世の中から「関係ない」をなくしていく!
本当は身近な社会問題を、伝えるための映像。
社会問題を多くの人にポップに伝える手段として映像制作を行う近藤さん。「全ての問題の本質にあるのは人の繋がり」と語る背景には、自分自身が繋がりによって助けられた過去がありました。そして、幼少期に国際交流する大切さを説く近藤さんに話を伺いました。
近藤 祐希
こんどう ゆうき|映像クリエイター、子どもの国際教育事業
「エンターテイメント×社会課題解決」を事業領域としたメディアコンテンツの企画・制作等を行う、WORLD FESTIVAL inc.の代表を務める。
WORLD FESTIVAL inc.
個人がどうあるかの大切さに気づけたアメリカ生活
僕は大阪で生まれ、10歳の時にアメリカのオレゴン州に引っ越しました。西海岸特有の突き抜けるほどポジティブで明るくいい人たちに囲まれ、文化や言葉の違いには悩みつつも、楽しいアメリカ生活が始まりました。
しかし、オレゴン州は田舎で白人が多くの割合を占めていて、人種差別的なことも少なくはなく、ポピュラーではない日本人を弱い存在として下にみる人もいました。下校中に近所の子ども達に「ジャパニーズ!」と石を投げられたこともありました。
そんな環境でしたが、中学で始めたサックスで州や市の大会でいくつか賞を取って評価され始めると、周囲の目がガラリと変わるのが分かりました。 何かに一生懸命打ち込んだり、1つでも秀でているものがあるとリスペクトしてもらえる文化があったので、徐々に認められるようになり、スクールバスの中でも人気者だけが座っていい後ろの席にも呼んでもらえるようになりました。
こういうアメリカの正直で素直なところはすごく好きだったし、言葉や人種なんてものは実はあまり関係ないのかもしれないと、音楽に教えられたんです。中学卒業のタイミングで家族は日本に戻りましたが、 僕はもう少しアメリカで生活したいと思ったので、ニューヨークに校舎を構える慶應義塾の高校に進学することにしました。
そこは寮制の学校で、決まった時間以外は外には許可無く出られず、隔離されている環境でした。 特にやることもなく、逃げ出すこともできないので、 みんなそれぞれのアイデンティティを見つけるためなのか、好きなものに一生懸命すぎるくらい打ち込む文化があり、僕は将来プロのドラマーになりたくて、毎日ドラムやバンド練習ばかりしていました。
人は繋がりの中で支えられて生きている
卒業後は日本に帰国し、慶應義塾大学へ進学することを決めていました。
しかし、卒業式の前日に飲酒や喫煙など複数の校則を破ったのがばれてしまい、翌日には強制退寮となり、卒業式にも出させてもらえなかったんです。処分内容は数日後に伝えるとだけ言われ、おそらく退学だろうなと諦めていました。
卒業式のためにニューヨークまで来てくれていた両親には申し訳ない気持ちでいっぱいでしたが、「まあ、しょうがないか」と責められはしませんでした。この人たちは僕がどんな状況になっても必ず守ってくれる存在なんだと、強く感じました。
さらに、僕の知らないところで寮の仲間や先生達が、学校側になんとか退学にはしないでくれと嘆願してくれていて、学院長の心の広さと優しさもあり、退学を回避することができたんです。
アメリカに来てからその時まで、周りの人が「敵」と感じることも多く、周りよりも自分のことばかり考えて生きていました。 しかし、振り返ると、これまで家族や友達など色々な人に守られ、その「繋がり」の中で支えてもらっていたからこそ僕は生きてこれたと気づいたんです。
そして、これからは自分がお返しする立場として生きたいと思いました。 じゃあ自分は何ができるかと考えた時、 日本とアメリカどちらも知っている自分だからこそできる、両者の間に立って、繋ぐ存在になりたいと思ったんです。
結局、条件付き無期停学となり、その後半年遅れで高校を卒業し、慶應義塾大学の湘南藤沢キャンパスに通い始めました。 そこで、オレゴンの大自然の中で育ったことから関心があった環境問題を学び始めると、これも本質的には人や自然、生物との繋がりや意識の問題だと感じ、自分の中にあった「繋がり」という言葉とリンクしたんです。
一人ひとりが、自分の行動が様々な問題に繋がっているとどれだけ意識し、 「関係ない」と思わずに行動できるかどうか、それだけだと。 また、それは環境問題だけでなく、貧困問題や国際問題など全ての問題に当てはまり、 「繋がり」が問題を解決するキーワードだと強く感じました。この頃から、何事においてもその「根本」や「本質」が何かを意識するようになりました。とは言え、どう具体化するかはまだ分かりませんでした。
エンターテイメントを切り口に問題を知ってもらう
