身体を壊して気づいた野菜と地域の魅力。
広島・豊栄町から野菜の力で皆を元気に。
広島県東広島市豊栄町で住民や大学生とともに菜の花を使ったサラダソルトを開発・販売している田野実さん。仕事で身体を壊したのをきっかけに、野菜の魅力を広めたいと考えるようになったと言います。田野実さんが豊栄町で実現したいこととは?お話を伺いました。
田野実温代
たのみあつよ|菜の花くらぶ立ち上げメンバー・野菜Labo主宰
栃木県生まれ。大学卒業後、東京で3年間働くも、体調を崩し退職。野菜のおいしさや美しさ、気持ちよさに気づき、料理教室をはじめる。2018年に農家の想いを食卓に届けるためにクラウドファンディングを実施。全国を旅し農家を訪問する。そこで出会った東広島市の活動に感銘を受け、広島に移住。2019年から広島県豊栄町の地域おこし協力隊に就任。野菜Laboを立ち上げる。2021年に学生協働支援隊と共同で菜の花くらぶを設立。
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※この記事は、広島県の提供でお送りしました。
緑と触れ合うのが好き
栃木県宇都宮市に生まれました。市街地から離れた田んぼばかりの地域で、家は兼業農家。カエルと遊んだり、アリ地獄を見たり、自然と触れ合いながら育ちました。
物心ついたころから、なぜか「地球を守らなければ」という使命感を持っていて、家中の豆電球を消して回ったり、すぐに蛇口を締めたりするような子どもでした。その頃テレビではよく、気候変動に関する番組が流れていました。南極の氷が溶けてシロクマの住処がなくなる様子を見て、危機感を覚えたのかも知れません。気候変動に関する本を親に買ってもらったこともありました。
その後、地元の中高に進学。目立つタイプの生徒ではなく、部活をしたり、友達と遊んだりして、ごく普通の学生生活を過ごしました。大学は、環境を守るための勉強がしたいと考え「環境」の名のつく学部を探して受験。その中で神奈川県の大学に進学し、上京していた姉と2人暮らしを始めました。植物が好きだったので、都市緑化の研究室に。研究で森に入ることもあって、自然に触れるのが楽しかったですね。
野菜と料理が元気をくれた
卒業後は、リユースやリサイクル関係の企業に入社。配属は営業部でしたが、スタートアップの事業部だったため、コールセンター業務やその組織づくり、他の部署のフォローなど幅広い業務をしながら多忙な毎日を過ごしました。責任感を持って仕事に取り組んでいました。
仕事に励んでいくうちに、自分自身の体のことはどんどんおざなりになりました。朝は8時に出勤。お昼はコンビニ食。夜は遅く、夕ご飯を作る気力も湧かず、ジャンクフードで済ませてしまう日もありました。「もっと頑張らなきゃ!」と仕事に勤しむうちに、どんどん生活リズムが乱れていきました。
25歳のとき、ある日突然、会社に行けなくなりました。身体がだるすぎて、歩くのもやっとだったんです。食事をしても、胃が気持ち悪い。生活もままならず、休職を余儀なくされました。
病院に行っても、原因が見つかりません。すがる思いで図書館などで体調が良くなる方法を探し、ヨガや食べ物に関する本を読みました。そして、本に書いてあった食べ物をスーパーで探しては調理して食べてみるようになりました。
すぐに効果は実感できなかったのですが、そんな中でもある発見をしました。スーパーで野菜を選んで、家で洗って、切って、調理をして、食べて。この一連の動作をしているときだけ、なぜか身体のだるさが忘れられたんです。
野菜を見るだけでも心が躍るようになりました。葉っぱのグラデーションやリーフレタスのフリルの部分がすごく綺麗だなと感じて、素敵な野菜を見ると写真に収めることもありました。野菜と向き合っている時間が好きで、夢中になっていられたのだと思います。
そのうち、自分のためだけではなく、誰かに料理を作りたいという思いが芽生え始めました。自分自身が身体を壊したことで、同じような生活をしている会社の同僚や先輩が自分の二の舞になるのではと思ったからです。もともと何かをやっていないと気が済まない性格の私は、おせっかいで同期の家の鍵を借りて、料理を作ってあげることにしました。
身体は相変わらず辛いままだけど、野菜と触れ合っているときだけは体調が安定していました。どんどん野菜に興味が湧いて、品種や農法についても勉強し始めたんです。
農家さんのありのままを伝えたい
2カ月ほどの休職期間を経て、仕事に戻りました。でも全然だめでした。夕方まで体力がもたなかったんです。このまま仕事を続けるのは不可能だと、退職を決めました。
