地域を元気にするため、中小企業を支援したい!祭りに没頭した私が見つけた道。
「出会った人から少しずつ影響を頂いて、自分の道が見えてきた」とお話される高嶋さん。今は2児の母として子育てをしながら、地域の中小企業支援に取り組みますが、ここに至るまでにはどんな背景があったのか、お話を伺いました。
高嶋 舞
たかしま まい|地域活性化のための中小起業の支援
岡崎ビジネスサポートセンターOka-Bizの副所長を務め、中小企業の支援をしている。
岡崎ビジネスサポートセンターOka-Biz
東海若手起業塾
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不登校だけど大学に行きたい
私は愛知県の岡崎市で生まれました。小さい頃はいわゆる優等生だったのですが、中学生になってから不登校になりました。
特にいじめられたとか、不良だったとか、そういうわけではなかったんですが、理由が説明されないにもかかわらず、一方的に厳しい校則を押し付けられる環境に納得がいかなかったのです。
ただ、学校に行かないものの勉強はしていて、家庭教師にも来てもらっていました。その家庭教師の人が、ひたすら大学の生活を話してくれたので、不登校中学生ながらも、大学には行きたいと思うようになりましたね。
そのため、高校も大学受験に活かせるかの一点のみで選んだのです。内申点が悪かったので公立高校には行けずに、私立高校の特進クラスに入り、朝7時から夜7時まで勉強漬けの生活が始まりました。
大学に行くためだけの生活だったので、勉強以外のことは一切せず、部活なども入りませんでしたね。
そんな努力が実り、無事に名古屋の大学に合格することができました。
入学してからは、大学生らしいことをしようと学祭の実行委員会に入ったのですが、規模が1000人程と大きく、自分の興味がない仕事をすることになってしまったので、数ヶ月もしないうちに辞めることにしました。
理想の大学生像
次は何をしようか考えていたところ、「にっぽんど真ん中祭り」に出会ったんです。
これは、学生が立ち上げた、高知や北海道のよさこい祭りの流れを組んだ祭りで、名古屋でも各地域のチームがダンスや音楽を披露していくものです。ちょうど2回目の開催が終わった振り返り会議に参加させてもらうことになったのですが、これこそまさに私のイメージしていた大学生という感じだったんです。ホワイトボードの前に立ち、「本当にこれからも続けるべきなのか」と白熱した議論が交わされていて、今までに出会ったことのない熱気でした。
また、学校からの補助金で運営している学祭とは違い、にっぽんど真ん中祭りは、数千万円分のスポンサーを見つけてくるところから全て自分たちで行う必要があり、こちらの方が面白そうだと思ったんです。
それから私の大学生活の全ては、この祭りのために捧げられることになりました。授業にはほとんど出ずに、打ち合わせや営業ばかりしていましたね。第4回では代表を努め、参加チーム100以上、観客動員数100万人以上の祭りを成功させました。
3年生になり就職活動では、興味があったマスコミ業界などをいくつか受けてみました。しかし、大企業は入社しても自分のやりたいことができるわけじゃないことに気づき、数ヶ月でやめてしまいました。。
実は、にっぽんど真ん中祭りは元々学生が始めたものだったのですが、継続するために創始者が事務局を作り、常勤していました。周囲からするとそこに入るのは既定路線であったかもしれませんが、一生祭りを仕事としていくこともイメージできない、就職をする事はないとも思っていたのですが、他に一緒に働きたい人も、やりたいこともなく、入りたい企業も見つからず、一方でまだこのお祭りでやり残した事があるんじゃないかと思えたことで、祭りの運営事務局に就職することにしたんです。
地域を支援する
私にとって祭りの楽しさは、地域の人たちと関わり、地域の人たちのお役に立てる事に変わりつつありました。
それぞれの地域は、後継者や過疎化など、それぞれ深刻な問題を抱えていて、だからこそプロモーションの場にもなる祭りにかける思いが非常に熱くて、私もお祭りのステージを作ったり、出演いただくことで知名度をあげたりし、貢献したいと思っていたんです。
でも、結局3日間のお祭りだけでは本質的には地域の支援はできないんですよね。その前とか、その後とかも含めて、もう一歩踏み込んで何かをしなければならないんですが、私の仕事ではその時間を使うことができなかったんです。実際に、期待していた地域活性化への効果が見出せず、お祭りに出ることを泣く泣く断念する地域の人たちもいました。
そこで、もっと地域の方の支援に近い仕事がしたいと思い、1年経たずに仕事を辞めることにしました。
とはいえ、地域の支援をしている団体や企業なんて全然知りませんでしたし、私は地域支援をしたいと思っているものの、それが仕事になるなんて考えられませんでしたね。ただ、岐阜県で地域の企業に学生インターンシップを派遣する事業をしているNPOを知っていたので、そこでならより地域に直接的な仕事ができるのではないかと思い、働かせてもらうことにしました。
