自然の素晴らしさを次世代に残し、伝えたい。
コミュニケーションの場が、新たな価値を生む。

「ロハス」をテーマに、様々なイベントやプロジェクトをプロデュースする秋元さん。建築インテリア業界のスーパーバイザーから、広告代理店のコンベンション事業へ。環境問題に強い関心を持ち、ロハスの考えに出会いました。人と企業と社会をつなぎ、新たな価値を生み出す背景には、どんな想いがあるのでしょうか。お話を伺います。

秋元 一宏

あきもと かずひろ|イベント・コンベンションプロデューサー
「オーガニックライフスタイルEXPO」などを主催する一般社団法人オーガニックフォーラムジャパンの代表理事を務める。 

漫画家を目指しデザインを学ぶ


栃木県の北部にある大田原市で生まれました。湧き水が懇々と流れて田畑を潤し、夏には蛍が舞い、朝露の光る庭には脱皮を終えたセミが飛び立とうとする。そんな景色が僕の少年時代の原風景でした。

幼い頃から、画家の父に連れられて、山や渓流などの那須の大自然と触れ合いました。自然が遊び場であり、学びの場でもありましたね。山の生態系に強い関心を持ち、昆虫や野鳥、小動物たちを観察することがとても楽しみでした。

私は両親と弟2人と一緒に暮らしていました。父は子どもにとても厳しい人でした。叱られるのが怖かったこと、人前に出るのが苦手だったこともあって、子供の頃は地味でおとなしい性格でした。

将来の夢は漫画家になりたいと、ずっと思っていました。物語を表現する漫画の力、読み返すほどに味がある、深いメッセージ性に強く惹かれました。

美術が得意でしたが、漫画家になんて絶対になれない、など両親から夢を否定され、弟とも比べられるうちに、「早く家を出たい」と反発するようになりました。

そんな背景もあり、中学卒業後は地元から離れた宇都宮の高校でデザインを学びました。ビジュアルデザインやプロダクツデザインなど専門的に学び、デッサンや伝統工芸の益子焼など実践重視のカリキュラムも併せて、発想力や表現力を磨くにはもってこいの環境でした。

新しい世界を知り、自由に行動できるようになったことで、おとなしかった性格も変わっていきました。人を笑わせたり、率先してリーダーシップをとるようになりました。

漫画家になる夢はあるものの、画家だった父を見ていたので、それだけで食べていく厳しさは知っていました。自分の得意なことで生計を立てるためにはどうしたらいいかと悩んでいる時に、担任の先生からインテリアの道があるとアドバイスをもらいました。お前が3年この業界で続いたら大したもんだ、なんて先生から言われ、絵だろうが家具だろうが、ものをつくることは好きなので、やってやろうという気になったんです。それで、学校にオファーがきていたインテリア会社の一つに就職を決めました。

ゼロから生み出す仕事が俄然面白い


就職先は、世界有数のテーマパークの内装などを請け負う、建築内装を一括管理する会社でした。入社後は資材部をはじめ、製材、塗装、金物、サイン、設計監理、特注家具など、すべての部門を回り一通り仕事を学びました。徹夜することもあり、仕事はしんどかったですね。25人いた同期も、翌年には7人しか残りませんでした。

色々な部門で仕事を学ぶうちに、インテリアデザインはすべての工程が分かるようになって初めてできるものだと知りました。当時は全体の工程を知る人材が貴重だったこともあり、私は現場を管理するスーパーバイザーとして活躍することができました。

漫画家になる道はもう考えていませんでした。お金を稼ぐこと、学びや経験を仕事に活かすことが大事だと思うようになったからです。何事にも時間をかけて下地をきちんとつくることが、仕事の道理だと考えていました。

25歳の時に、先輩に誘われる形で、スーパーバイザーとして独立しました。「いつまでも会社に使われるな」と言ってくれた先輩の期待に答えたかったんです。大手企業への出向や、様々なプロジェクトに携わる中で、インテリアデザインとは違った展示会のパビリオンブースの施工管理にも携わるようになり、徐々にコンベンションビジネスを知り、世界の広さや仕事の幅を知っていきました。

そんな中で、大手の広告代理店のコンベンション事業部と繋がりました。その会社が、展示会のパビリオンやモーターショーなどの現場のマネジメントが分かる人間を探していたこともあり、私の転職が決まりました。

