挫折から得た、幸せを選択できる自信。
過去の経験を捉え直し、人生を前に進める。

フリーランスのキャリアカウンセラー、インタビュアーとして、キャリア支援を行う星野さん。大学を中退した経験から、人生の大きな選択のサポートをしたいとキャリア支援の道に進みます。過去の出来事を捉え直して良い未来を選ぶためのカウンセリングをする中で、大切にしていることとは。お話を伺いました。

星野 智佳子

ほしの ちかこ|人生の物語を編みなおすキャリアカウンセラー
あみものがたり 代表(個人事業)。キャリアカウンセラー・インタビュアー。大学卒業後、保育園運営会社を経て、キャリア教育NPOに転職。バックオフィスを担当しながら中学~大学生のキャリア支援も経験。6年弱勤めた後退職し、フリーランスとしてキャリア支援に携わる。

【2017年10月30日イベント登壇!】 自分らしく「やりたいことをやる人生」を切り拓くために出会うべきコトとは?

コミュニケーションがうまく取れない


大阪で生まれ三重で育ちました。兄と妹の3兄妹で、教育熱心な両親のもとで育ちました。

小さい頃から、学校では孤独を感じることがよくありました。きっかけはわからないけど、仲が良いと思っていた友達から急に距離を置かれることが何度もあったんです。裏切られたような気がして、そういうことがいくつか重なって、友達を心底信頼できなくなりました。人にどう関わっていけば良いのかわからなくなって、小学校3年の時から、一部の男子に攻撃的な態度をとるようになりました。

攻撃的な自分が嫌いで、明るく優しい人でいたいと思い、中学入学を機に、自分を変えようとしました。それでも、同じ小学校の人が多く、攻撃的な私が知られている環境で、急には変われない。明るく優しい人になりきれませんでした。

周りとのコミュニケーションの仕方がわからなくて、仲のいい子以外とほとんど喋りませんでしたね。授業中も休み時間も寝ていて、授業が終わったらすぐ塾に行く。友達と遊ぶことがほとんどない学校生活でした。

将来のことを考え始めたのは、小学校6年生の時です。寂しい思いを抱えていたことや、いじめの問題に関心を持っていたこともあって、いじめに関する本を読んだんです。そこで、心理カウンセラーの存在を知りました。心理カウンセラーはいじめにあった人や孤独な人を助ける仕事だと知って、なんとなく将来はそんなことがしたいなと思いました。孤独を抱えたさみしい人に、安心できる場を提供できる母のような人になりたいと考えたんです。

中学卒業後は、兄が通っていた奈良にある進学校に進みました。私のことを誰も知らない学校に行けば今度こそ変われる、そして自分を好きになれるんじゃないかと思いました。私の学力では難しいと言われましたが、受験勉強を頑張りました。

高校では、自分のことを好きになりたいと、何があっても笑って、明るくいることだけを心がけました。私の中で友達がたくさんいる人はいつも笑っている人だったからです。おかげで友達はできたし、楽しい高校生活でした。

将来について、心理カウンセラーへの憧れはありましたが、心理学を専攻しても将来仕事に繋げられないのではないかと勝手に思い込んでいました。そんな時、先生から「関西の名門大学と医療短大が統合して、看護科が新設されるから受けてみないか?」と声をかけられました。

看護学科に進めば将来の仕事も困らないし、心理学も勉強できるだろう。そんなことを考えて受験し、京都の大学の看護科に合格しました。

ひきこもりの末、大学中退・再受験へ


大学では、授業に全くついていけませんでした。学びたかった心理学の授業はほとんどなく、興味のない人体構造を覚えなければならず、苦行でしたね。そもそも看護師になりたいわけではなかったと気付きながらも、大学に通っていました。その結果、1年生にして留年が決まりました。

心の拠り所はサークルでした。海外インターンシップ事業を運営する学生団体に入ったんです。最初はすごく楽しかったですね。イベントに協賛してもらうために、スーツを着て名刺を持って企業に行ったり、課題意識を持って活動している先輩と一緒に動いたり。勉強しかしていなかった私には未知の世界で刺激的でした。

憧れの先輩達の役に立ちたいと思って、いろいろな先輩のサポートをしました。それでも、先輩からは意志がないように見えたのかもしれません。ある先輩に「もっと主体的に動けば見える世界は変わるよ」と言われました。

