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対馬を世界中に誇れる島にしたい。
16年間島外で暮らしたからこそ感じる魅力。

川上 のぞみさん/対馬の生活を豊かにするサービス提供

はてぶ

対馬の生活をより良くするため、家事代行や育児支援サービスを立上げた川上さん。中学卒業後に地元を飛び出し、20代を海外で過ごしたからこそ気づいた対馬の魅力とは。お話を伺いました。

保育士になって託児所を作ろう

長崎県の対馬で生まれました。小さい頃から目立ちたがり屋で、人と違うことをしたいと思っていましたね。小学4年生でピアスを開け、5年生で髪を茶色に染めました。中学生くらいになると、車を持っている年上の先輩たちと仲良くし始めて背伸びした行動ばかり。とにかく田舎暮らしが嫌で早く地元から出たいと思っていました。

一方で、対馬の家を残さなければいけない、みたいな意識は小さい頃からあったと思います。私は二人姉妹の妹ですが、小さい頃から「長男とは結婚してはダメ」という空気がありました。相手の家に入らなければなりませんから。また、先祖供養の行事を仕切る親を見ていて、親が亡くなったあとは自分たちが引き継いでいくんだろうな、と思いましたね。

とはいえ、それはずっと先のこと。都会への憧れが強くて、中学卒業後は福岡の高校に進みました。都会生活は楽しかったですね。まず、学校帰りに遊ぶ場所があるんです。カラオケとかカフェとか、賑やかな雰囲気はイメージしていた都会そのままでした。

遊んでばかりで、入学して2ヶ月くらいで高校をやめました。元々、親に言われて渋々進学しただけだったので、親の目が届かなくなって、いきがっていたんです。

ところが、自由を謳歌している最中、母が亡くなりました。高校在学中私宛に「高校をやめることは許さない」と書いた手紙をもらいました。亡くなってしばらく経ってからそれを読み返して、親に反発して、自分勝手な行動ばかりしていたことに後悔しました。

その後、もう一度高校に行くことにしました。定時制の学校に通いながら、昼はアルバイトをする生活。進路のことは何も考えていませんでした。将来何をしたいか分からなかったんです。

すると、担任の先生に、短大の保育科だったら推薦でいけると勧められました。短大に行くことなんて頭になかったんですけど、周りにシングルマザーの友達も多かったので、保育士になり、託児所を作って、友達の子どもを預かるのもいいかもしれないって思ったんです。自分に子どもができたときも、子育ての知識は役立ちます。それで、短大の保育科に進むことに決めました。

世界中の子どもと触れ合ってみたい