コンベンションとは、企業の新製品の情報を発信する展示会や見本市、学会などの研究成果を発表する会議など、ヒト、モノ、情報などが一つのホールに集約し業界の商談をはじめとしたコミュニケーションの場を指します。コンベンションには各出展者ブースが設けられ、そこにたくさんの来場者が集まり、商談や情報取得、などソリューションの場として、様々な催しが行われます。

これまでやってきた建築内装の仕事は、与えられた予算内で組み立てる仕事、でも、コンベンションビジネスの仕事は、何もないゼロから生み出していく仕事、いかに企画がその業界にとって必要とする内容なのかが成功のカギとなります。

様々なコンベンションに携わる中、ついに出展者が1000社以上集まり、1億以上の予算が集まり、7万以上の来場者を迎える大きな展示会を達成できたんです。その業界のヒト、モノ、情報が一堂に介し、それぞれ様々な目的をもち交流し業界の発展につなぐ、こんなやりがいのある仕事は他にないと深く虜になりました。与えられる予算内でこなす仕事と、ゼロから生み出す仕事。リスクは大きいが生み出すほうが俄然やりがいがある。もうこれは前の仕事には戻れないと感じました。

生ぬるい日本が見えてしまった


広告代理店では、様々な展示会の企画営業を担当しました。建築現場のスーパーバイザーをやってきた肩書きや実績は、まったく通用しません。ゼロから営業の仕事を覚え、当時普及し始めたパソコンやソフトウェアについても独学で勉強しました。

毎日100件電話して、営業に回って、最初はしんどかったですね。でも、デザインの知識や、建築の現場に携わっていた経験が活きることもありました。営業の場で、相手の予算に応じて、すぐに目の前でパースという立体的な完成予想図を描いて「こうしませんか」と提案する、すると相手は喜んでくれるんですよね。柔軟に話を進められる人だと評価され、だんだんと案件を任せてもらえるようになりました。

ある時、廃棄物処理に関する大きな展示会を担当しました。そこで世界と日本のゴミ問題を初めて知ることになりました。ゴミ問題の深刻さは、学会などの専門的な領域で話されていても、一般の消費者には周知されていなかったんです。衝撃を受けましたね。こんなに深刻なんだ、このままだと自然環境は本当に大変なことになってしまう、と。

コンビニが普及し、消費者の利用も増えることで、包装などのゴミが増えていきます。その一方で、廃棄物処理の業界は、処理プラントの誘致で盛り上がっていました。このままではゴミは増えるばかりで、相当まずい状況になるのではないかと思いました。

世界各国では問題意識を持って様々な取り組みをしているのに、日本社会は深刻な問題に目を向けず、自分たちの便利さと豊かさだけを求めていく。生ぬるい日本が見えてしまったんです。

栃木の田舎で生まれ、子供の頃から自然が大好きだった私にとって、自然が失われるなんて絶対にあってはならないことでした。何かしなければと、いてもたってもいられなくなりました。

ロハスとの出会い


環境破壊を防ぐために、自分には何ができるか考えました。ちょうどその頃にSNSが登場し始め、個人が簡単に自分のページを作成できるようになりました。私も自分のページを作り、ゴミ問題や環境破壊の深刻さ、私たちができることについて、メッセージを発信しました。でも、結局それが社会的に影響することはなく、自己満足でしかなかったんです。

他にできることを考えた時、自分なら「人のコミュニケーションの場」をつくれると気がつきました。人と企業と業界、さらには国と国をつなぐコミュニケーションの場で、環境問題を提議し、解決策を表現する。自らコンベンションをつくろうと考えました。

そんな時に、「フューチャー500」というNPOに出会い、日本に初めて持ち込まれた「ロハス/LOHAS」を知りました。ロハスとは「Lifestyles Of Health And Sustainability」の頭文字「LOHAS」で、 地球規模の環境と人の健康を重視する持続可能なライフスタイルの総称です。米国で生まれたマーケティング用語です。

「持続可能なライフスタイル」という切り口に衝撃を受けました。その頃「持続可能」や「ライフスタイル」といった言葉は、世間であまり使われていなかったからです。また、環境問題なんてテーマは専門誌で取り上げられるくらいで、一般生活者には硬い内容で耳を傾けてくれない内容が一般的でした。「ライフスタイル」は消費者への浸透性も高く、世の中に価値をうまく伝えられると思いました。

