山梨県の甲府市で生まれ、3歳の時に父の仕事の都合でシンガポールに引っ越しました。4歳の時に水泳を習い始めてから、泳ぐのが大好きになり、いつも泳ぐ時間を楽しみにしていました。

小学校、中学校は日本人学校に通っていました。内向的で、積極的にみんなをひっぱるタイプではなかったです。グループを組んで行動する時も、裏方でリーダーの補佐をしたり、皆の意見を聞いて上手く調整したりするのが性に合っていました。

小学校高学年のとき、授業で第二次世界大戦について学びました。教科書を読むだけでなく、実際に戦争を体験したシンガポールの人に会って、日本をどう見ているか、戦争で日本軍に何をされたか話を聞きました。

その中で、シンガポール人は戦争で日本軍に占領され、ひどい扱いを受けた面があると知りました。教科書から学ぶ歴史よりも、戦争で受けた痛みや苦しみを持つ人たちが話す歴史は重く感じ、ショックを受けました。

シンガポールの若い世代は日本のファッションや音楽が好きで、日本に親しみを感じてくれていました。でも、戦争の歴史をよく知る年配の世代は、日本に対していい印象をもっていない人も多かったです。人によって日本人への印象が違うので、自分の日本人としての立場や役割をよく考えるようになりました。

そんな中、「人生の成功は、自分が何ができるのかを見つけ、磨き、どれだけ世の中に還元できるかにかかっている」という言葉をある人から聞きました。なるほどなと納得しつつ、自分にできることは何か、将来何をすべきか答えが見つからず、悩むようになりました。日本人として何をすべきか、周りの人たちに何が還元できるのか、揺れるアイデンティティの中では、答えが出ませんでした。

悩んでいるのを両親に相談しました。母は「人間には使命があって生まれてくる。私はあなたを産むのが使命だった。あなたも自分の使命を見つけて、それを貫いて」、父は「何をやってもいい。最後に責任をとるのは自分なんだ」と言ってくれました。両親は僕を子どもとしてではなく、一人の人間として尊重してくれていると感じ、背筋が伸びるような気持ちになりました。

その時はまだ自分の立場や役割を見つけることはできませんでしたが、これからは、周りからどう見られているのかで決めるのではなく、自分のやりたいこと、使命を見つけて、それを貫こうと思いました。