暗黙の了解に「なんで?」を投げかける。いつでも当たり前を疑っていきたい。

ライター・コラムニストの朝井さん。今まで執筆してきた中でも、ひとりの楽しみ方を伝える「ソロ活」の記事への反響が大きく、書籍を出版したり、メディア出演したりしています。ソロ活の執筆を通して、世の中の「一人」に対するイメージに疑問を持ったのだとか。朝井さんが発見した、世の中に問いかけたいこととは。

朝井 麻由美

あさい まゆみ|ライター・コラムニスト
出版社を5カ月で退職したのち、フリーライターに。ウェブ媒体の「ソロ活」をきっかけに活躍の場を広げ、記事を通して「暗黙の了解」に一石を投じている。著書は『ソロ活女子のススメ』、『「ぼっち」の歩き方』、『ひとりっ子の頭ん中』など。テレビ出演もこなす。

「なんで?」を連発する子ども


東京で生まれ育ちました。細かいことが気になって、「なんで?」とよく質問する子どもでしたね。例えば、マイナス×マイナスがなぜプラスになるのか、どうして文化祭や体育祭、修学旅行が全員参加なのか…。疑問に思うことの理由がわかり、自分で納得できるまでは動きたくありませんでした。

「なんで?」と聞くとたいてい、「みんなもそうしているから」「そういうものだから」と言われるのですが、全然納得がいかなくて。だってそれ、理由になっていませんよね。みんなはそうかもしれないけど、私はそうは思わないのに、なぜ頭ごなしに否定されるんだろう…って。親や先生にはよく「口ごたえするな」とか「屁理屈ばっかり言って」と言われていました。

地元の小、中学校に通ったのち、高校は都立の進学校に進みました。校則も制服も一切なくて「自由な校風」と言われていたのですが、教室内の空気感はわりと日本人的というか、あまり自由な感じはしなかったですね。華やかな容姿やキャラクターだったり、リーダーシップがあったり、あるいは運動部に所属していたり、そういう子が目立っていて、そうじゃない子はおさえめな行動をしている雰囲気があって。

あと、男子生徒が投票する裏ミスコン、女子生徒が投票する裏ミスターコンのようなものが存在していました。年に2回くらい自主的にアンケートを取って集計して、イケてる人ランキングトップ5みたいなのを決めるんですよ。集計結果が出たら、授業中にランキングが書かれた小さな紙切れが回ってくるんです。オープンな学校のイベントではなく、秘密裏のものでしたが、脈々と受け継がれてきた文化だそうで。

「ここにイケてると思う男子の名前書いて」とクラスの女子からアンケート用紙が回ってきたとき、「人に順位付けするのめちゃくちゃ嫌だなぁ」と後ろ暗い影がさしたんです。通常のミスコンが立候補者の中から選ぶシステムなのに対して、これってクラス全員が強制的に立候補者になって、“序列を可視化”しちゃうわけですからね…。こういうランキングに入る子たちはやっぱり発言力が強くて。なんとなく息苦しさがあるなと感じながら、そういうものかな、と飲み込んでいました。

「私は私」でいいんだ


卒業後は、都内の大学に進学。大学に入ってから、「ああ、私は高校生までの学校生活がしんどかったんだなぁ」と気がつきました。個人主義な人ばかりがいる大学で、他人に対して「評価」したり序列をつけたり、「普通はこうでしょ?」と押し付けたりする人がいなくて。良くも悪くも、みんな他人に興味がないんです。誰もが一人でひょいひょいどこかへ行くし、かたまってグループ行動することもない。人に合わせなくてもいい…というより、他人に合わせる人が一人もいない。「私は私」が許される最高の世界でした。

何しろ、大学に入って最初に受講する授業で毎日毎日繰り返し言われるのが、「クリティカルシンキングしろ」と「あなたの意見は?」なんですよ。世間で「普通」とされていることを、「本当にそうだろうか?」と疑っていきなさい、と。大学の課題でも、自分の意見を述べずに、テキストに書いてあることを要約しただけだったり、理由がなかったりすると、突き返されましたね。

