インターネットで漁業をアップデートする。
ルーツを感じながら生きる幸せ。

日本の漁業の課題解決に尽力し、各地で漁師団体の立ち上げなどを続けている長谷川さん。インターネットを通してたくさんの人を幸せにしたいとヤフーに転職し、東日本大震災をきっかけに東北に関わり始めました。その原動力となった想いとは。お話を伺いました。

長谷川 琢也

はせがわ たくや|日本の漁業をアップデートする
ヤフー株式会社CSR推進室東北共創に勤務。一般社団法人フィッシャーマン・ジャパン立ち上げ人。日本における漁業の課題解決に取り組む。

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誰だって自分より優れているんだ


生まれは東京ですが、小さい頃に何度か引っ越し、神奈川県横浜市のいくつかの町で育ちました。ニュータウン暮らしだったので自然と触れ合うことが少ないうえ、親戚も横浜や千葉など近くにいたので、地方への憧れがありました。夏休みが明けて、友達が真っ黒に日焼けした顔で「おじいちゃんの家に遊びに行ってきた」と言いながら、ふるさとのお土産を持っているのが羨ましかったですね。

羨ましかったのは、地方に居場所があることだけではありません。周りの強くて運動ができる友達に、常に劣等感を感じていました。3月生まれなので同級生より小さいし、病弱ですぐに体調を崩していたんですよね。おまけに運動神経は鈍くて、ボールは投げられないわ、走るのは遅いわ。か弱い少年でした。

自信がない分、誰に対しても「自分より絶対すごい」と思うようになりましたね。学校では、いじめっ子ともいじめられっ子とも別け隔て仲良くしてました。いじめっ子は強いのがかっこいいし、いじめられている子も何かに特化したオタク要素を持っていて、すごいと思っていたんです。いじめっ子の友達の一人から「お前はいつも中立だから、裁判官にでもなれよ」と言われたのは、強く印象に残っています。

劣等感の塊でしたが、生物学だけは得意で、学年ではいつも一位の成績でした。好きだったんですよね。誰にも負けないものが初めてできたことが嬉しくて、生物の道に進むと決めました。好きな学問を極めて、将来はノーベル賞なんか取って、世の中の役に立てたらいいなと思っていましたね。

ただ、遊びやアルバイトが忙しくて、大学では勉強から遠ざかってしまいました。イベント企画サークルやホームページ制作のアルバイトで手一杯でした。大学1年の時に「windows95」が発売されて、世の中にパソコンが普及し始めた時だったんですよね。WEBの知識がつくのが面白くて、大学卒業後は生物科かITどちらかに関わる仕事をしようと思うほどでした。そしたら、たまたま両方の事業をやってるベンチャー企業があって、その会社に就職しました。

プロデューサーってなんだろう?


入社してからは、社内研修担当や、人事で新卒採用担当をした後、エンジニアとしてクライアント先に常駐してシステム開発に関わりました。WEBサービスの開発や運用管理だけでなく、プロモーションにも関わりました。広告出稿先を決めて、バナー画像を作ったりしていましたよ。広告出稿先やクライアント企業との調整が多かったですが、ストレスはなかったですね。むしろ、いろんな人と関われるのが好きでした。

ただ、クライアントのサービスに関わるうちに、自分が主体となってサービスを作りたいという気持ちが湧いてきました。また、自分の立ち位置が中途半端だと感じていて、なんとなく「プロデューサーになりたい」と思ったんです。

それで、入社4年目に転職を決めて、イケてるプロデューサーがたくさんいるヤフーの採用試験を受けてみることにしました。採用されるとは思っていなくて、記念受験のつもりでした。しかも、面接当日に高熱を出してしまって、自分でも何を喋ってるか分かりませんでした。これはだめだろうなと思いましたが、どうしても聞きたかった「プロデューサーってどういう仕事なんですか?」という質問は面接官にぶつけてみました。最先端のインターネットの会社が何を考えているのか知りたかったんです。

すると、「プロデューサーは人を集めてお金を生む仕事だ」と返ってきたんですよ。すごくシンプルだけど、かっこいいなと思いましたね。

それを聞けてよかったと満足していたら、運良く面接に通って、そのまま採用されました。その質問の筋が良かったのかは分かりませんが、あとで聞くと、技術がわかる企画職が足りなかったそうで、どちらも関わっていた経験が評価されたみたいです。

転職してから、エンドユーザーへのクレーム対応から始まり、デザイナーやエンジニアとの間を調整するADのような仕事をした後、販促系の企画やシステムの企画やらせてもらえるようになりました。対象のサービスは変わりましたが、顧客獲得のためのキャンペーンがメインで、描いていたプロデューサーの仕事ができるようになりました。

