突然始まった、海外でのサッカー人生。怪我も苦難も乗り越えて、ここで夢を叶える。

東欧、ルーマニアでサッカー選手として活動する相澤さん。中学時代に海外でのサッカー生活を始め、これまでにオーストラリア、ドイツ、ルーマニアの3カ国を経験しました。プロとしてサッカーを続けるために国を変え、常に上を目指す日々を送っています。相澤さんが海外でサッカーを続ける理由とは一体何なのか。お話を伺いました。

相澤 闘志

あいざわ とうし|プロサッカー選手
プロサッカー選手。現在、ルーマニアのチームでサイドバックとしてプレー。

突然の、「オーストラリアに行くぞ」


東京都杉並区出身です。元ラグビー日本代表だった父の影響で、子どもの頃からスポーツばかりしていました。体操や鉄棒、剣道など色々やりましたが、一番面白かったのがサッカー。コートの中で自由にボールを蹴るのが好きでした。

小学生の頃は毎日サッカーをしていて、将来の夢はJリーガーでした。中学に上がってからは、学校の部活ではなく、地元から少し離れたクラブチームに入ってサッカー漬けの毎日を送りました。

中学2年の時、家族でオーストラリアへ旅行することになりました。その際父に、現地のサッカーを体験してみたらどうかと聞かれました。ちょうど、2006年のワールドカップで、日本がオーストラリアに負けたこともあり、興味を持ちました。「向こうのサッカーをみてみるか」という軽い気持ちで体験してみると、技術的にもフィジカル的にも日本の方がレベルが高いなと感じましたね。

その後帰国して普通に生活をしていたんですが、その年の暮れに父から、「来年年明けくらいからオーストラリアで暮らすぞ」って唐突に言われたんです。本当に突然のことだったので、「ええ!?」ってすごく驚きましたね。海外で暮らすことなんて、考えたこともありませんでした。学校もサッカーも一番楽しい時期だったし、誰も知らない場所で暮らす不安もありました。でも、親父の決定に対して「行きたくない」っていうのは通じず、よく分からないうちに引っ越すことになりました。

現地では、中学に編入する前に、半年ほど語学学校に通いました。同時に、地元ボスリーパークのサッカーチームにも入りました。ちょうどオーストラリアのプロサッカーリーグができた時だったので、将来は地元のシドニーFCに入れたらいいなと思っていました。

でも、1年目はあまり試合に出られなかったんです。選手とのコミュニケーションが取れないことが大きな原因でした。最初の5、6試合は出られたんですが、徐々に出られる時間が減っていき、最終的にはまったく出られなくなってしまいました。

悔しかったですね。プレーは通用するはずなのに。とにかく選手やコーチとのコミュニケーションをとれるようになってやろうと、英語の勉強を頑張りました。

オーストラリア2年目、高校に進学した頃から英語がだいぶ話せるようになりました。それと監督が変わったこともあって、その頃から試合にもたくさん出られるようになったんです。友達も練習時間も増えていって、やっと毎日楽しく過ごせるようになりました。

そんな時、所属していたチームがリーグ戦で優勝し、その時の僕のプレーを見て気に入ってくれた方が、試合のビデオをドイツのチームの監督に送ってくれたんです。それがきっかけで、ドイツの試験を受けるチャンスをもらいました。

ぼんやりとですが、小さい頃からヨーロッパでプレーすることを目標にしていたので、すごく嬉しかったですね。サッカーと言えばやっぱりヨーロッパがメイン。チーム内に昔ヨーロッパでプレーした選手がいて、話を聞くうちに僕もプレーしたいという気持ちが強くなりました。

実際に試験を受けに行って、その気持ちは一層強くなりました。選手のレベルがすごく高いし、環境的にもきちんと整備されている。とても感動しました。こういうところでサッカーができたらいいなと思いましたね。

17歳でヨーロッパ、ドイツへ 


試験に合格して、17歳でドイツのチームに移ることが決まりました。

ところが、僕を採ると言ってくれたチームの監督が、着いて一週間くらいでクビになってしまったんです。知ってる人が誰もいない状態になりました。もちろんドイツ語も話せないので選手とコミュニケーションもとれない。それ以降、出場機会は全くなく、ただ練習するだけという感じでした。精神的にきつかったですね。徐々に無気力なプレーになってしまって。

ただ、サッカーを辞めようとは思いませんでした。うまく言葉にできないんですが、ヨーロッパでサッカーをしている充実感が自分の中にあったからです。オーストラリアでプレーしていた時には感じたことが無い満足感がありました。

サッカーは辞めたくない。それなら環境を変えないといけない。そう思い立ち、知り合いを頼ってミュンヘンに行くことにしました。今のチームとまったく関係のない場所で再スタートしようと考えました。

18歳でミュンヘンへ。一から仕切り直しです。でも、そのおかげで心を入れ替えることができました。インターナショナルスクールに入ったことも良い変化でした。同年代の友達、特に日本人と遊ぶ機会も増えて、精神的に安定したことが大きかったです。ミュンヘンでは大人のチームに入り、ドイツ5部リーグに所属するチームの2軍にでプレーしました。

