長野県塩尻市に生まれました。弟と妹の3人兄妹です。実家がレタスや稲作、鉄道郵便の兼業農家で、小さい頃から休みの日はいつも手伝いをさせられていました。正直、農業の手伝いは格好悪くて嫌でした。ただ、親父がめちゃくちゃ厳格な人で、すごく怖かったんです。7人兄弟の長男で、祖父に代わって兄弟6人を育てあげたような人でした。

小、中学校では、輪の中心にいる優等生タイプでした。勉強ができて、中学のバドミントン部では県大会で2位になりました。ところが、ある日を境にそんな状況が一転しました。中2の時に変な所から骨が出てくる病気になって、両足を手術したんです。1週間くらい学校を休んで、部活に行けなくなりました。

しかもその後、学校が2つに分かれることになって、仲の良い友達と別の学校になってしまったんです。部活もできないし、友達とも離れてしまうし、寂しかったですね。新しい環境に馴染めなくて、一人で本ばっかり読んでいました。

高校に入る頃には足が治ったこともあって、バレー部に入り、また部活に打ち込みました。バドミントン部がなくて、同じクラスの友達から誘われて始めました。ずっと部のメンバーと一緒にいましたね。昼食も部室で食べて、部活の後はみんなで終電まで麻雀をやって。狭い範囲で深くつるんでいました。

地域で2番目の進学校でしたが、個人的に大学に行く意味がわかりませんでしたね。むしろ手に職をつけるほうが価値があるんじゃないかと思いました。

ただ、担任の先生から、「大学に行ったら色々な友達ができるぞ」って言われて、それはいいなと思ったんですよね。成績的に、私大の推薦をもらえたのですが、親に経済的な迷惑をかけないよう国立を志望しました。昔からなんとなく小学校の先生に関心があったので、教育学部を受けることにしたんです。

しかし、受験に失敗してしまい、1浪して千葉大学へ進学することになりました。うちにあまりお金がないというのはわかっていたので、受験に落ちた時はショックでしたね。

親から勉強しろと言われたことは一度もないです。ただ、母親が昔貧しくて、大学に行きたくても行けなかったという背景があって、「お前たち3人には自分が塩を舐めてでも大学に行かせたい」って言われて育ったんですよね。僕が一浪したら3人とも大学の時期が重なっちゃう。悪いことしたなって思いながら勉強していましたね。