プライベートでは、妻と一緒にバイクで日本中を回っていましたね。旅を通して、昔から好きだった日本の地方の雰囲気が、もっと好きになりました。お金をかけない貧乏旅で、旅先で野宿することも多かったんですが、そんなときにおじいちゃんおばあちゃんが助けてくれるんです。女の子が一人で野宿できるのって、すごいことですよね。どこにいってもみんな優しいし、ご飯は美味しい。日本の地方というか、日本全体がもっと好きになりました。

生と死を同時に受け止めた1週間


転職して2年経った28歳のとき、子どもが生まれました。親になる、子どもの命の責任を負うってすごいことで、幸せな気持ちに包まれていました。

しかし、子どもが生まれた1週間後、弟が亡くなりました。自ら命をたってしまいました。まだ高校生でした。

年が一回り離れていて、昔からすごくかわいがっていた子どもみたいな存在でした。すごくショックだったけど、親と妹は弟と一緒に住んでいたので、自分よりも一層喪失感を持っていて。親を慰める立場だし、なんとかしなきゃという気持ちが強かったです。一方で、弟の気持ちも考えることもあって、まるで中間の立場にいるような、不思議な感覚でした。

1週間という短い期間の中で、生と死を同時に、すごく手触り感のあるところで感じたのはとても大きな出来事でした。ドラマみたいにいろんなことが一気に起きてばたばた過ごしているうちに、鬱になってしまいました。何かの狭間に落ちちゃったんです。

その時はなんとか乗り越えられましたが、毎年5月の中頃になると色々考えてしまって鬱っぽくなるようになりました。涙が止まらなくて。だから、5月末から6月頭は調子悪いと自分で決めて、その時はなるべく仕事を入れず、休みをもらってのんびり過ごすようにしています。また、調子が悪いと思ったらすぐに休むとか、リラックスできることをするとか、ペースを整えることを心がけるようになりました。

おもしろい人たちと一緒に祭りを


仕事では、会員向けのサービスの立ち上げやサービスを横断したポイントプログラムの立ち上げなどを、プロジェクトマネージャーとして指揮しました。上司からの無茶振りが多かったんですが、いろんな人と調整しながら新しいことに取り組むのは面白かったです。

大きな成果も出して、部下も何人か任されて順調に仕事をしていたタイミングで、社内で大きな組織変更がありました。通販やオークションなど、それぞれのサービス毎に別れていた組織が統合されて、コンシューマー向けの大きな事業部になったんです。それまで、各部署同士は結構いがみあっていたし、雰囲気が良くない部署もあったんですよね。個人的には、仲が悪かったり、出世することに躍起になっている人がいるところでは、一緒に仕事はしたくないと思っていました。

すると、ある日上司に呼ばれて、一つの部署の部長をやれと言われたんです。全然嬉しくなかったですね。部長職の中で年齢も下から二番目くらいだし、それまでの仲間とも離されてしまって。しかも、任された部署はいわゆる“問題児”ばかり。本気で会社をやめようと思いました。

ただ、実際にどんな人がいるかは話してみなければ分からないので、まずは一人ひとりと話してみてから進退を考えることにしました。30人ほどのメンバーの中で、一番話しづらそうな人から始めようと思い、周りから特にやばいと言われていた「巨匠」と「鬼才」と呼ばれる二人のおじさんと面談しました。

ところが、いざ話してみると、趣味が合うことがわかって意気投合しちゃったんです。そんな調子で他の人とも面談していったら、楽しかったんです。この人たち、面白いじゃんって。

みんなやりたいことも能力もあるのに、周りからめんどくさがられたり、部署を転々とさせられている。それはすごくもったいないし、マネジメントに問題があると思いましたね。この人たちと何かやってやろう。そう思って、会社をやめるのをやめました。

俺たちに求められていたのは、「祭り」をおこすこと。サービスを横断した会社としてのキャンペーンを打つことで、いろんな企画をやりました。インターネットの会社だったので、それまではテレビCMもほとんどやってませんでしたが、テレビCMもやりました。できるだけみんながやりたいと思える仕事だけやってもらうようにしていたら、みんな元気になって、全体的に士気の高い雰囲気のいい部署になったんです。

インターネットで多くの人を元気にしたい


大きなキャンペーンで、テレビCMを一気に展開する予定だった日の前日、2011年3月11日に東日本大震災が起こりました。その日は、俺の34歳の誕生日でした。家族の誕生日は会社を休むようにしていたので、俺は家族で新潟のスキー場にいて、どれくらい大きい地震かはすぐには分かりませんでした。でも、宿に帰ってテレビをつけたら、もう大変なことになっていました。電話しても誰にも繋がらないし、東北の映像を見て、これはやばいと思いました。

