サラリーマンサッカー選手の新たな挑戦!
夢を追い、考え続ける僕の人生。

海外でプロサッカー選手になるため13カ国以上への挑戦を続け、その夢を実現させた後、また新たな一歩を踏み出し始めた菊池さん。何歳になっても夢を持ち続け、その生き方を子どもたちに伝えたいと思う背景には、どんな人生があったのか。お話を伺いました。

菊池 康平

きくち こうへい|サラリーマンサッカー選手
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みんなよりうまくなるためには


私は兵庫県で生まれたのですが、3歳の頃に東京に引っ越し、多摩市で育ちました。

物心ついた時にはサッカーをやっていて、親に聞くと、ユニフォームを着たくてサッカーを始めたそうです。小学生の頃は学校が終わると毎日友だちとサッカーをしていましたね。

ただ、小学校4年生頃から私立中学受験のために塾に行き始めて、サッカーをする時間が減ってしまったんです。サッカースクールにも通い始めたのですが、平日は勉強にあて週末だけサッカーができるという状況でした。

そんな生活のため、サッカーをしたい気持ちが強くなっていたので、中学に入って部活で毎日サッカーができるのはとても楽しかったですね。

しかし、中学2年の時に目が悪くなっていき、ボールがあまり見えないようになってしまったんです。コンタクトをつけてプレーすることもあまり考えられず、ストレスが溜まっていき、サッカーを辞めることにしました。

サッカーを辞めてからは得意だった走りを活かすために陸上部に入りましたが、やっぱりサッカーが好きだということに気付き、半年ほどでまたサッカーに戻ることに決めました。

ただ、自分は小学生の成長できる時期にサッカーを思う存分やれていなかったので、周りより実力的に劣っている部分があると思い、どうやったら皆に追いつける様により上手くなれるかを考えるようになったんです。

そこで、地元のタウン誌で元Jリーガーの教えるサッカーチームを見つけ、自分で電話してそのチームに入ることにしました。

海外でのサッカーを知る


そのチームはコーチが最近までJリーガーということもあり、練習でも実際に見本となるプレーを見せてくれて、すごく刺激的でしたね。

その後高校生になってからは、もっとうまくなりたいという気持ちが強くなり、雑誌を見て様々なクラブのユースのセレクションを受けましたが、ことごとく不合格になりました。なんとか、FC町田のユースチームに合格することができたのですが、チームのレベルは高く、ほとんど試合には出られませんでした。

そのチームは私が1年生の時に全国大会に出場したのですが、私はベンチにも入れずにビデオ係をしていたので、全国の華やかな舞台でのプレーはできなかったんです。

そして高校2年生の頃、柏レイソル青梅というチームに移籍しようと考えました。Jリーグに繋がっているチームだし、こちらのほうが試合に出るチャンスもありそうだったんですよね。

ただ、普通にセレクションを受けても自分の実力では合格が難しそうだったので、チームに電話して、練習に参加させてくれないかと頼むことにしました。すると意外にも練習への参加を許可してもらえ、そこで実力を認めてもらえ、チームの一員として入ることができたんです。自分で切り拓けば道はできると思えた瞬間のひとつでした。

実際に移籍してからは、町田の時よりも試合に出られる機会は増えましたが、3年生になってからは勉強もしなければならなかったので、クラブチームは辞めて学校の部活に入ることにしました。大学の付属校だったのですが、成績が一定より上でないと受験が必要になるため、高校での勉強を優先することにしたんです。私の成績では大学に行けるか否かギリギリな状況でした。

そんな部活と練習を両立させていた時に、たまたま多摩市でシンガポールリーグのプロテストが開催されていたので、受けてみることにしました。残念ながら結果は不合格でしたが、それまでは海外サッカーはヨーロッパとか南米のような強豪リーグしか知らなかったので、いわゆるマイナーなサッカーリーグの存在を知れたのは大きかったですね。

道場破りを始める


その後、大学には無事進学できることになったので、今度は大学のサッカー部の練習に参加させてもらうようになりました。サッカー部は強豪で、基本的にはサッカー推薦で入学したような人しか入れず、普通に受けても自分の実力では絶対に無理だったので、またこの手を使ったんです。

高校3年の最後の2ヶ月間練習に出て、サッカーのスキルはかなり周りよりも劣っておりましたが、長距離を走ったり、頑張る力というか気合いのみが評価され入部は認められました。しかし、ほかのメンバーとの実力の差があまりにも大きく、どう考えても試合に出ることは夢のまた夢の様に正直感じました。

どうしたら早急に上手くなれるか自分なりに考えたところ、部活には入らずに、社会人リーグでプレーしながらアルバイトでお金を貯め、海外でサッカーをしようと思いました。

そして大学1年時の夏にシンガポールリーグのセレクションへの斡旋を行っている業者を通して、プロテストを受けに行ったんです。結局2ヶ月ほどいたものの、プロにはなれなかったのですが、現地で出会った色々な国籍の選手からシンガポール以外の国々にもプロリーグがあることを聞き、アジアにはチャンスがあると思い、練習して他の国へチャレンジしてみようと思いました。

