死と向き合う現場で抱いた思いは、気づけば我慢できずにあふれるようになっていき、ついには、親にも死を意識して生きてもらうため、帰省するたびに、あえて手術の話ばかりするようになりました。時には両親よりも若い患者さんが亡くなった話をすることで、両親には死を想ってやりたいことをやって生きてほしいという思いがあったんです。その思いは親に留まらず、SNSに自らの思いを書くこともあれば、友人と話をする中で熱く語り出すようなこともありました。

すると、ある飲み会で、直近で書籍を出版した友人から、「その話を本で書いてみたら?」と言われたんです。なんだか、それまであふれんばかりに膨れ上がった気持ちの風船を破ってもらったような感覚があり、その言葉をキッカケに、本を書いてみようと決めたんです。文章が下手な素人が書いても、いきなり出版できる訳がないだろうという不安がありましたが、昔から憧れていた本を書くことへの思いに加え、「これだけ強い思いがあるなら形にならない訳が無い」と感じたんですよね。

ただ、実際に執筆を始めると、予想よりもずっと苦しい葛藤が待っていました。自分のように若造で実績が無い医者よりも、他の人が書いた方が良いのではないかという思いが常にあり、こんなことをしている医者など聞いたことが無かったので、まるで暗闇でジャンプをしているような感覚でした。「これは無駄なのかな?意味が無いのかな?」と自問し続ける、本当に苦しい執筆でした。

そうして、なんとかできあがった原稿を紹介された出版社に持っていってみると、「これは出版に耐えられない」という評価を受けてしまったんです。「こんな原稿には何の価値もないんじゃないか」そんな気持ちでいっぱいになり出版を諦めることにしました。

ところが、たまたまの縁から幻冬舎の見城社長とSNS上でお話させていただく機会があり、「全ての新しいことはたった一人の孤独な熱狂から生まれる」という言葉を知り、もう一度自分の熱狂を追求しようと考えるようになったんです。

そこで、もう一度自分が書いた原稿を読み返し、2ヶ月ほど推敲や加筆を繰り返し、改めて思いを書き上げました。そして、その原稿を見城社長、そして幻冬舎の方々に読んでいただくと、なんと出版の機会をいただけることになったんです。そのやりとりの数日間はいつもの手術以上に緊張する日々で、出版が決まった時も、にわかに信じられないような気持ちでした。

そんな背景から、2015年3月、『幸せな死のために一刻も早くあなたにお伝えしたいこと 若き外科医が見つめた「いのち」の現場三百六十五日 』という本を出版したんです。