東京都大田区で生まれました。四人兄弟の末っ子です。小学生の時、父の会社の都合で引っ越してからは、神奈川で育ちました。

小さい頃から、いろんなことに興味を持つ子どもでした。母には、注意散漫な子どもだと言われていましたね。

自然が好きで、中学時代は良く崖から海に飛び込んでいました。あまり泳げなかったので、飛び込んでは慌てて岸に戻ってまた飛び込む、というのを繰り返していまいた。

末っ子だったので、兄の影響を受けやすかったですね。絵を始めたのも、兄の影響でした。銅版の下絵を描くのが好きで、美術部で古典について学びました。

中学では美術部の他に、バレーボール部と合唱部を掛け持ちしました。バレーボールは県の代表に選抜されるほどの腕前で、夢中で練習しました。

高校生の頃、僕にはいくつかの夢がありました。一つは、レーサーになること、父が車の部品を作る会社を経営していた影響で、車が好きだったんです。もう一つは、プロボウラーになること。ボウリングクラブでの影響を受けていました。

あとは、自分の手で丸太小屋を作ることでした。ドキュメンタリー番組で見た、カナダ人が丸太小屋を作っている姿が目に焼き付いていたんです。

カナダ人のお父さんが、おそらく300キロや400キロある大きな木を手で切って、馬とかで運んでいました。その映像が流れているところで、「彼は狼や熊から家族を守るために丸太小屋を作っている」というナレーションが入るのに、とにかく感動したんです。

丸太小屋を30歳までに作る。それが一番大きな夢でした。

高校卒業後、免許を取ってサーキットを走っていると、レーシングチームからスカウトされました。ただ、父にレーサーになるためのお金は出さないと言われて、すぐに諦めました。

それで、プロボウラーになる夢を追うために、ボウリング上の機械を作っている会社に入りました。プロのやっている練習場の機械を見れば、プロボウラーに近づけると思ったんです。

その会社も半年で辞めて、父の会社に入りました。父の会社は3つの工場をやっていて、各工場に息子を起きたがっていました。兄から「お前が来ないと親父が困る」って言われたんですよね。僕は父や家族のことが大好きだったので、それだったらしょうがないと思って、実家に帰るとにしました。