大学2年生の時、種子島で開催する「環境×音楽」をテーマにした音楽フェスのプロジェクトメンバーに、大学の先輩から誘われました。一見ハードルの高そうな環境問題を、音楽やエンターテイメントで「楽しい」を窓口に知ってもらう試みで、音楽が人生の軸になっていた僕にはぴったりのプロジェクトでした。
その中で、都市から海流に乗って運ばれて来た漂着ゴミを食べて死んでしまった動物の写真パネルを飾ったブースで、地元の親子が、「地球や環境のおかげで生きているんだね、地球のことをちゃんと考えていかなきゃね」と、まだ幼い子と優しく話している姿を見た時、やりたかったことを実現できたと感じました。
その子どもはその会話や経験自体は覚えていないかもしれないけど、 身体のどこかに潜在的に残るだろうし、母親が教えてくれたことは、その後の人格形成に大きく関わっていくだろうと思ったんです。 子どものうちから世の中の様々なことと触れ合い、広い世界と繋がった次の世代が増えれば、きっと良い未来になっていく。漠然と「繋がり」で何かしたいと考えていたことが、1つ形になった瞬間でした。
また、種子島フェスを通じて、社会問題を伝える手段として、 エンターテイメントの要素が必要不可欠だと思う気持ちは、一層強まっていました。さらに、『スラムドッグ$ミリオネア』という映画を見に行き、その思いは確信に変わりました。映画の中では、随所にインドの貧困層や、その背景にいる子供たちの信じられないような生活の実態が描かれていて、 僕自身それで初めてインドでの子供の誘拐や貧困の実態を知ることができたんです。
エンターテイメントを通じて社会問題を知ることは、学校で勉強したり、難しい言葉や内容を頭で学ぶよりも心に直接届くし、子どもにも分かりやすく色々な世界を伝えることができます。そして、事実をありのままに映し、多くの人に届けることができる映像や音楽を使うことで、 世の中の本質的に大切なことを知ってもらうきっかけを作れるのではないかと考えるようになりました。
やりたいことと現実の仕事とのギャップ
大学卒業後は、エンターテイメントの世界で新しいことに次々と挑戦している大手レコード会社に入社しました。ところが、月日が経つにつれ、元々やりたかったことと、会社の音楽やエンターテイメントに対する考え方との間に、大きなギャップを感じるようになりました。
そんなある時、ボリビア旅行に行った際に重度の高山病になってしまい、帰りの飛行機の中で全身痙攣をおこして倒れ、経由地マイアミの病院に緊急入院することになりました。 機内に運良くお医者さんが乗り合わせてくれたので無事でしたけど、 場合によっては非常に危険だったと病院で言われました。
それまで入院などしたことなかった僕にとって、人生で初めて自分の死を意識した瞬間でした。そして、いつ死んでしまうのかわからない、意外と短いかもしれない自分の人生を考えた時に、このままモヤモヤしながら仕事をする生活でいいのかと強く違和感を持つようになったんです。
そんな時、偶然「アフリカのスラム街の音楽を世界に届ける」ことをミッションにしている会社の代表と出会い、意気投合して少しお手伝いさせてもらうことになって、改めて自分の本来の熱い気持ちを思い出していきました。
するとある時、世界中のいろんな人種や文化、言葉の子どもたちが一堂に会して、音楽やダンスなども交えたお祭りをやっている様子を、夢の中で見たんです。 夢の中なので具体的には分からなかったけど、なんだかすごく幸せそうで、シンプルにこんな世界になったらいいなと思ったし、「絶対に実現させたい」と強い衝動に駆られました。なんだかそれは、僕にも、世の中にも、未来にとっても、すごく大切で重要なことだと直感的に感じていたんです。
僕自身、子どもの頃にアメリカで出会った友達や、一人旅で出会った世界中の友達が暮らす国のことを身近に感じていたし、子どもの時に外の世界の人と繋がることが、その後の成長にも大きく影響を与えるんじゃないかと。
子どもの国際交流こそ世界を変える
ただ、実現したいけど、どうすれば良いのかさっぱり分かりませんでした。そんな時、偶然に偶然が重なり、僕が実現したかった子どもの国際交流を既に行っていたフランスのNGOと、その日本支部のNPOを紹介してもらうことができました。
そのNGOは、戦争や貧困、災害、政府が機能していないなど様々な理由で、教育や旅行の機会を持てない世界中の子どもたちを毎年夏に集めて、1ヶ月間程キャンプをしながら交流する教育プログラムを提供していました。
東日本大震災で大きな被害で受け、原発がある福島県も対象にあがり、双葉群の4人の中学生が参加者として決定し、僕も、引率者兼現地でのリーダーとして一緒に参加することになりました。