辞めても、ゆっくりする気はおきなくて。「皆に野菜を食べてほしい」という想いのもと、料理教室を始めることにしました。「何を食べるべきか」を皆に伝えることで、周りの人たちに健康になってほしいと考えたからです。たとえば調味料はたくさんあるけれど、そのときの私には知識もあまりなく、何を選んだら本当に良いのか分かりませんでした。まずは私が学び、その知識をみんなに広めることで、皆を健康にするお手伝いになるのではと思いました。
特に野菜はこだわりましたね。無農薬農家さんから取り寄せたり、メンバーと珍しい野菜を買いに行って料理をしました。全国の農家さんとのつながりも生まれ、ますます野菜への興味が深くなっていきました。
農家さんとのつながりができるにつれ、農家さんや野菜の魅力をデザインの力で発信したいと思うようになりました。同時に、疑問も湧いてきました。有機農法や自然農法など、農法はたくさんあるけれど、「どれが正解なんだろうか」と。そこで、たまたま周りに経験者が多かったクラウドファンディングに挑戦。全国の農家さんを回る旅を始めました。
実際に畑を目で見て、農家さんと話をして気づいたのは、皆それぞれ想いがあること。農法はたくさんあるものの、誰一人同じことはしていません。信念として掲げていることも異なります。地域に仕事を創出するために働きやすさを大事にしている人は、ビニールハウスの中をスリッパで歩けるほど清潔な畑を作っていました。
その土地に元々なかった種を植えることすら、その土地の生態系を壊している可能性もあると考える農家さんもいました。目的が違うだけで、どれが正解というわけではない。農家さん一人ひとりと関わるなかで、農法に正解を求めていた自分の間違いに気づきました。
そんな様々な農家さんに出会い、農家さんのありのままを食卓に届けたい、と思うようになりました。農家さんは野菜を作るプロではありますが、販売するプロではありません。食べたい人と、つくりたい人をつなぐような、そんな存在になれたらと思うようになりました。
広島・豊栄町との出会い
クラウドファンディングで広島市に立ち寄ったとき、あるデザイナーさんに出会いました。その方は、地域の生産者が作った商品をまとめてブランディングすることで、発信力をつけて地域全体の価値をあげていこうと取り組んでいました。
デザインの力で、生産者の想いごと、伝える。まさに私がやりたいことと合致していました。そこですぐに、広島市に移住。事業を手伝い、地元の農家さんと関わりながら商品のブランディングに携わりました。
ある日、まさにブランディングの舞台だった地域の一つ「豊栄町」でお世話になっていた方に、豊栄町で地域おこし協力隊の募集があると教えてもらいました。自らが主体となり農家さんの近くで活動できるチャンスと思い応募。2019年から地域おこし協力隊として豊栄町に移り住みました。
協力隊として最初に始めたのは、「野菜Labo」という名前の料理教室です。1つの野菜に焦点を絞り、切り方や加熱の仕方で変わる美味しさの違いを研究し尽くして、その研究での発見を教室でお披露目しています。
開催場所は地域内の施設。それまでケータリングを行ってきた経験を生かし、地元の野菜をたくさん使ってパーティー料理を作ります。
豊栄の人たちはすごく親切でした。家の周りを歩いても、散歩中のおばあちゃんが「最近どう?」と声をかけてくださるんです。人の温かさにふれて、町がどんどん好きになっていきました。
しかし間もなくして新型コロナウイルスの感染が拡大。対面の料理教室は開催できなくなりました。何かできることはないかを考えたところ、商品づくりを思い立ちました。集まれないなら、届けようと考えたんです。
そこで切り方や加熱方法、調合など、細部までこだわりぬいた冷凍ポタージュスープを開発、町内だけでなく、ECで全国に販売しました。新聞などのマスコミにも取り上げられ、全国各地の方々に豊栄町の美味しい野菜を届けることができるようになりました。
菜の花でサラダを美味しく
ある日、いつものように農家さんと話していたときのこと。「白菜の菜の花は甘くてすごく美味しいんだよ」と教えてもらいました。ふと見回してみると、畑が黄色い菜の花で満開になっていました。
よく考えてみると、白菜をはじめ、広島菜やからし菜などアブラナ科の植物はみな、菜の花を咲かせます。しかし時期が過ぎると、菜の花は食べられることもなく、そのまま畑へと還っていたのです。
このまぶしい黄色の花たちを、サラダにトッピングできたらいいのに。ふと、そんなアイデアが浮かびました。
サラダを食べる時、ドレッシングをかける方が多いですが、大量にかけてしまうと野菜本来の味や食感を楽しむことができません。新鮮な野菜は、ほんのちょっと塩を振るだけで甘みが引き立ち、野菜そのもののおいしさを味わうことができるのです。