この言葉で、私は何がしたいんだろう、何をすればいいんだろう、「主体的になる」とはどういうことなんだろうと悩んで、サークルに行きづらくなりました。

そんなこともあって、2年生から、だんだん大学にも好きだったサークルにも行けなくなり、居場所がなくなって、何もやる気が起きなくなりました。朝起きて大学に行く準備をするんですけど、家から出られなくてそのまま寝るんですよ。ダメだとわかっているんだけど、体が動かないんです。

何も深く考えられなかったですね。なんで生きているんだろうと自分に問うんですけど、答えが出なくて、思考が停止していました。

そんな生活が半年ほど続き、ボロボロな心のまま、夏休みになりました。実家に帰省し、そこで初めて親にやめたいと言ったんです。話しながら涙が止まりませんでした。最初は反対していた親も、泣きながら訴える私を見て、休学を許してくれました。

一人暮らしの家を引き払い、実家暮らしが始まりました。朝起きてご飯を食べて太陽の光を浴びるという、健康的な生活に戻ったことで心が復活していきました。いろいろ考えられるようになり、別大学への入学を考え始めました。興味があった国際協力を勉強するため、商学部を目指すことにしたんです。自宅浪人して私大の商学部に合格、元の大学は中退しました。

私にとっての幸せは孤独と共にある


2回目の大学生活は楽しかったですね。入ったゼミもおもしろかったです。3年生の夏に全員が海外で研修かボランティア活動をすることが必須で、活動に向けて、授業内容を学生が企画します。主体的に動くとはどういうことか、ここならわかるのではないかと思いました。

ゼミの同期には、ブラジルに1年間留学して帰国したばかりの人がいました。彼からブラジルのホストマザーの話を聞いたんです。自分の子どもを育てながら、養子を迎え入れ、外国人ボランティアのお世話もしているパワフルな女性で、世界各国のボランティアから「お母さん」と慕われている人でした。まるで私が中学の時に憧れた、安心できる場を与える母のような人だと思いました。

それで、会わなきゃいけないって直感で思って、ブラジルに行くことを決めたんです。実際会ってみると、聞いたとおり、一緒にいると安心できる人でしたね。彼女の家にホームステイして、彼女が働くスラムで活動する団体の中の保育園でボランティアをしました。

彼女の元に2週間滞在し、その後の2週間を、赤道近くの自然あふれる小さな村で過ごしました。そこでボランティア活動をする中で、思いがけない発見をしたんです。

ある日の夕方、学校が終わった子ども達と日本人ボランティアが輪になってボール遊びをしていました。私は言葉がわからないし、楽しそうなみんなを周りで見ていたかったので、輪の外から眺めていました。彼らを客観的に眺めていた時、幸せというのはこういうことなのかもしれないと思ったんです。

子どもたちが幸せそうに遊んでいるのを外から見守っている役割。私がなりたかった安心感を与える母のような存在とはこのことだと、直感しました。

みんなの輪に入らず、外から見ている状態って、孤独を感じるんです。でも、それが「母のような存在」の役割だとしたら、孤独に囚われるのではなく、あるものとして受け入れて付き合っていこうと思ったんです。そう気づいたら、小中学校のころから抱えてた孤独から解放された感じがしました。

人生の選択をサポートしたい


大学卒業後は、ご縁があった保育園の運営会社に就職し、経理を担当しました。会社ではすごく親切に業務を教えられるんですが、マネジメントの仕方が私には合いませんでした。今日はここからここまで仕事をやってほしいときっちり決められていて、正直窮屈でしたね。

そんな時、腰を壊してしまったんです。15分以上椅子に座っていられなくなって、パソコン作業がメインだから続けられないかもしれないと思いました。このまま体を壊して仕事ができなくなるなら、今辞めて次の仕事を探したほうがいいと思い、退職しました。就職活動をしながら、どうせ体が壊れるくらい働くならやりたいことをやろうと思いました。

その時に浮かんだのは、人生の大きな選択をサポートしたいという想いでした。私は一度目の大学が自分に合わず苦しい思いをしました。でも、もっと前に考える機会があれば違っただろうなと思ったんです。そういえば、そんなことをやってる団体があったなって思い出したんです。