そのNPOでは支援先企業の課題を見つけ、それを解決するためのプロジェクトを立ち上げて、そのプロジェクトに学生をインターンとして派遣するというやり方だったので、働く上では、企業の課題を見つけるビジネス的な力が必要でした。
しかし、それまでお祭りしかやって来なかったのでビジネスなんて全然分からず、支援先企業に全く価値が出せないと思ったので、1年ほど経った時に、1ヶ月間、静岡の産業支援の一人者である、小出宗昭さんがマネージャーを務めるインキュベーションセンターで修行させてもらうことにしたんです。
中小企業支援とインキュベーション
ここでは、起業というものへの考え方が大きく変わりましたね。それまで、起業ってすごく難しいことで、自分なんかは絶対にできないと思っていたのですが、静岡のインキュベーションセンターに来る人は、半分くらい女性だったんです。
相談内容も、これから株式会社を立てて、資本金をある程度積んで事業を始めようとしている人の相談から、既に週末料理教室をやっている人からの回数を増やす相談、中小企業の売上を上げる相談など、様々なものがあり、起業がより身近で、色々な形があることを知れました。
そして、こういう形で地域の人の創業支援をするということは、地域を本質的に支援する事なんじゃないかと感じたのです。ビジネスを支援するということが、地域を支援すると言うことだと。
1ヶ月の修行期間を終えた後は、岐阜にある同様のいくつかの産業支援施設にに話を聞きに行ったのですが、そこに来る方は99%男性で、相談内容もほとんどが資金繰りに関してで新しいチャレンジの話などはないとのことで、静岡とは全然違ったんです。
この差はおかしいと思い、mixiのコミュニティを見てみたところ、やはり静岡と同じようなニーズがあることがわかり、ただその人たちに適切な支援をする場がないことに問題を感じるようになりました。
また、NPOで支援していた学生が起業するとなった時、みんな「岐阜にはチャンスがない」と東京か名古屋に出て行ってしまっていたんです。岐阜の企業でインターンしているのに、チャンスがないと出て行ってしまうのは悲しく、岐阜にもチャンスがあることを伝えていくため、新規事業としてインキュベーションデスクをつくることにしました。
同じ時期に、愛知県の企業であるブラザー工業さんの100周年事業として、東海地方の若手社会起業家を支援する「東海若手起業塾」も立ち上げる事ができました。
しかし、NPOのミッションである「地域の人材を育成すること」と、私のやっている地域の若者や女性の創業支援を通じた中小企業支援は少しずつ乖離が出てきたので、より中小企業に軸をおいているところで働きたいと思い、3年ほどで退職することにしたんです。
そしてそのタイミングで、たまたま経済産業省の地域力連携拠点の応援コーディネーターとして採択してもらうことができ、2009年に独立することにしました。
限られた時間を最大限活かす
それから、色々と名前や認定元は変わりもしましたが、一環して地域の企業を支援する仕事を続けることができています。
ただ、出産をしてからは考え方がガラッと変わりましたね。それまでは365日朝から晩まで仕事をするような生活だったんですけど、子どもが生まれてからは、仕事よりも子どもが一番だと思うようになったんです。
仕事は代わりが効くけど、子どもにとっての母親は自分しかいないんですよね。
それに、仕事はちゃんとやっていれば見てくれる人がいることに気づけたんです。一人目の出産の時、切迫早産だったため3ヶ月入院することになり、もう仕事がこないだろうなと思ってたんですが、有難いことにいつ復帰するのかとお待ちいただける人もいたんです。
それまでは仕事はガツガツ自分からとっていくものだと思っていたのでが、そうでもないんだと気づけたんです。それからは限られた時間を何に費やすべきか、すごく考えるようになりましたね。
今は、OKa-Bizという愛知県の岡崎市にあるビジネス支援センターの副センター長という立場で中小企業の支援をしていますが、まずは30代のうちは、認めてもらえるような実績をこういう産業支援の場で積むことで、40代になり子育てが一段落した時にやりたいことに踏み出せるような土台を作っています。
また、これまでは地域の企業支援の中でも、中小企業支援や若者支援、ソーシャルビジネス支援など、分野を絞りきれていなかったのですが、やはり中小企業が元気になることが一番の地域活性化につながるので、この分野に限られた時間を集中して使いたいと思います。
私は、起業家の方のように「これがやりたい」という内なるものを持っているタイプではなく、出会った人に影響を受けて自分の方向が見えてきたんです。昔は自分の内なるものが見つからないことに焦りもありましたが、今はそれが私のスタイルなんだと納得しています。
なので、これから先、目の前にチャンスが現れた時にしっかりと受け取ることができるよう、今自分ができることを、しっかりとやり続けていきます。
2014.09.11