また、シンガポールでは最初はサテライトチームの練習に参加していて、トップチームの監督に見てもらう機会はなかったのですが、自分で監督に交渉したら、トップの練習にも参加させてもらうことができたんです。この時に斡旋業者を使わなくても、英語など言語ができれば、自分次第で道を切り開くことができるのではと感じましたね。

帰国してからはまた大学に行き、アルバイトでお金を貯めた後、翌年の夏休みも香港とオーストラリアに行きました。そして、現地のサッカー協会に行きチームのリストと電話番号を聞き、そこから直接チームに行き交渉する「道場破り形式」をスタートしました。

オーストラリアのブリスベンでは半年ほどアンダー21のクラブチームに所属したのですが、給料は出ないので、プロ選手ではなかったですね。

人生で成し遂げたいこと


オーストラリアには2年生の終わりまで半年ほどいて、3年生からは日本で就職活動を始めました。親に「就職できないからサッカー選手を目指し海外に行っている」と思われるのも嫌で、就職もできるけど、サッカーを選んでいることを証明したかったんです。

そして内定を頂き、また長期休暇は海外に出てサッカーのプロを目指しました。時間が許す限り挑戦は続けたかったんですよね。

しかし、香港、タイ、シンガポール、マレーシアと行きましたが、結局プロ契約は結べませんでした。ここまでやってもダメならと、この時にプロになることは諦め、内定先の人材企業に就職することにしました。

ただ、会社に入ってからも、挑戦する気持ちを忘れたくなかったので、1週間ほどある夏や冬の休みには、海外に行き道場破り形式で練習に参加させてもらうことは続けました。

そんな生活をしていた3年目の時に、会社のフットサルで全治6ヶ月の大怪我をしてしまったんです。ある医者にはサッカーはもうできないだろうと言われました。

この時に、自分は人生において何を達成したいのか、改めて考えるようになりました。すると、仕事で結果を出すとか起業したいなど色々な目標もありましたが、本当に叶えたいことは、やっぱり一試合でも良いから、海外でプロの選手として試合に出たかったんですよね。

そして、もしサッカーができる体に戻るのであれば、もう一度プロを目指したいと思うようになっていったんです。

その後、理解あるリハビリの先生に出会い、体を治すことができたので、会社の上司に相談し1年休職させてもらい、海外でプロ選手を目指す挑戦をさせてもらえることになりました。

そして、大学時代から通算12カ国負け続けたのですが、ついに13カ国目の挑戦となるボリビアで、プロサッカー選手としての契約をすることができました。

語れる将来に


ボリビアのチームに在籍した後は、約束通り1年で会社に戻り、仕事に集中して働くようになりました。

挑戦心を持ち続けるための長期休暇での道場破りは相変わらず続けて、今度は自分がプレーするだけでなく、行った国の支援ができるように、日本で古着やボールを募って現地のサッカー協会や孤児院などに寄付をすることも始めました。

また、夢を達成したことで、ひとつやりきった感覚はあったので、諦めなければ夢は実現することを伝えていくために、日本サッカー協会の「夢先生」で小学生向けに話す機会をもらったり、その後も自分で小・中・高校等へ交渉して、子どもたちに夢を持ち続ける大切さを話す夢授業みたいな活動を続けています。

ただ、ボリビアではプロ契約を結べたものの、公式戦には一度も出れなかったので、そのことだけが心の片隅に残っていたんです。

そのため一応いつでも体が動くようにとフットサルはやっていたのですが、そのフットサルなどで、熱く生きている方々に出会い、刺激され自分もプロ選手として一試合でも「華やかな舞台で試合をする」という持ち続けていた夢を、もう一度追いかけてみようと思ったんです。

32歳になり、身体も動かなくなってくるので挑戦するなら今しかないし、今からでも夢を追いかけられることを、夢授業で関わる子どもたちにも行動で見せたいと思ったんです。

そして2014年6月に、9年間大変お世話になった会社を辞めて、海外でのプロサッカー選手としての挑戦を再開することにしました。

ただ、実際に8月にラオスでプロになるため道場破りを始めたのですが、想像以上に厳しい現実を感じています。わかっていた事ですが、ふらっと行って契約出来るほど甘くはありません。スキル・体力・言葉を含めた順応・戦う気持ちなどもう一度思い出して必死にやらないといけません。

また、ラオスでは無理して田舎のチームに飛び込みでアタックしに行ったところ、犬にアタックされるアクシデントがあり、狂犬病対策のために緊急帰国しました。スタートから厳しい状況ではあります。

でも、こんな状況すら将来は笑って語れるように、選んだ道を良かったと思えるように、これからもどうしたら良いか考え、行動していきます。

まだ達成していないのに考えることでもありませんが、一試合でもプロとして公式戦に出る夢を達成した暁には、自分のこれまでの挑戦や失敗した数々の事などを子どもたちに伝えていきたいと思います。

今回は32歳の無職での挑戦ということで、やはり少し不安はありますが、元気だったら何でもできると思うので、これからも諦めずに夢に向かい続けていきます。

2014.09.17

菊池 康平

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