人生を謳歌する人を増やすための学校づくり。
スペインで夢を追い続けた後の、次なる挑戦。

【Teach For Japan協力:民間出身教員特集】人生を謳歌する日本人を増やすために、「教育」に目を向け、その一歩目として小学校教員として教育現場に入った中原さん。将来は学校を作ることを目標として、様々な活動に取り組んでいます。サッカーで挑戦を続け、スペインの1部リーグまであと一歩と迫った選手の道から、教育の世界に目を向けるにはどんなキッカケがあったのか。お話を伺いました。

中原 健聡

なかはら たけあき|人生を謳歌する人を増やす
将来学校を作るため、現在は小学校で教師として働く。

※この特集は、Teach For Japanの協力で提供しました。
全ての子どもが成長できる「教室」。Teach For Japan

サッカーをするために高校進学を決める


私は大阪で生まれ育ちました。小学2年生の時にサッカーを始め、すぐに夢中になっていきました。しかし、途中からミスをして怒られることに萎縮するようになって、サッカーを純粋に楽しめなくなっていきました。

そのため、小学校卒業のタイミングでサッカーをやめることにしたんです。中学校では部活には入らず、やんちゃなグループに所属し、授業にもあまり出なくなりました。高校にも進学する気はなく、中学校を卒業したらアメリカに渡り、プロレスラーになろうと考えていたんです。

ところが、2年生の時に日韓ワールドカップが開催されると、サッカーへの気持ちが溢れ出てきました。やっぱり、サッカーが好きだったんです。

しかし、今さらサッカー部に入れないし、もしもプロレスラーになるためアメリカに渡ったら、当然、サッカーはできなくなる。そこで、高校に進学することを決めました。

私は母子家庭のため、決して裕福ではなかったので、志望校は公立高校に絞っていました。そして、周りの仲間にばれないように勉強を始めました。

すると、私の状況を察した数学の先生が、放課後にこっそりと勉強を教えてくれたんです。その先生は「中原が高校に受からなければ、俺は教師を辞める」とまで言ってくれました。この先生を辞めさせるわけにはいかないと思い、英語や国語など他の教科も必死に勉強するようになりました。

そして、無事に高校に合格することができました。先生の思いに応えられてほっとした一方、それ以上に「これで高校でサッカーができる」という思いがこみ上げてきて嬉しかったですね。

夢に挑戦していない教師にはなれない


高校入学後は、ひたすらサッカーに打ち込み、将来もできることならプロ選手としてサッカーを続けてきたいと考えていました。

ただ、3年生の時に赴任してきたサッカー部の顧問の先生には、教師になることを薦められたんです。もしプロになれなかったとしても、部活動の指導をしたり、教員チームでサッカーを続けられると。

また、顧問の先生の母校である大阪体育大学は、全国でも有数のサッカー強豪校。選手として、その環境の中で、どこまで通用するか挑戦したいという気持ちも湧いていきました。そこで、大阪体育大学を目指すことにしたんです。サッカー選手になる夢が叶わなかったとしても、教師としてサッカーを続ける道を残そうと考えていました。

そして1年間、勉強・サッカーの練習・アルバイトの3つに打ち込む忙しい浪人生活の末、無事、志望校に合格することができました。ただ、合格は通過点でしかないと思っていたので、すぐに私の気持ちは、サッカー部の中でトップになることに向くようになりました。

サッカー部には、日本全国から優秀な選手が200人ほど集まっているのですが、まずはAからDの4チームに振り分けられます。その中で、私は一番下のDチームからのスタート。最初は、監督やコーチからまったく相手にされませんでした。

それでも、毎日ひたすら練習を積み重ねていきました。すると、4年生の時にはBチームにまで上がることができたんです。しかし、Aチームとして試合に出る目標には届きませんでした。

そのため、卒業後は、プロになることは諦め、教師になろうと考えていました。ただ、サッカー中心の生活が終わってしまうことは寂しく感じていました。

その時、「日本で評価されないからといって、世界で評価されないとは限らないのでは?」という考えが頭によぎったんです。そして自分のサッカーへの思いに決着をつけるためにも、どうせなら、世界最高峰のサッカー選手が集まるスペインで挑戦してみることにしました。

また、いつか教壇に立つ時、自分の夢に向かって「挑戦をしていない自分」と、結果はどうあれ「挑戦をした自分」とでは、子どもたちに伝えられることは違うだろうとも感じていました。そこで、大学卒業後はスペインに渡ってサッカー選手を目指すことに決めたんです。

失敗を恐れるのでなく、個性を見せなければ通用しない世界


その後、8ヶ月間必死にアルバイトをして140万円ほど貯めて、2011年にスペインに旅立ちました。スペインリーグでプロになり、欧州のチャンピオンズリーグで優勝し、日本代表に選ばれてワールドカップで優勝することを目標とし、そのためには期間は決めずに挑戦しようと考えていました。

最初はひたすらグラウンドに行って、サッカーチームを見つけては、「ここでプレーさせてくれ」と頼んでいきました。つたないスペイン語で自分のポジションや経歴を伝えて、履歴書を渡すんです。しかし、返事は決まって「Lo siento(ごめんな)」でした。

それでも粘りに粘り、1ヶ月ほど色々なチームに声をかけ続けると、なんとか練習に呼んでもらえることができました。「やっと自分のやりたかったことができる」とワクワクが止まりませんでしたね。

しかし、当日練習に行くと、トップチームではなくユースチームの練習に入れられることになりました。そして、練習が終わった途端に、「もう終わり、次はない」と言われました。