朝、みんなに「おめでとう」と言われてすごく幸せな気持ちだったのに、一気に真逆の気分。突然家族を失うのがどれほど大きな喪失感があるか、痛いほど分かります。そういう人が、何万人もいるというのは、他人事には思えませんでした。

片や、Twitterなどでは、いろんな人が助けあっているエピソードがたくさん流れてきました。それを読んでいるだけで、自然と涙が出てきました。もともと、ヤフーに入ったときから、インターネットの力を使っていろんな人を幸せにしたい、日本を元気にしたいみたいと思っていました。インターネットには、場所にとらわれずに何かを実現する可能性があります。

でも、仕事をしているうちに、インターネットを金稼ぎの道具としてしか見なくなってしまいました。それに、インターネット上にあるのは誹謗中傷など嫌な書き込みばかりで、負の一面ばかり見るのがいやだなって思ってたわけです。

それが、震災をきっかけに、物資を集めて送ろうとか、お金を送ろうとか、助け合いのための情報で溢れていて。日本人の良さみたいなのが一気に広がっているのを見て、これだと思いました。俺がやりたかったのって、まじでこれだったじゃんって。

すぐに東京に戻って、自分たちにできることを始めました。当時の事業部のトップも、ヤフーにしかできないことを考えよう、ヤフーの中でもコマースにしかできないことをやろうと言ってくれて、すぐに動き出せました。

例えば、チャリティーオークション。いろんな芸能人が「オークションだったら何か貢献できるでしょ」と問い合わせてくれて、数日で何億円も集まりましたし、そこから出会いも広がりました。ビッグバンじゃないけど、何か動こうとしている人たちと一気に繋がって、東京でできること、自分たちにしかできないことを模索して実践しました。

震災から3ヶ月後には、石巻と南相馬に入って、炊き出しなどもしました。ただ、泥かきとか炊き出しって、俺にはピンとこなくて。体が弱いので、現場にいてもむしろ足手まといなんです。

自分の強みを使ってできることがないかと考えていた時、地元の人に「奇跡的に残ったものもあるから、情報発信をしながら売り続けたい。このままだと販路がゼロになっちゃうから」と言われたんです。それだったらできると思いましたね。会社の、インターネットの力を使って、被災地のものを売れる場所を作ろうって。それで、東北のものを扱う「復興デパートメント」の立ち上げに動き始めました。

チームを組んで日本の漁業を盛り上げる


本業の販促キャンペーンの仕事と復興支援の仕事を両立させるつもりでやっていましたが、1年経つ頃に組織変更があって、東北の仕事をやめて新しく立ち上がる大きなプロジェクトに入るか、東北の仕事を続けながら既存事業を回る仕事をするか、どちらか選ぶように言われました。どちらもやるのはだめだと言われたので、東北の仕事をやるために既存の仕事に残りましたが、「いつまで東北のことやってんだ」と周りでささやかれるようになってきて、どう続けて行くべきか悩んでいました。

そんなとき、それまで一緒に仕事をしてきた上司が社長に就任して、「復興支援室」を立ち上げるように言われたんです。うれしかったですね。周りからは左遷かと思われ、心配した母ちゃんからも電話が来て「社長と仲悪いのか」と言われましたけど、俺のことをよく知ってる人からすれば、水を得た魚だと言われました。

その後、入居者を探していた石巻の新聞社のビルの1階に「ヤフー石巻復興ベース」という拠点をつくらせてもらえることになりました。自分たちは東北に縁もゆかりもないし、ITのことしか知らない。例えば、遠隔で電話しながら「魚のネット販売をもっと強化した方がいいですね」なんて言っても、嘘くさいというか、説得力ありません。一緒に暮らしながら、自分たちにできることを探そうと思ったんです。

息子が小学1年生になったばかりのタイミングだったので、家族は一緒に来てくれないと思いましたね。でも、息子に聞いてみたら、「父ちゃん一人だとかわいそうだから一緒に行く」って言ってくれたんです。息子が背中を押してくれたお陰で、家族で移住することができました。

移住してから、情報発信と人材育成を掲げてコワーキングスペースを作り、色々な人との交流の中から学んだり、横の繋がりからプロジェクトを作ったり、コミュニティを育てたりしていました。

また、復興デパートメントで、生産者の開拓やPRをする中で、漁業との関わりが深くなっていきました。漁業系のプロジェクトを毎月することになって、インターネットを使った海産物のマーケティングがうまくいきはじめました。自分たちが間に入ることで、地元の人と都会の人のコラボレーション・共創が生まれるようになったんです。