菜の花を乾燥させてサラダソルトにすることで、野菜を美味しく楽しく食べてもらえるのではないか。この黄色を生かせれば、見栄えだって美しい。豊栄町の新しい名物になるのではないか。そんな思いで、商品開発を始めました。
豊栄町から元気の輪を広げる
現在は地域おこし協力隊や野菜Laboの活動のほか、「菜の花くらぶ」として地域で活動する大学生チーム、学生協働支援隊や豊栄町の方々とともに菜の花Salad Saltの製造・開発を行っています。製造はすべて手作業。メンバーが家庭菜園も含めた農園にお邪魔して、菜の花だけを摘み取ります。茎が入ると食感が悪くなるため、花びらだけを一輪一輪選別し、やさしく洗って乾燥させます。その後の梱包や発送作業まで、メンバー全員で協力して作業しています。新しいパッケージ選びや販売活動も、学生協働支援隊と協力して行っています。
もちろん味にもこだわり抜きました。豊栄町にはたくさんの菜の花が咲きますが、一番おいしい配合に。食感をよくするために大豆を混ぜたり、隣町が名産であるエゴマを入れて、健康にも配慮をしています。
これまでの活動は、自分主体で進めることはほとんどでした。しかし地元の人たちと協力して活動を進めることで、今までにはなかった喜びも生まれています。
皆で集まって活動すると、異世代の交流が生まれます。おばあちゃんたちの昔話から大学生が地域の歴史を学んだり、逆に若者の会話をおばあちゃんたちが興味深く聞いていたり。豊栄町でも地域コミュニティの希薄化が深刻だった中で、菜の花くらぶの活動は、何十歳も年齢が異なる人たちが集まって、コミュニケーションを取れる場になっています。
地域の人たちの喜びや誇りにも繋がっています。先日、メンバーの一人が「この間知り合いに渡したら、豊栄町にこんなおしゃれなものがあるんだって褒めてくれたんだよ」と嬉しそうに伝えてくださったんです。中には、自ら郵便局にかけあって、菜の花Salad Saltを営業してくれるほど熱心な方もいました。自分が携わった商品のことをどんどん好きになって、それを届けたいという思いを持ってくれるのがすごく嬉しいですね。
地域おこし協力隊の活動はもうすぐ終わりますが、これからも豊栄町に関わり続けたいと思っています。豊栄町の美味しい野菜で、広められていないものもあります。菜の花くらぶは始まったばかり。野菜Laboの商品展開もどんどん増やしていきたい。まだまだやり足りないですね。
「皆に元気でいてほしい」というのが、私のモットーです。野菜を美味しく食べる方法や、頑張っている農家さんの活動を広めることで、皆が元気になるお手伝いがしたいですね。
でも一番は、一緒に活動している人たちが楽しんでくれること。豊栄町の人たちが、この活動を通して、元気になって、楽しんでくれることが、私にとって一番の喜びです。
野菜はちょっとした手間で美味しくなります。豊栄町での活動を通して、野菜を届け、元気の輪をどんどん広げていきたいです。
2021.11.08
田野実温代
たのみあつよ|菜の花くらぶ立ち上げメンバー・野菜Labo主宰
栃木県生まれ。大学卒業後、東京で3年間働くも、体調を崩し退職。野菜のおいしさや美しさ、気持ちよさに気づき、料理教室をはじめる。2018年に農家の想いを食卓に届けるためにクラウドファンディングを実施。全国を旅し農家を訪問する。そこで出会った東広島市の活動に感銘を受け、広島に移住。2019年から広島県豊栄町の地域おこし協力隊に就任。野菜Laboを立ち上げる。2021年に学生協働支援隊と共同で菜の花くらぶを設立。
<ひろしま里山グッドアワード開催中>
広島県で、中山間地域にあるものを活かした取組を表彰する「ひろしま里山グッドアワード」。一般投票でグランプリのさとやま未来大賞、未来のたね賞が決まります。
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※この記事は、広島県の提供でお送りしました。
編集部おすすめ記事2019.10.11
編集部の伊藤です。秋は悩みの多い季節と言われます。例えば、ファッション。先週真夏日があったと思ったら、今週は台風到来と秋は天気が激しく変わるので、何を着るか悩みますよね。でも、そこで無難なファッションを選ぶと気分が上がらない。ファッションが心理状態に与える影響の大きさは様々な研究が示していますが、実はanother life.にもその実例があるんです。今回は、ファッションをきっかけに自分に自信がついた3名のストーリーをご紹介します。ぜひご覧ください。
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