この時は、「とにかくミスはしたくない」「少しでも上手く見せたい」とばかり考えてしまい、選手としての特徴を見せることができなかったんですよね。自分の個性がチームにどんな貢献をもたらすのかイメージさせることができなかったら、見知らぬ日本人をチームの一員にしてくれるはずもないのに、それを理解できていなかったんです。それからは、弱点を見せないようにするのではなく、自分の個性や強みを見せつけていこうと考えるようになりました。

その後も、粘り強く挑戦を続けると、次第にチームに所属してサッカーができるようになりました。そして、スペイン4部リーグ、3部リーグ、2部リーグBと、様々なチームに所属する機会に恵まれました。

夢を持てない日本の子どもに対して危機感を感じる


そんな経験をしていたので、一時帰国した時などには、日本の学校から講演会に呼ばれたりすることが増えていました。しかし、日本の子どもの口からは「夢がない」という言葉がよく聞こえてきて、悲しい気持ちになってしまったんです。

教育上、「夢を持つな」なんて言われていないはずなのに、なぜそうなってしまうのか。それはきっと、メディアなどで触れる情報も含めて「子どもと関わる大人」の影響なのではないか。そう感じました。

スペインで暮らすことで、日本は可能性で溢れている国だという実感もあったので、その違和感をより強く感じたんです。

例えば、日本では医者も弁護士も教師も、ほとんどの職業でその仕事に就いた前例があります。つまり、倍率的にどんなに可能性が低くても、なるための道順があるんですよね。こんなことって他の国ではありえないことで、チームメートのナイジェリア人からは、「教師になれるならすぐになった方がいい」と言われたほどです。彼の育った街には自国の人が建てた学校はなく、教師がいても外国から来た人でしたから。

また、スペインにも、職業を選ぶことができずに、ゴミ漁りや、仕方なく生きるために強盗をする子どももいました。それに比べて日本はどうか?生きていくための選択肢や可能性がたくさんあるのに、勝手に限定してしまって、夢を追いかけたり、人生を楽しもうとしていない。本当にもったいないことだと感じました。

そんな事実を目の当たりにするうちに、「人生を謳歌する日本人を増やしたい」と新たな目標ができました。そして、夢に挑戦している自分の姿を見てもらい、日本人の心に、何かを考えてもらうためのきっかけを与えたいと思ったんです。

そこで、一番大きなインパクトを与えるために、2014年ワールドカップで優勝することに照準を合わせました。そして、2014年1月にスペイン1部リーグのチーム「セルタ・デ・ビーゴ」のトライアルを受ける機会が与えられました。これに受かれば日本代表への道も開かれる。身体的にも精神的にも最高のコンディションで臨み、絶対に受かったと思いました。

しかし、結果は不合格。この時、単純に自分の実力が足りないことを痛感しまし、このタイミングで日本に帰ろうと決めたんです。今の目標は、日本で人生を謳歌する人を増やすこと。そのためには、他にもできることがある。サッカーという手段にとらわれすぎて、本当に実現したいことに取り組めずに人生が終わってしまったら後悔すると思ったんです。

理想の自分を追い求め続ける基礎となる学校を作る


帰国してから、自分の力で学校を作りたいと考えるようになりました。その方が、一教師として子どもに接するよりもずっと影響が大きいと。日本の義務教育は、飛び級も落第もない9年間です。その9年間一貫して教えられる小中一貫校を作り、「なりたい自分」に向かって成長し続ける力を習慣化すればいいと考えたのです。

そのため、帰国後1年ほど母校の大阪体育大学で職員をしながら、学校を作る方法を調べつつ、人脈を広げていきました。その後、2015年4月からは、小学校の教師として働き始めました。

どんな学校を作るか考える上では、現場で働くことが重要だと思ったんです。教室で子どもに何もできなければ、学校を作って、夢を持てる子どもたちを育てるなんて実現できるはずがありません。まずは自分自身が教師として子どもたちに影響を与えられるように、成長する必要があると考えています。

子どもたちと触れ合うと、その可能性は無限大であると実感しています。半面で、その分、子どもと身近に接する大人には大きな責任があるとも感じます。子どもたちは「未来」そのものですが、彼らのための「時代」を作っていくのは、私たち大人の役目だと思っています。

今私は、子どもたちには、自分がなりたい姿を実現していくための「学力」を身につけて欲しいと考えています。学力とは、今までの教育で教えられてきた算数や国語といった教科の力だけではありません。夢を掴み取るために、何をすべきか考える力、そのために人を巻き込んでいく力、そして一歩踏み出す勇気など、全てを含めた力です。日本はこれから、今とは大きく違う社会になっていくと考えられるので、その社会の中で子どもにとって一番大切な力とは何か再定義して、教育の現場で伝えいく必要があります。

教育の現場ある程度で経験を積んだ後は、学校を立ち上げる力をつけたいと考えていますし、学校法人を作るには大きな資金と人材とが必要なので、私の夢に共感してもらえる人も探していきます。

私は死ぬ瞬間に一切の後悔を残さないように、人生をやりきるつもりです。自分が目指す姿に向かって、これからも挑戦し続け、成長を止めずに歩んでいきたいと思います。

2015.09.10

中原 健聡

なかはら たけあき|人生を謳歌する人を増やす
将来学校を作るため、現在は小学校で教師として働く。

※この特集は、Teach For Japanの協力で提供しました。
全ての子どもが成長できる「教室」。Teach For Japan

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