一方で、漁師からは、日本の漁業全体の課題も聞かされ続けていました。日本では、漁師の数も、魚の水揚げ量も、日本人の魚の消費も右肩下がり。世界では逆に全ての数字があがっているのに、異常な状況。日本の漁業はかつて世界一で、世界に誇る漁法や魚食文化を持っていたのに、それが失われつつある。そのことに、漁師たちは震災前から課題意識を持っていたんです。

ただ、漁師だけではどうやって日本の漁業を盛り上げたらいいか分からない。それなら、チームを組んでみんなで課題解決をすればいい。そう考えて、ヤフーや石巻の漁師と一緒にフィッシャーマンジャパンという漁師団体を立ち上げることにしたんです。「臭い」「汚い」「危険」という3Kのイメージを払拭して、「カッコいい」「稼げる」「革新的」の新3Kを体現する漁師を目指し、様々な活動を立ち上げました。

大事な人たちにご恩を返しながら生きる


ヤフーに所属しながら、現在は、フィッシャーマンジャパンの活動に力をつぎ込んでいます。漁業の課題解決を目指して活動するフィッシャーマンジャパンは、ヤフーが掲げる「UPDATE JAPAN」というコンセプトに一致しているので、大手を振って今の活動に注力することができます。

フィッシャーマンジャパンが立ち上がって4年。震災復興からスタートしましたが、今は東北に限らず、全国でプロジェクトを進めています。漁業の課題は全国的に深刻で、東北は震災でゼロになってしまったから、新しい漁業を作ろうという流れが生まれただけ。東北をきっかけとして、この動きは全国に広がっています。

様々ある課題のうち、特に担い手不足や水産資源に力を入れています。産業として持続するには、漁師も魚も増やさなければなりません。また、新しい流通を作るために、消費者と生産者が接点を持てる居酒屋を経営したり、空港と組んで海外への輸出などもしています。

各地域の漁師団体も続々と立ち上がっています。全国の若くてやる気のある漁師のところにいって、良いチームを作って、やる気にさせて、うずうずさせといて、来るべき時がきたらみんなで旗揚げをしようぜ、という感じで進めています。地域を超えたネットワークがも増えていて、みんなが一気に立ち上がるしかるべきタイミングで、日本の漁業は大きく変わると思います。

漁業と無縁だったのにこんなに漁業の課題解決に力を入れているのは、漁師たちが大好きでたまらないからです。モチベーションはいつも人に対して。好きになった人がやりたいと言っていることは手伝いたくなるんです。漁師って世界最後の狩猟民族と呼ばれているくらい、みんな野蛮で面白いんです。野蛮というか、純粋で。感性のカタマリのような漁師たちに憧れてるんですよね。

もともと体が弱かったから男らしいところにも憧れるし、自分の地元に根ざしていることにも憧れる。昔から持ってたいろんなコンプレックスが、漁師と関わることで解消されたんです。

でも、実は俺の中にも漁師の血が流れていることが、最近わかったんですよね。ばあちゃんが漁師の娘で、じいちゃんも魚を売ったりする仕事を昔やってたそうです。自分の中にもルーツがあったんです。

何にもない俺が唯一できることだから、これからも漁業に関わり続けたいと思っていますが、体力的にいつまでできるのか不安もあります。もし続けられない時がきても、日本らしいものに関わり続けたいですね。銭湯とかお寺とか、昔から馴染みがあって、自分のルーツとも重なるようなことに関わりたいですよね。

なんでこんなに日本が好きなのか自分でも不思議ですが、ひょっとすると、取り柄がない自分にとって、「日本人である」というのは一つの特徴になるからかもしれません。「長谷川琢也の特色は、日本人であること」だと。日本人らしいことを語れたり、守ろうとしていることが嬉しいのかもしれないです。

漁業とか日本らしいこととか色々やりたいことはあるけど、俺はそれをヤフーの一員としてやりたいと思ってます。拾ってもらったご恩を返したいと思ってるから。今の自分の働き方が、先輩たちが引退する時の受け皿になったり、後輩にとっての一つの道になれるように、今やってることでしっかりと結果も出していきたいです。

結局、人生はいろんな人とのコラボレーション。俺の人生に影響を与えてくれた人って、頭にいっぱい浮かびます。そういう人の存在が自分の根っこになってるし、大好きな人と一緒に笑ったことや、泣いたりしたことを噛み締めながら生きてくこのは、すごく大事だと俺は思っています。言葉を交わしたり、触ったり、心を通わせたりするのって、人間しかできないこと。そこから生まれてることは大事にすべきだし、俺の行動や思考や信念は他の人によって生まれていると思います。

恩人が増えすぎてちょっと困ってますが、死ぬまで恩返しを続けていきます。

2018.05.25

インタビュー・編集 | 島田 龍男
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