大切な想いをラブレターに乗せて伝える。
「やりがい」という言葉でごまかさない人生を。

現在、IT企業で勤めながら、個人でも想いを「伝える」ことを軸としたサービスを提供する「デンシンワークス」を運営する小林さん。35歳にして「人生の終着点」を意識した時に一体何を感じたのか?ITエンジニア、MBA、人事と様々なキャリアを経てきた小林さんにお話を伺いました。

小林 慎太郎

こばやし しんたろう|想いを「伝える」ためのお手伝い
IT企業で管理部門の部長を務めながら、プレゼンテーションの指導やラブレター代筆等、想いを伝える事業に特化したデンシンワークスを運営する。

仕事は基本的には苦しいもの


私は東京で生まれました。極端な性格で、興味を持つものとそうでないものがはっきりとしていて、小学5年生の時に父から夏目漱石の『こころ』を勧められてからは読書が好きになりました。古本屋めぐりをするようになり、小学生ながら1人で神保町の古本屋を回っていました。

学校では運動も勉強もバランスよくそれなりにできる方で、高校は進学校に進み、立教大学に進学しました。大学ではスキーサークルに入り、テレビ局でアルバイトする生活を過ごし、卒業後はITであれば職に困ることはないだろうと、システムインテグレーターの企業に入社しました。将来やりたいことなんて考えていなく、なんとなく周りと同じように過ごしていたんです。

また、仕事は楽しいものではなく基本的には苦しいもので、生活するのに必要な作業だと考えていました。プログラマーとして働き始めてからも、基本的には上司に言われたことをするだけの日々でした。

とは言え、仕事内容としてはコードを書くよりも設計に近いことをしたいと考え、3年程でWEB制作を専門で行う会社に転職して、システムの全体設計や要件定義をする仕事に就きました。

その後、3年ほど働くと、今度は事業会社で働きたいと考えるようになりました。制作会社だと依頼主からの要望を形にするだけの作業になってしまうので、より自分たちの意志を持てる仕事をしたいと思っていたんです。そして、結婚式場を運営する会社に転職し、WEBディレクターとして働くことにしました。

「伝える」ことができない、大きな挫折


新しい会社でも数年働き、成果を出せるようになったし、周りから評価もされていました。ただ、それは狭い世界での話だと感じていたので、もっと色々な人がいる環境で自分の実力を客観的に知りたいと思い、グロービス経営大学院に通ってMBAを取ることにしました。

MBAを取りに来ている人たちはさすがにレベルが高く、良い意味で自分の実力がどの程度なのか、身の程を知ることができましたね。

一方、仕事ではうまくいかないことが増えていきました。1人で完結する仕事だけなく、人と共同する仕事が増えたのですが、私は周りを動かすことができなかったんです。言葉でうまく伝えることができず、周りとコミュニケーションが取れない。論理的に正しいと思っていることを言えば人は動いてくれると思っていたのですが、そうじゃなかったんです。

次第に人と話すのが億劫になっていき、人前に立つこともできなくなっていきました。「話す」というのはコミュニケーションを大きく占めるものなのに、それができない自分は「終わったな」と思い、人生で初めて大きな挫折感を味わったんです。会社以外の場所では利害関係がないので普通に喋れるのですが、会社の中では完全に閉じこもっていました。

自分の気持ちを伝えると、相手も動いてくれた


ただ、そんな中で起きた東日本大震災や、その前後で親しい人が亡くなった経験を通して、有限である自分の人生をこんな気持で過ごすのは時間の無駄だと気付きました。
そして、ある時から自分の気持ちをストレートに表現するようになったんです。「今までの自分」や「照れ」を排除し、考えていることをそのまま伝えるようになったんです。そうしたら、一気にコミュニケーションが捗るようになりました。

単純なことでしたが、「伝わる」感覚を持てるようになり、仕事もうまくいくようになり、人前で話すことが全く苦にならなくなっていきました。

すると、ちょうど自分が変わり始めた時期に、人事部に異動となり新卒採用を担当することになりました。いきなりの異動でしたが、採用活動で何百人もの学生の前で話すのは楽しく、会社からのメッセージが伝わる感覚にはやりがいを感じていました。

苦手意識を持っていた「伝える」という行為ができるようになったことで、それまでできなかったこと、やったことのなかったことに挑戦する意欲が湧いてきて、人事の中でも採用以外の仕事もしたいと考えるようになってきました。そこで、人事全般の仕事ができるITベンチャーに、転職することに決めたんです。