高校卒業後はフランクフルトに移って、4部のチームの2軍で1年間プレーしました。その後、他のチームのテストを受けに行き、5部のチームの1軍として契約。それがケルンの少し上のレバークーゼンという街のチームです。9月に契約をして、シーズンが終わるまでに2、3試合出させてもらいました。

怪我を乗り越え、ルーマニアで再挑戦


やっと1軍で契約ができた矢先、大きな怪我をしてしまいました。年末年始に帰省していた日本で、友達とサッカーをしていた時にアキレス腱を切ってしまったんです。ちゃんとストレッチもしていたんですが、バチンって切れちゃって。

「マジか」って思いましたね。「このタイミングで切っちゃうか・・・」って。やっと契約ができて、せっかく上手く行き始めたばかりだったのに。

診断は全治6〜8ヶ月。怪我の直後はすごく落ち込みました。でもその気持ちも長くは続きませんでしたね。もう切っちゃったんだし治るまでしょうがない、と気持ちを切り替え、逆にこの時間を使ってなにかできないかと考えるようになりました。

それまでは、時間があればゲームなどをして過ごしていたんですが、何か生産性のあることをしたいと思い、通信の大学について調べ始めました。大学進学はサッカーを辞めた後でもいいかなと思っていたんですが、空いている時間を使って挑戦してみようと思い、通信の大学に通うことにしました。怪我を機に時間の使い方が大きく変わりました。

手術から3ヶ月経ったころには運動の許可が出て、ウォーキングと自転車漕ぎを始めました。でも、運動すればするほど落ち込むんですよね。技術的にはさほど変わった感じはなかったんですが、足の動きが硬くなっていて。特にアキレス腱が曲がらなくて、窮屈な感じがありました。

「本当にもう一回サッカーできるようになるのかな」という不安が強かったです。足の硬さは練習量でカバーしようと、ひたすら時間を費やしました。やっていくうちに体も慣れていきましたね。

プレーできるようになったところでドイツに戻ったんですが、すぐには1軍に戻れず、2軍からのスタートでした。少しして1軍に戻れましたが、ビザの関係でドイツに居続けることが難しくなってしまいました。

それをきっかけに、ドイツ以外でプレーすることを考えるようになりました。最初は、近くで言葉の通じる国を探していたんですが、どこもビザ取得のハードルが高い。それだったら思い切り方向を変えてもいいのかなと思って選んだのがルーマニアでした。

当時、FIFAランキングが結構上位で、面白そうだと興味を持ったんです。しかも、ルーマニアには1人の日本人選手がいることを知りました。瀬戸貴幸さんという方で、当時すでに1部リーグでプレーされていて、ヨーロッパリーグやチャンピオンズリーグの予選にも出られていました。そんな瀬戸さんが、実はルーマニアの3部から入って、実力で活躍の場を広げていったと知ったんです。それで、「こんな可能性もあるんだ、挑戦してみたいな」と思いました。

ルーマニアに移ったものの、最初のチームは2、3ヶ月でクビになってしまいました。がっかりしましたね。どこの国に行ってもこうなるのか、と落ち込みました。それでも、その後、代理人を通じて他のチームのテストを受け、無事「CSO Filiasi」というチームに合格。CSO Filiasiは雰囲気がよく、英語をしゃべれる選手も結構いたんです。ここに来たことで、ルーマニアの生活が安定するようになりましたね。

海外で学んだ、まずトライする大切さ


今は、ルーマニアのクラヨーヴァという5番目に大きな都市に住み、CSO Filiasiというチームでサイドバックとしてプレーしています。僕が所属するチームは、日本でいうとJ3にあたる3部リーグのチームです。チーム成績はあまり良くはなく、去年は3部リーグの11位でした。

ただ、ルーマニアはどのチームも技術的に優れていて、チームごとの差は大きくないように感じます。ドイツではフィジカル面が重視されていたんですが、ルーマニアではボールを扱うテクニックの方が重視されます。国内リーグ全体がそんな感じなので、3部以上が参加するカップ戦に出場した時、僕たちのチームが1部のチームに勝ったことも何回かありました。

ルーマニアに来てからは途中出場が多く、先発で出たのは2、3試合。でも試合に出る機会は多いので、ドイツにいた時よりは安定してプレーできています。思い描いているベスト、というわけではありませんが、これまでより良い環境にいると思っています。

毎日の生活は、午前中に練習場に行って2時頃までサッカー、その後は家に帰って通信制大学の勉強をしています。僕が受けている授業は日本の学生がやっているものと一緒で、課題も同じような内容で出ます。サッカーと並立する生活は想像以上に大変ですね。

日本の外に出てプレーをしたことで、たくさんのことを学びました。言葉が話せるようになって、オーストラリアやドイツ、ルーマニアにも友達ができたことはもちろんですが、それ以外に、「とりあえずやってみてから考えよう」という感覚が身についたことが大きいです。駄目かもしれないけどまずはトライしてみる、その大切さを学びました。最初は父の方針で海外に行くことになりましたが、今はこれでよかったと思っています。

この先も、ルーマニアでサッカーをやっていこうと思っています。まずはルーマニアのリーグで1部を目指し、将来的には、スペインやイングランドでプレーできる、そんな選手になりたいです。

2017.08.25

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