それが、キャリア教育NPOでした。大学生を中心とするボランティアスタッフが高校に出張するキャリア学習プログラムを行っている団体です。当時ボランティアの募集しかしていませんでしたが、職員として働きたいとメールを送ったら、面談をしてくれて職員になることができました。

気づきが生まれる過程は宝探しのよう


キャリア教育NPOでは仕事に夢中になりました。高校生が、大学入学前に将来を考える機会があったらなという私の想いと、団体の理念が一致していて、やってることも面白い。社会の役に立つ喜びを感じました。尊敬できる上司もできて、文句のない環境でしたね。

3年くらい経って、キャリアカウンセラーの資格を取りました。世話を焼くのが好きで、ボランティアの大学生の相談にのっていて、1対1で話を聞くことが楽しかったんです。自分がいかに良い問いを投げかけるかによって、相手の気づきが生まれるじゃないですか。相手が「自分はそういうことを考えていたのか!」とか、「そういう考え方もあったね!」って気づく瞬間があって、一緒に宝探しをしている感覚でした。そういえば、小学生の頃から私がやりたいことってカウンセラーだったなって思い出したんです。

それから、だんだん私のやりたいことと、NPOの目指す方向にずれが生じてきました。NPOでは「生き抜く力を、子ども・若者へ」と謳っていますが、その対象は10代です。一方で私は、20~30代のキャリア支援をしたいと思いました。対話をしながら、その人の人生を振り返ってやりたいことを見つけだすとか、そういうことをやりたいと考えるようになり、退職が頭に浮かぶようになりました。

でも、そのNPO以上にいい職場は見つからないだろうって思っていたんです。だからNPOの中で近いことが実現できないか1年間考えました。でも、やっぱり難しいかなと思って退職することにしました。

退職後、転職か独立か迷って、キャリア支援をしている企業に話を聞きに行きました。いくつか企業に足を運びながら、自分のやりたいことと完全に一致する場所はないなって思ったんです。それに最初は同じでも、ずれていく場合もあります。

大好きなNPOを辞めてまで自分のやりたいことをやるんだから、本当にやりたいことをできる、独立がいいと思いました。他の企業だと妥協になるんですよね。それで、フリーランスのキャリアカウンセラーとして独立しました。

より良い未来のために過去を捉え直す


現在は、フリーランスでキャリア支援をしています。キャリアカウンセリングの仕事の他、2つのウェブメディアでインタビューと記事の制作をしています。

カウンセリングでは、現在の課題を解決するだけでなく、過去の経験と現在と未来がどう繋がるかを意識しています。必要に応じて、過去の経験と今を繋ぎ直しています。もともと人は過去を無意識に編集しているものなので、部分的に編集し直すお手伝いをするイメージです。

例えば「自分なんて」という自信のなさは、多くが過去の経験からきているので、過去を整理し、捉え直すことで、前に進めるようにしたり、良い未来を選べるようにサポートしていきたいですね。

活動のベースになっているのは、自分の経験です。私は大学まで普通のレールに乗ってまっすぐ進んできたけど、大学中退で一回レールを外れました。それは、初めて自分の心に従って決めたことでした。そして、その後の大学生活を満足するものにできたことで、自分で選んだ道で幸せを掴み取れる自信が生まれたんです。どんな道を選んでも、また選び直せるし、それを正解にもできる。そう思ってキャリアを支援しています。

これからは、個人の事業である「あみものがたり」でサービスを作り、展開していきたいですね。屋号の「あみものがたり」の由来は、「物語を編む」です。人生のストーリーを自分自身で編集していく。そういう視点を持って、より良い未来を自分で創っていけるようになる。そんなサポートをしていきたいですね。

2017.10.02

星野 智佳子

ほしの ちかこ|人生の物語を編みなおすキャリアカウンセラー
あみものがたり 代表(個人事業)。キャリアカウンセラー・インタビュアー。大学卒業後、保育園運営会社を経て、キャリア教育NPOに転職。バックオフィスを担当しながら中学~大学生のキャリア支援も経験。6年弱勤めた後退職し、フリーランスとしてキャリア支援に携わる。

【2017年10月30日イベント登壇!】 自分らしく「やりたいことをやる人生」を切り拓くために出会うべきコトとは?

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