レバノン、ガザ地区、北朝鮮、モロッコなども含めた、計25カ国の様々な場所から来た子どもたちは、 最初はお互い警戒しあっているけど、次第に打ち解けて仲良くなっていくんですよね。
毎晩、各国の文化や伝統をステージ上で披露するイベントがあり、日本の子どもたちがよさこいを踊ると拍手喝采で、翌日には「あのダンス教えて!」と言われ、みんなで踊ってみたり、踊りの意味を聞かれたり交流が生まれていきました。また、僕がアコースティックギターを外で弾いていると、大人まで目を輝かせてどんどん集まってきて、みんなで歌ったり、子どもたちが無邪気に「僕もギターを弾きたい!」とギターの取り合いが始まったんです。
国とか言葉とか文化とか一切関係なく、音楽やダンスのおかげで、当たり前のように繋がりが生まれていきました。これは僕の中でも強く印象に残り、エンターテイメントは本当に人を繋げるんだなぁ、と感動しました。そしてその光景はまさに僕が心に描いていたもので、以前夢にまで見たお祭りの様子とそっくりだったんです。
この経験で、間違いなく子どもたちはものの見方が変わり、自分とは少し異なるものにも興味を持ったり受け入れたりできるベースができたと実感できました。そして、自分のやるべきことはこの体験のように、世界中の子どもを繋げて友達になってもらい、広い世界を見せてあげることだと。
その後、結婚もして人生の節目を感じた2014年8月、5年程働いた会社を辞めることにしました。次に何をするかは具体的に決めていませんでしたが、 「エンターテイメント」と「子ども」をキーワードに、繋がりを作る活動に全ての時間を使いたいと思ったんです。
世の中の全てのことは関係している
現在は、映像クリエイターとして、様々な映像制作をしています。世界の社会課題に立ち向かうNPO、NGOや、他にも思いを持って活動している様々な団体や企業の映像、さらにミュージックビデオなど幅広く作っています。
全ての問題の本質にあるのは、人々がその問題に対して「いかに身近さを覚えられるか」だと考えています。映像というポップな切り口で、 社会問題にあまり興味を持っていない人にも世界の現状や、その背景にいる子どもたちの存在を知ってもらい、 自分と身近な問題だと気づいてもらえればと思います。
また、新人アーティストやミュージシャンを絡めた映像の企画なんかも考えています。エンターテイメントを生み出すアーティストが活動を持続していくためにも、 新しい取り組みで輝けるステージを作り、求めているところと繋げていくことも非常に大切なことだと考えています。
そして、未来を作る子どもたちが、幼少期から様々な背景を持つ世界中の人と繋がりを持ち、 お互いの文化や価値観を知るための国際教育や国際交流の機会を作っていくことが、僕の役割だと考えています。結局、世界中に友達を作ってもらうのが、全ての問題の一番の解決策だと思うんです。単純に友達がいる国のことは身近で好きになれるし、少なくとも受け入れようとする。それは国や文化、歴史なんて関係なく、その友達やその国に住む人に何かあったら心配するし、決して他人事ではなくなる。そうやって世界との深い繋がりを感じている世代なら、優しさと強い思いをもって、きっといい未来を作ってくれると思うんです。
今は、僕自身がとにかく動いて、色々な人と繋がりながら世界中で仕事していきたいと思っています。シンプルに人と繋がることで新たな発想やアクションがどんどん生まれてくるんです。
そして、エンターテイメントの力を用いて人の心を繋ぎながら、 世の中から「関係ない」という意識をなくして、世界を繋げる存在になりたいと思います。
2015.03.14
近藤 祐希
こんどう ゆうき|映像クリエイター、子どもの国際教育事業
「エンターテイメント×社会課題解決」を事業領域としたメディアコンテンツの企画・制作等を行う、WORLD FESTIVAL inc.の代表を務める。
WORLD FESTIVAL inc.
編集部おすすめ記事2019.10.11
編集部の伊藤です。秋は悩みの多い季節と言われます。例えば、ファッション。先週真夏日があったと思ったら、今週は台風到来と秋は天気が激しく変わるので、何を着るか悩みますよね。でも、そこで無難なファッションを選ぶと気分が上がらない。ファッションが心理状態に与える影響の大きさは様々な研究が示していますが、実はanother life.にもその実例があるんです。今回は、ファッションをきっかけに自分に自信がついた3名のストーリーをご紹介します。ぜひご覧ください。
寝たきりの17歳と社会を繋いだファッション。恩返しのためにパイオニアとして切り拓く道。
ファッションを通じて自信を取り戻してほしい!コンプレックスをチャームポイントに。
人生にBefore/Afterを!「短髪・体育会・ジャージが私服」だった私だからできること。