大分県大分市の田舎で生まれ育ちました。幼稚園に入る直前に肺炎を患ってしまい、周りの子たちよりも遅れて入園しました。通い始めた時にはすでに仲良しグループができあがっていて、輪に入れずに孤立することが多かったです。

そのクラスの先生は園児に「大丈夫でしゅか~?」といった具合に、赤ちゃん言葉で接するのがすごく不快でした。私の家では、大人たちときちんとした言葉で会話する事が当たり前でしたから、対等に接してくれないことがすごく不愉快で、先生とは一切話さなくなりました。話をするだけ無駄だと思ったのです。

あまりに受け答えをしなかったことから、先生たちの間では「知能に障がいがあるのではないか」という話になっていました。そこから周りにいる人が一気に信用できなくなり、他人に対して、どこか一歩引いて接するようになりましたし、小学校も国立大の付属校を「お受験」することにしました。子ども心に、同じ顔を見て過ごすのにうんざりしていましたから。小学校入学後も、他の子のように他人と仲良くすることができなくて、人付き合いが苦手で友達は少なかったです。

一方で、従弟たちとはよく一緒に遊んでいました。祖父の家に遊びに行っては、外で枝を拾い、チャンバラごっこをしていました。武家の家系だったことから、祖父の家には刀があり、たまに見せてもらってはキラキラしていてかっこいいなあと思っていました。

テレビで見ていた影響で、野球が好きだったのでやってみたいと思い、地元の少年野球チームに入団しました。中でも、独立していて、個人競技のイメージがあったピッチャーになりました。しかし、思っていた以上にチームメイトや監督との人間関係を築く必要があり、それが、わずらわしく感じるようになりました。改めて、チームプレイは自分には向いていないんだなと実感しましたね。

高校では先輩に誘われて新聞部に入部しました。一人で行う作業もあり、文章を書くのも好きでしたが、編集作業はチームプレイでしたね。楽しかったですが。卒業後は、東京への漠然とした憧れから、都内にある大学に進学しました。

大学生になるとアーチェリーをはじめました。個人競技だと思って入部した体育会洋弓部でしたが、リーグ戦になるとチームプレーなのですね。監督さんやチームメイトとに信頼関係が大切であることも学びました。

ある時、友人から「居合」の道場に通ってみないかと誘われました。居合とは「勝負は鞘の内」と言われる古武術です。時代物の小説が好きだったこともあり、習い始めることにしました。型稽古はひとりで行うことも多く楽しかったし、すごく自分に向いているなと思いましたね。