さっそく、ライフスタイルと環境問題を様々な切り口で発信する企画を立て、社内でプレゼンを行いました。でも、全く相手にされなかったんです。「自分で勉強する分には良いね」など役員幹部に言われる程度でした。自分はこれからどこで何をしていくべきなのか。そんなことを考えるようになり、10年続けた会社を辞め、37歳の時に「ロハスワールド」という任意団体を立ち上げました。

最初に取り組んだのは、無料会員制のwebサイトを作り、ワークショップや企業紹介、フェスなどロハスの考え方を発信することでした。すると、年を追うごとに会員数が増えていき、インターネットの検索数でも、「ロハスワールド」がトップにあがるようになったんです。いろいろプロジェクトを立ち上げる中で、2006年にサンタモニカでのロハス国際会議に参加し海外と日本の意識の差を目の当たりにしました。日本はライフスタイル視点での環境問題は全然取り組まれてないと感じました。新たな業界を立ち上げるべきだと認識した時でした。

人や企業と協力しながら、環境問題のソリューションとなる新しいプロジェクトを生み出していく中で、時には騙され大きな失敗をすることもありました。一緒にビジネスを起こしても、お金だけの関係で何のアドバイスももらえない。そういった人たちとの付き合いには苦しみましたね。物事のすべてはコミュニケーションが生むものなので、そこにはとても気を使っていました。

自然の素晴らしさを残す、伝える


現在は、「ロハスワールド」の代表として、イベントやコンベンションのプロデュースを行っています。2016年には「オーガニックライフスタイルEXPO」を主催する「一般社団法人オーガニックフォーラムジャパン」「一般社団法人エシカルビューティー協会」も立ち上げました。

コンベンションをつくることによって、コンサルティングや市場規模の拡大に繋げ、業界の底上げを行っています。食、ファッション、住宅、代替エネルギー、地域再生そして未来を担う子供たちのために、など、様々な世界をロハスの横軸でつなぎ、世の中へ新しい価値を発信しています。

いつか、ロハスライフスタイルをメインストリームにすることが僕の使命なんだと思います。そのためにも、展示会や国際会議など各プロジェクトの規模を大きくしていきたいですね。

取り組みの一つとして、エシカルファッションというジャンルがあります。エシカルとは、「道徳、倫理上の」という意味。良識にかなって生産、流通されているファッションを指します。例えば、シングルマザーが作ったアクセサリーなどをフェアトレードで販売するなど、デザインから流通までを繋ぐビジネスです。

他にも、美容師がオーガニックライフスタイルを発信するプラットフォームをつくりました。美容業界はとてもケミカルです。でも、美の追求は外側をケアするだけではなく、内側からすべきことが多いと思うんです。オーガニックプロダクトの開発販売、イベントやセミナーなどを通じて、魂からナチュラルなこと、人を大切に思うマインドを社会に伝えています。

私の活動のベースには、「自然の素晴らしさを残し、伝えたい」という想いがあります。人間は自然の中で生かされています。でも、テクノロジーが発展し、便利になっていく暮らしの中で、人々はそのことを忘れているんです。

様々なツールが普及し、人と人のコミュニケーションも気薄になっています。人が自然とともに生きることで、人間が本来持っている第六感を大切にすること。豊かなコミュニケーションで社会を築くこと。そういった大切なことを次世代を担う子どもや若者に伝えたいんです。

時代とともにロハスという言葉は忘れられていきます、しかし表現は変わってもロハスの価値は高まっていると思います。震災が起こり、原発への不安が生まれ、社会が作ろうとしてきた「豊かな暮らし」の脆さが浮き彫りになりました。国家間の情勢が不安定となり、いつまた争いが起こってもおかしくない時代。そんな中で、一番大事にすべきものは何か、人々は気づき始めてきたのではないかと思います。

ロハスは、私たち人間が地球に対して、優しい気持ちを持つための大切なメッセージを伝えているんです。どんなに些細なことでもいいから地球の事、自然環境を意識する事が第1歩だと思います。まずはこれからの10年に向けて、ロハスをテーマに更に様々な形で、人と企業と社会をつなぐコミュニティの場を構築していこうと思います。

2017.12.28

秋元 一宏

あきもと かずひろ|イベント・コンベンションプロデューサー
「オーガニックライフスタイルEXPO」などを主催する一般社団法人オーガニックフォーラムジャパンの代表理事を務める。 

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