「やりがい」ではなく「楽しい」と言葉が出てくる生き方を


転職後は人事の中でも社内の整備をする仕事に携わっていき、会社の土台を作れていると、仕事へのやりがいは感じていました。

ただ、35歳になり、自分の人生の終着点を考えた時、「このままでいいのか?」という気持ちが湧いてきたんです。私の父はテレビ局で働き、かなりの役職まで出世した人間で、地位も名誉も得ていた人でした。しかし、父が心から人生を謳歌していたかというと、息子の私にはそうは見えないところもありました。他者に対しての責任や義務を重視するあまり、「自分」の人生を楽しむことができていないのではないかと思ったのです。

そして、平均寿命が80歳を超えていると言っても、実際体力があって色々なことに挑戦できるのは残り20年程。そう考えた時、今のままで本当に良いのかと。

仕事にやりがいを感じていたけど、それはある種自分をごまかしているだけではないか。本当に理想の状態だったら出てくるのは「やりがい」ではなく、「楽しい」とか「嬉しい」、そういう言葉なんじゃないか、そんなことを考えるようになったんです。

そして一切の制限を取っ払って考えた時、本当にやりたいと思ったのは、想いを「伝える」領域で何かすることでした。自分が苦手だったけど克服できたこの分野で、同じように苦しんでいる人の力になりたい、そう思ったんです。

MBAで学んだように、論理的に考えると競合も多く収益化が難しい市場だと思いつつも、我慢するのは止めようと、一切の準備はないまま、会社で勤めるのと並行で自分のサービスを立ち上げることに決めました。

そして「伝える」ことに問題意識を持っている人が多い、プレゼンテーション指導と就職活動対策のサービスを始めました。また、それだけだと集客できないと考え、人目を引くために「ラブレター代筆」のサービスも始めたんです。ラブレターを書きたい人の伝えたい想いを引き出し、文面を作るサービスで、最初は「大学生がノリで使うかな」と気軽な気持ちでした。

それぞれの人生が詰まった「ラブレター」への想い


ところが蓋を開けてみると、ラブレター代筆サービスへの依頼内容は、想像以上に重たいものでした。手紙の執筆自体は依頼主にしてもらうと注意書きをしていたにもかかわらず、病気で字があまりにも汚いので、代筆だけお願いしたいという依頼。離婚をなかったことにしたいと、別れた妻に手紙を書きたいという40代の男性。病気の妻に、感謝や謝罪の想いを綴りたいという20代の男性。

ラブレターは、就職やプレゼンテーションの様に特定のシーンに書かれるわけではないので、依頼主毎のそれぞれの人生が詰まっていたんです。毎回プレッシャーは感じるものの、私自身、様々な人生や想いに触れ合うことができるのが楽しいし、その人たちの悩みの解消に少しでも役に立てるのが嬉しいですね。

今もラブレター代筆の依頼は頻繁にもらっているので、社会にニーズがあることを感じています。ただ、まだ自分のサービスだけでは収益化できていないので、今も会社での仕事と並行している状態です。並行していることで、どちらにも相乗効果があると感じつつ、今後は自分のサービスへの比重を大きくしていきたいですね。

そして多くの人に「伝える」という行為に向き合って欲しいと考えています。私自身、人に想いを伝えるのは苦手で、お付き合いしている人に「好きだよ」なんて言うのは、カッコ悪いと思っていました。しかし、ある日突然その気持ちを伝える相手が亡くなってしまい、後悔をしたこともありました。

照れとか恥ずかしいとか、そういうのは自分の都合で、相手のことを考えて気持ちを汲み取れたら、自然と伝えようとしていたはずだったと。だから、ラブレター代筆サービスを思いついた背景には、自分のような後悔をして欲しくない気持ちも込めているんです。

私自身、想いを「伝える」という行為にコンプレックスを持っていましたが、30歳を過ぎて変わることができました。私自身の姿を通じて、今何かに悩んでいる人や変われないと諦めている人も、変われるということを伝えていけたらと思います。

2015.04.13

小林 慎太郎

こばやし しんたろう|想いを「伝える」ためのお手伝い
IT企業で管理部門の部長を務めながら、プレゼンテーションの指導やラブレター代筆等、想いを伝える事業に特化したデンシンワークスを運営する。

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