「美容師は髪しか切れない」の壁を壊す。
培った知識とITで切り拓く、新しい可能性。

美容師として現場に立つ傍ら、培った知識を活かし、5つの媒体への寄稿等を行う木村さん。「美容師の可能性を広げる活動がしたい」とお話する背景にはどのような思いがあるのでしょうか?

木村 直人

きむら なおと|美容師
美容室 air&LOVESTの発信統括マネージャーとして、
美容師としての仕事に加え、5つのメディアへの寄稿活動等も行っている。

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おせっかいな地元を離れ、東京で美容師に


岡山に生まれ、高校生まで地元で育ちました。高校では授業に出るのがだるく感じ、100日以上休むような具合で、入っていたバスケ部を辞めて、チンピラの集合体みたいな応援団に所属していました。

学校もそうですが、地元自体があまり好きでなかったですね。いわゆる「おせっかい」な文化があり、地域内の噂話があったり、近所のおばさんから「将来どうするの?」と声をかけられたりと、元々関わられるのが好きでない僕は、「早く地元を出て、東京に行きたい」と感じていました。

そこで、もともと両親が美容師だったこともあり、東京に行く口実として、東京の美容学校に通い、美容師になることにしました。正直、仕事を継ぎたいという気持ちはあまりなく、地元を出たいという気持ちが強かったです。

その後、上京し専門学校に入ってからは、高校時代とは対照的に、「仕事をするんだ」という感覚を持つようになり、皆勤で学校に通っていました。不器用だったこともあり、上達スピードは遅かったですが、充実した環境は期待通りでしたね。

その後、親から勧めてもらった専門誌等を参考に、「ここで働きたい」と感じた大手のサロンの選考を受け、就職することに決まりました。原宿の大型サロンということで、20倍を超える倍率だったので、合格した時はかなり嬉しかったです。

その後、実際に美容師として働き始めてからは、やはりレベルが高い人が多く出遅れていましたが、素直に数をこなそうと割り切り、とにかく練習をしていました。自分を抑えることなく、感情を出せる環境だったこともあり、辛いと感じることはありませんでしたね。

『air』への移籍


ところが、美容師になって5年経った頃、店をクビになってしまったんです。

後輩をギャンブルに連れて行っていたことが悪影響だと思われたんですよね。会社から電話がかかってきた時点で悪い予感はあったのですが、実際に伝えられると、

「ついに言われたか」

とショックでしたね。ちょうど日韓ワールドカップの日本対ブラジルの試合の日、僕は元美容師の友達の家で泣き疲れて寝てしまい、目が覚めてから、すぐ知り合いのサロンに電話したんです。

「すぐ仕事をしなきゃ」という危機感がありました。幸いにも、その方の繋がりで青山の有名店に拾ってもらうことができ、無事、美容師を続けることができました。

2店舗目は、最初の店と全く違う環境でした。技術力が高いのはもちろん、遊びも仕事も一流という店で、憧れの先輩に触発されながら、「うまくなりたい」という強いマインドは変わらず、メディアの方とのつながり作りなど、地道な行動を積み重ねていました。

そんな折、そのお店に誘ってくれた先輩が、『air』というサロンに移っており、新しく青山店を立ち上げるタイミングで、僕も誘ってもらったんです。

今の店で続けようという気持ちがあり悩んだものの、最終的には、よりチャレンジができる環境として、『air』を選ぶことに決めました。元々サロン自体は知っていたのですが、急激にメディアの露出が増え、雑誌等で見るデザインも好きで、可能性を感じていたことも大きかったですね。

実際立ち上げに携わってみると、サロンとしての文化にセンセーショナルな衝撃を受けました。美容室から会社に移ったような感覚で、しっかりした組織文化はすごく新鮮に感じましたね。

その後、大型の渋谷店の立ち上げにも副店長として携わる機会をいただき、売り上げも調子が良く、個人としても雑誌の出演オファーをもらえるようになっていったんです。以前のサロン時代からの積み重ねが実っていき、そのまま渋谷店の店長を務めることになりました。

ブログと出会い


店長になってからは、今まで以上に多忙で、早朝から深夜までとにかく仕事をしていました。正直、お客さんを迎えていても自分のサービスに納得ができず、後悔をすることもありましたね。

そんな折、ちょうどブログサービスが提供されるようになり、自分でも使ってみるようになりました。最初は、「なんか楽しそうだな」という感覚で始めたのですが、使っていくうちに、自分が店舗で感じている後悔を埋めるための情報を発信するようになったんです。

リアル店舗でなくてもお客さんとコミュニケーションが取れたら、という思いがあったんですよね。

そもそも、会って話すよりも何かを介してのコミュニケーションの方が向いていたので、ブログを使ってお客さんとやり取りをするのが苦ではありませんでした。ある種「コミュ障」な部分があったんでしょうね。

そんな背景から更新を始めたため、既存のお客さんに求められている情報を発信するというスタンスで、集客や認知のための発信という戦略性は毛頭なかったのですが、同じようにブログを利用する人がいなかったこともあり注目を集めていき、結果的には、ブログ経由で店や自分を知ってもらう方がどんどん増え、忙しさにどんどん拍車がかかっていきました。

その後、さすがにオーバーワーク状態が限界を迎え、ずたずたになってしまい、ちょうど渋谷店が閉店になることも重なり、発信統括マネージャーとして店舗の統括に周り、11店舗の看板を背負い、発信をする立場に着くことになりました。

一人の美容師として働く傍ら、開設して以来一日も欠かさず更新してきたブログを、会社の看板を背負って発信する役割を担うようになったんです。

美容師の可能性


現在は、一美容師として施術を提供する傍ら、5つのメディアへの寄稿等を通して、美容師としての知識を活かして収益を生む活動を行っています。

一人の美容師が髪を切れる人の数には限界があるけれど、方法を変えることで、もっと幸せにできる人は増やせると思うんです。

今は、その「有限を無限化する手段」として、美容師として培った知識を、社会に求められている情報の形に変えて伝えていこうとしています。もちろん美容師として成長したいという気持ちは全く変わらないし、髪を切ることをやめることもありませんが、美容師の可能性を広げる活動ができたらと思うんです。

元々はなんとなくの関心で始めた、ブログ等のITを通じたコミュニケーションを通じて、逆に自分たちの業界への息苦しさを感じるようになりました。だからといって周りの考え方を否定はしようと思わないものの、自分自身は「美容師」にもっと可能性を感じてるんです。

自らの知識で社会貢献できることを見せることで、

「美容師は髪しか切れない」

という壁を壊したいという気持ちがあるんですよね。 

お客さんと直接接して「感じる」ことができる職業であり、ITというツールがある今、できることのポテンシャルはもっと大きいと思うんです。

2014.08.11

インタビュー・執筆 | 新條 隼人

木村 直人

きむら なおと|美容師
美容室 air&LOVESTの発信統括マネージャーとして、
美容師としての仕事に加え、5つのメディアへの寄稿活動等も行っている。

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