に思い始めていました。
チップは提供したサービスに対する感謝のメッセージと同じ。通常1ドルしかもらえない仕事で、例えば30ドルももらえると、その感謝の大きさや、お金の重みをダイレクトに感じることができたんです。そして次第に、仕事にやりがいを感じるようになり、美容師として生きていこうと考えていました。
世界中の美しいものを見るために旅に出る
数ヶ月その美容室で働くと、基礎を学ぶために一度日本で働いたほうがいいとオーナーから助言され、東京に戻って白金の美容室で働き始めました。ただ、同い年の美容師は既にスタイリストとして働いている先輩。片や、私はまた掃除からのスタート。それが悔しくて必死に働き、6ヶ月ほどで、最速でスタイリストになりました。
そして、働いていくうちに、美容師は人を綺麗にする仕事だから、自分自身、世界中の美しいものを知る必要があるのではと考えるようになっていきました。また、世界中を飛び回れる人間でいたい、世界中どこに行っても「おかえり」と言ってもらえる存在でいたいとの思いも重なり、世界一周に出ることに決めたんです。
そして、髪を切りながら旅する生活を1年半ほど続け、60カ国ほど周って得たものは、「ロバは馬にはなれない」という諺を実感したことでした。
旅に出る前は、世界を回ることで自分は輝ける存在になれると思い、「ロバは馬になれることを証明する」と豪語していました。しかし、実際に旅を終えて振り返ってみると、視野が広くなったような感覚はあるものの、それは錯覚でしかないと分かったんです。
「世界を見て何が変わった?」と言われても、瞬間的に答えることはできませんでした。ただ、「馬」になれなくても、自分らしく生きることはできる。「しまうま」になることはできるんだと感じていました。
日本に帰国を決めた時に「おみやげ」として独立を決める
旅を終えてからは、ニューヨークの美容室で働き始めることにしました。日本よりも自由に働き方を選べる点や、実力次第でカット料金を決められることに惹かれたんです。実際、1回のカットで10万円近く稼ぐ美容師もいて、私もニューヨークの最高峰を目指したいと思っていました。
そして、1年程ニューヨークで過ごし、そのまま長期で働こうと、就労ビザの申請もしていました。そんな矢先、闘病生活を送っていた知人が亡くなり、父も病気になってしまいました。ビザの申請中なので、一度国を出たらビザは取れないことは明白でしたが、家族にはこれまでたくさんの迷惑をかけてきたこともあり、日本に戻る決心をしたんです。
ただ、手ぶらで帰るわけにはいかないと思いつつ、かと言って持ち帰れる成果もなかったので、独立して美容室を経営することにしたんですよね。そして、2008年、24歳にして神奈川県川崎市にヘアーラウンジ「EGO」を立ち上げました。
また、この頃からカンボジアへのボランティアカットに行く頻度も、徐々に増やしていきました。すると、次第にカットを教えて欲しいという人も増えてきて、本格的に美容教育も行うようにもなっていきました。
美容室の経営、カンボジアでの活動、どちらも順調に進んでいました。ただ、東京に2店舗目の進出を考えると、相当のエネルギーが必要だと感じていました。そして、改めてデザイン、生み出すとはどういうことか考え、ゼロから一を生み出すとはどんなものか経験するためにすべてを捨て、無人島ですっぽんぽんで暮らしてみることにしたんです。
すると、1週間過ごしたのですが、股や腕と触れるお腹などはこすれて真っ赤になってしまいました。この時、服は必要だから生まれたんだと実感するともに、デザイン含めて全てのものは「必然」から生まれるものなんだと感じましたね。
世界中で美容の価値を向上していきたい
現在は、2店舗目のお店は売却して、武蔵新城の1店舗を経営しながら、個人的には「旅する美容師」として、1年の半分以上は海外に行っています。
海外では、カンボジアで美容の専門学校を立ち上げるために活動をしていて、カットを教えて講師を育てたり、ファッションショーを開いたりしながら、2014年にはNPO法人として国際美容ボランティア協会を立ち上げました。
途上国では美容師はまるで乞食のような扱いを受ける職業で、個人的にそれが納得いかないんです。教育システムを作り、国家資格も作って、美容師を輝ける職業にしたいと考えています。日本の教育水準は世界的に見ても高いので、日本に来て技術を学べるような仕組みも作っています。
カットを教えた人の中で、1人美容師として独立した人がいて、2015年8月には自分のお店を持つ予定です。今後はカンボジアだけでなくシンガポールなど様々な国に拠点を起きつつ、美容専門学校を実現できたらと思います。そして、世界中で美容の価値を向上していきたいです。
また、日本でも美容師としてもっと幸せになる方法があると思っていて、私自身そんな働き方を体現していきたいと思っています。固定の美容室で働き続けるのではなく、「ノマド美容師」として旅しながら働くのもその1つですし、他にも色々なスタイルがあると思うんです。今後は「美容する部屋」「美容師が集まれる場作り」みたいな概念も作り出していきたいですね。
そして、こんな働き方もあるんだと知ってもらい、幸せに働ける美容師を増やしていきたいです。この美容師という職業に導いてくれた両親、先輩に感謝しています。
2015.05.12
丸山 裕太
まるやま ゆうた|世界中で美容の価値を向上させる
神奈川県川崎市の美容室「Hair Lounge EGO」を経営しながら、国際美容ボランティア協会理事を務め、カンボジアにて美容専門学校の立ち上げを目指し、旅するように働く美容師。
【仲間募集中】現在カンボジアで美容室、専門学校を一緒にやっていく仲間を募集中!!
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