鹿児島県の離島、口永良部島で育ちました。屋久島からさらに船で2時間30分程度の場所にあります。人口は300人程度の島で、大自然に囲まれていました。

遊ぶのは全て自然の中。大人が作り出したおもちゃが潤沢にあるわけではないので、遊ぶものですら自分たちで作ります。中学生くらいの先輩たちは、自分で作ったナイフを持っていて、それで釣った魚を捌くんです。

川でエビを取ろうと思っても、網が必要です。当然買ってもらえないので、打ち上げられている漁網をつなぎ合わせて自分で作ります。鳥を取るトリモチも自分で作りましたね。自分で考えて遊ぶことに、毎日ワクワクしていました。

両親は島外からの移住者だったので、この時代はよそ者扱いされることも多かったそうです。その状況に耐えきれなくて、僕が10歳の頃に家族で兵庫県に引っ越しました。

引っ越した先の学校は、1学年1000人以上いるマンモス校。僕のような田舎者は、いじめの対象になりました。方言を馬鹿にされ、机に画鋲をびっしり置かれ、しまいには机と椅子が教室からなくなりました。


その状況を先生も無視。先生いじめもひどい学校だったので、見て見ぬふりをしたんだと思います。

中学生になってからは、いじめに対して、嫌悪感というか、絶対に負けたくないという思いが強くなり、喧嘩ばかりするようになりました。学校では、完全に落ちこぼれました。父は絵描きで、家は裕福ではありません。学校の先生や親、同級生に対しての反抗心が積もり、完全に人間不信に陥りました。全ての人間が、自分にとって都合の悪い人間だと思いました。

父に怒られることは余りなかったんですけど、「人のせいにするな」ということは言われ続けました。人が生まれてから死ぬまでの全ての責任は自分にある。嫌な人間だと思われることも良い人間だと思われることも、全て自分の責任。人のせいにしないで、自分の人生に最後まで責任を持て。そんなことを言われました。

とはいえ、自分が望んで生まれた世界でもないし、いじめにあっている状況に対して、自分の責任だとは思えませんでしたね。