私は東京の下町で生まれ育ちました。小さい頃、両親の影響でピアノを始め、家族の好きだったビートルズを弾くようになり、そこから洋楽やハリウッド映画など、外国の文化に興味を持つようになっていきました。

小学4年生のある時、音楽教室の担当の先生が長期で休むことになり、臨時でやって来たのはウィーンでピアノ演奏家として活躍していた先生でした。その先生は教材を使わずに「何を弾きたい?」と聞いてきて、私が「バッハを弾きたい」と答えると、「そんなのまだ弾けないよ」と言いつつも、次週には私でも弾けるように楽譜をアレンジしてくれるような豪快で斬新な先生でした。クラシックの楽譜をアレンジして弾けることの驚きと、自分でも弾けるんだっていうことが嬉しく、ピアノへのモチベーションがどんどん湧いて、最終的にはその先生に弟子入りしようと決めました。

けれど中学1年生の時、「あなたはプロの道を目指したいの?それとも趣味としてピアノを続けたい?」と選択を迫られました。先生の時間は有限だから、それによって教え方を変えると。

この時、私はその質問にビックリしましたが、ここで初めて将来を意識しました。考えた結果、私はピアノを楽しく弾きたいだけで、プロを目指しているわけでないことに気づいたんです。そう先生に伝えると、今度は「じゃあ何になりたいの?」と聞かれました。

正直、私には「とにかく外国に行って英語を話せるようになりたい」という夢しかありませんでした。大好きな映画俳優がいるのに、その人の言葉を直接理解できないことや、自分の言葉で気持ちを伝えられないことが悔しくて。ただ、海外に行くなんてお金はかかるしそんな理由で留学なんて許してもらえない。両親を説得できる理由を探すためにも、自分は一体、何になりたいのか考え始めたんです。

そして、映画の翻訳や評論を行う「ムービークリエイター」になろうと決めました。