就活の時期になると、一応就活を始めましたが、企業に就職すること自体に違和感がありました。私は相手が上司であろうと、疑問に思ったら「なんで?」と聞きたくなるだろうし、納得がいかないことは絶対にやりたくありません。でも、会社から給料をもらう以上、「この会社のルールに合わせなさい」と言われたら何も言えない。したいことと、しなければならないこととの狭間でモヤモヤするのが予想できてしまって、会社員は向いていないだろうなと思ったんです。

やりたいことを考えると、文章を書くことしか出てこなくて。小さい頃から作文など書くことが得意でしたし、雑誌が好きでよく読んでいたので記事の執筆に興味があったんですよね。ただ、どこにも就職せず最初からライターになる方法もわからなかったので、出版社を受けることにしました。

「とりあえずビール」からの脱出


結局、女性誌を多く手がける出版社に編集職で入社しました。入社してすぐ、みんなで飲み会に行ったとき、「とりあえずビールでいい?」と聞かれて。他に飲みたいお酒があったのですが、「とりあえずビール」を断れませんでした。

新入社員歓迎会で部署の人たちと焼肉にいった時は、最初「あなたの歓迎会だから何もしなくていいのよ」と言われて、真に受けてボーッと肉を食べていました。しかし、しばらくすると「新人は肉を焼くものなのよ?」と怒られて、「???」となりましたね…。

ほかには、担当している仕事をサクサク終わらせて定時に帰っていたら、「昨年も一昨年も新人の子は毎日夜遅くまで残っていたのに、あなたはおかしい」と怒られたことも。会社員としての適切な振る舞いというものは、なんて難しいんだ!と思いました。

優しい先輩や、仕事ぶりに憧れる先輩もいましたが、一部の発言力を持つ上司の思う「新人かくあるべし」という振る舞いを全然うまくできなくて。会社員は私には合わないと感じましたね。

そんな日々が続き、会社員生活3カ月目で耐えられなくなって。4カ月で辞表を出して、5カ月で退社したんです。それからは、第二新卒として就職し直せる2年後までフリーライターをやってみて、ダメならおとなしく再就職しようと決めて、他の出版社で働く知り合いや大学のOGOBに連絡するなど仕事を探しました。

ただ、ライターを名乗り始めても、すぐに仕事ができる訳ではありません。半年間ほど、まったく仕事がなく、ネットサーフィンばかりする日々が続きました。

そうしている間に、徐々に知人のつながりでお仕事がもらえるようになり、雑誌やウェブの記事の依頼が増えて。その中で、自由度の高いウェブメディアでは、取材したい場所から記事の構成まで自分で決めさせてもらえたので楽しかったですね。

よく書いていたのは、秋葉原を中心に流行っていたコンセプトカフェに行ってレポートする記事です。メイド喫茶ブームが続いている頃で、メイドだけでなく、おばあちゃんカフェ、弟カフェ、鉄道カフェのほか、給食を食べられる居酒屋など、店の内装や店員さんの衣装、飲食メニューなどにテーマ性があるお店が次々オープンしていて。あまり書いている人がいなかった「行ってみた系・やってみた系記事」を書き始めたんです。新鮮だったのか反響も大きく、こういった記事が初めて連載のお仕事にも繋がりました。

思っていたより一人が好きだ


いわゆる「ウェブメディアっぽい」記事を書きつつ、週刊誌や月刊誌の特集を担当したり、書籍の構成を行うゴーストライターをしたり、雑多なジャンルの仕事をこなしていたところ、ある会社から「ソロ活」というお一人様向けのお出かけ情報サイトでの連載のお話をいただいて。執筆者の一人として、いろいろな場所に出かけ、記事を書くことになりました。

一人で焼肉を食べたり、プラネタリウムをみたり、遊園地に行ったりと、いろいろな体験をする中で、私は自分が思っていたよりも一人が好きなんだと気づきました。執筆を始める前から一人であちこち行っていましたが、なんだか当たり前の日常生活だったので、あまり「一人」という部分を意識していなかったんですよね。

執筆しながら、なんで私は一人が好きなんだろうと考察するようになりました。そこで、高校生までの学校生活や会社での集団がしんどかったのを思い出したんです。人間関係の難しさに息苦しさを感じていて、そこから解放されるゆえに「一人」が好きなんだと改めて認識しました。

加えて、世の中に「一人は寂しくて悪、集団が楽しくて正しい」というようなイメージがあることに疑問を持ち始めて。実際に一人で行動してみると、そんなことはなくてむしろ楽しいし、何より自由で気がラク。「ソロ活」を通じて、一人は寂しいとか、一人は悪だという思い込みがなくなってほしいと思うようになりました。

暗黙の了解に「なんで?」と問い続ける


今は、ライターとして雑誌やウェブの特集やインタビューの執筆、ソロ活をはじめとした自分の意見を発信するコラムの執筆、テレビやラジオへの出演、という三本柱で仕事をしています。

目の前の仕事をただひたすらこなしていたらこうなったというのが正直なところなので、明確な目標や使命は何かと問われると結構困ります。特にソロ活に関するインタビューでは「ソロ活を通して世の中に伝えたいメッセージや使命は?」などと聞かれますが、使命というのはおこがましいんですよね…。あくまでも、「私はこういう生き方をしたら心地が良かった」と言っているだけなので、ごく私的なことに過ぎないというか。他の人に対する押し付けみたいになるのは嫌ですし。

「一人が好き」と発信していると、「一人でいることも人と関わることもバランスが大事」という意見をいただきます。そりゃあそうで、人と関わることを否定しているつもりは一切なくって。でも、その「バランス」ってそもそも何だろう、とも思うんです。「バランスが大事」とはよく言われることですが、その「バランス」自体が人それぞれ異なる、というのはあまり語られていないような気がします。

実際、私は世間で言うところの「バランス」が自分には合わなかったので、一人で過ごす分量を人より多めにしたわけで。このように、日常で暗黙の了解になっている様々な考え方に、「それって本当にそうなのだろうか?」と見つめ直すような記事を書きたいとは思っています。

単純に最近、「個」の尊重が世の中の関心事の一つですよね。そのような文脈でソロ活が取り上げられることも増えてきましたし、他には、「男とは・女とはこうあるべき」というジェンダー的な思い込みも、古い価値観であると問題視されるようになりました。

ネットではこういうテーマが盛り上がっているように見えますが、テレビの仕事をしていると、やっぱりナチュラルに「女は家庭に入って夫を支えるもの」という価値観のもとに発言する人を山ほど目の当たりにするので、本当にまだまだ、何も変わっていないです。

こういう思い込みや暗黙の了解が、生きる上で妨げになっていることもあると思います。ソロ活で言えば、先日テレビの街頭インタビューで「主婦だからソロ活したくてもできない」と言っている映像が流れていて。夫と協力するなりして、一人の時間を取る選択肢だって本当はあるはずだし、実際にそういう夫婦も増えてきているのになぁと感じました。

他には、例えば「逃げ出す」という言葉。私は実は、今までの人生で「逃げ出す」ことばかりしているんです。会社員をうまくできなくて会社から逃げ出して、人間関係がしんどくてそこから逃げ出すために「一人」という活路を見出して。「逃げ出す」という言葉もネガティブに捉えられがちですが、本当に悪いことばかりなのでしょうか。「逃げ出す」のは、嫌だなと思う現状を変えるために、当然あるべき選択肢の一つだと思っています。

私が書いた記事に触れることが、世の中の「当たり前」を窮屈に思っている人の、新しい選択肢を見つけるきっかけに繋がったらうれしいです。

2019.06.12

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